2008年12月11日木曜日

瞬きしてる間に

昨晩、以下のことが起きた。

毎晩踊る2セット中、1セット目が踊り終わり、控え室から出口に向かう途中、化粧室から出てきた女性と出会う。

特に知り合いでもないのだけれど、彼女の当たり前のそぶりと勢いにつられ、とりあえず挨拶を交わし、両頬にキスを1度ずつ交わす。

その後、「あなたの名前は?」と聞かれる。

「私はマリコ」

そして今度は私が、「(じゃあ)あなたは?」とも聞く。

彼女が名乗る。

彼女がポケットに手を伸ばし、携帯電話を取り出す。

なんだ、女性も電話番号を聞いてくるのかい、と思ったら、彼女がカメラ機能付きの電話を持つ手を遠く伸ばして、自分に向け、写真を撮る姿勢になる。

よく分からないが、カメラの方を見つつ顔を合わせて笑顔を保つ。

シャッターを切り終わった後、カメラ付きのその電話で画像を確認。

彼女、「Tu es jolie(あなたきれいね)」

「Toi aussi(あなたもきれいね)」

・・・と言える前に彼女はもう消えていた。

フランス語は自分で理解するまでにちょっと時差があるのだけど。

この一連の出来事、瞬きしてる間に起きた。

やっぱりアルジェリア、おかしな国だと思う・・・。

2008年12月8日月曜日

ライードのとーらい

ライード=L'aid

正式名称はEid ul Adha。

犠牲祭と訳されるイスラム教の祝日が、今年のアルジェリアでは12月8日と9日に定められた。

さて、でも何故宗教的な大事な祝日が、今年はいついつに・・・という風に定められなければいけないのか。最近は日本の祝日も便宜を図るため、1月の第2月曜日などという風に設定される場合もあるけれど(だとしてもいつが休みになるかは前もって分かるし今後だって分かるよね)、主要な祝日はやはり2月11日は建国記念の日、のように月日が設定されているもの。

というのもイスラム教社会は、ヒジュラ暦と呼ばれる太陰暦(純粋太陰暦)を使用しているため、1ヶ月が29日間の小の月と、1ヶ月が30日の大の月を交互に繰り返した方法で1年を数え、地球が太陽を回る周期との修正を行なわない結果(閏月による地球が太陽を回る周期、すなわち季節との補正を行わない)、1年間が354日となり、1年ごとに11日ほど太陰暦とずれていくから。

(Wikipedia参照)

イスラム教の国は世界中たくさんあるけれど、この宗教的行事では、どこの国でも何らかの動物を犠牲にし、預言者ムハンマド(モハメド)と共に五大預言者のうちの1人のアブラハム(イブラハム)が進んで息子のイシュマエルをアッラー(イスラム教の神)に犠牲として捧げたことを世界的に記念する。

例えばパキスタンではこの犠牲の対象となるのは山羊。
アルジェリアではこの対象は羊となる。

さてここアルジェリア、日頃から道端を羊飼いと羊の群れが普通に歩いているし、外出の際、車窓からちょっとした草原をチラッと見やると羊が懸命に草をほおばっていたりもする。

そしてライード到来数日前、外出した折に気付いたこと数点。日頃はまばらに見る羊たちと羊飼い、この日ばかりは主要道路沿いに皆(羊もか?)でたむろってる。要するに、人々が一家に一頭、羊を買って帰っていく。ある人は、羊の首にロープをかけて歩いて帰る人、またある人はセダン車に乗せて帰る人。

そう、連れて帰られる羊は、ライードの初日まで各家庭で育てられ、ライード当日、喉を切られてとさつされる(やっぱり内心かわいそう、と思ってしまう・・・)。そう、アッラーに捧げる生贄になるために。自然の恵みや動物のおかげで成り立っている人々の食生活(ベジタリアンはちょっと違うかもしれないけれど)、偽善者ぶるつもりはないけれど、この行事に招待されなかったことに、我胸撫で下ろす。ライードのこの一番の行事、これにまつわる話は山とある。

例えば、とさつを実行するのは通常家族の父親と長男だったりするのだけれど、場合によってはその仕事をする人を雇ったりもする。そしてその行為を実行する人たちは、やむを得ぬ事情がある場合意外(職業がレストランのシェフだったり)、皆、爪、ひげ、髪の毛を最低事前10日間は切ってはいけないという。貧しい人にも食べ物を分け与えてあげるというイスラムの教えから、その羊から得られるご馳走である肉の3分の1は家族で頂き、残りの3分の2は、彼らに近い貧しい人から優先的に分け与えてあげる。自分が食する分よりも多くを、恵まれない他人に分け与える。

そしてこの羊、一頭、大きさによって25,000ディナールから35,000ディナール(大体35,000円~60,000円前後)で売買されるそうで、これはローカルの平均的収入の1ヶ月分から2ヶ月。かなり贅沢なもの。ちなみにフランス語のおじさん先生は、「羊は高いから買えないよ~」なんて言ってたなと思い出す。となると彼はお肉をもらう側なのだろう、と。

この他にも内臓は当日、でもお肉自体を食するのは血抜きをした翌日、要するにライード2日目、とさつを行なう時間帯など、事細かに決め事があるよう。

どっちかというと、このライード、どこのスーパーでも正月三が日はお店を閉めていた一昔前の日本のお正月みたいなものにさえ感じる。国を挙げてのお祝い(?)事、当日お店は例外なく、ほぼ全てが閉まっていて、外には人っ子一人見当たらない。今年は家で餅つきするの?いや、手間隙かかるからやらないよ~、なんて餅つきと羊の生贄の行事とを重ね合わせてみたりもする。

ライードおめでとう、「サッハアイデック」と声を掛け、一足早く、小声で、いや、普通の声の大きさで、明けましておめでとう!と言ってみる。

2008年12月2日火曜日

ショートヘアにしたい衝動に駆られたそんな日

最近、私は忙しい。


週に2度、先に言ったフランス語の教室に通い、強制的に踊らされるトロピカルダンスの練習に励み、空いた時間には衣装を探しに日中街へ遠出したり・・・。

そんな中、忙しいから長い髪を乾かすのが面倒でショートヘアにしたい衝動に駆られた。。。

という訳ではない。

これは、ショートヘアの、ある女の子のお話。

彼女の名は、セリナ。
半分ベルギー人の、アルジェリア人。

出会ったきっかけは、例のトロピカルダンス。
そして歌手のこの彼女、実は今回一番活躍した人物。

それもそのはず、彼女、実は過去5年間モロッコでダンサー兼歌手を仕事にしていたそう。フラメンコやバレエ、ジャズダンスやラテンダンス、一般的に知られているダンスは多少なりともおさえているけれど、私にはあまり馴染みがなかったセガダンスやズーク、ラガやレゲエ、アフリカンダンスだって、ダンス一般全てをおさえていてそれはそれは頼もしい。

始めは彼女、ちょっと踊れるな、なんて思っていたのだけれど、ちょっとなんてとんでもない。パターン化せずに、見ていて楽しいダンスをするではないですか。元気でクレイジーで、なんと言っても彼女自身がエンターテイメント。私にとっては、色々参考にもなるエンターテイメント。

些細な要素がトラブルに発展してしまうケースがあまりにもありすぎるこの世界、私もあまり不必要な関わりを持たないように活動していた手前、彼女だけはもっと早くに知っておきたかったと思う今日この頃。というのも彼女、夏の間も1001Nuitsで歌っていたらしく(私も週末はそこで踊りますけれど、終わったらその場をとっとと去ってるので)、今回の彼女のカムバックは、お客さんの要請から実現したという、実力派。

歌唱力も抜群で、見ていると元気を分けてもらえる、そんなセリナ。
たまにおかしな声を出すけれど(笑)、それもまた、エンターテイメントなのだから。

そう、そして最近私は忙しい。
彼女とブルガリア人のバンドの演奏を観に、聴きに、毎晩のように1001Nuitsに入り浸ってしまっているが故。吸収できるときは寸暇を惜しんでその環境に入り込むのが、いつからか私のやり方。

そしてショートヘアのその彼女を見て、こう思う。

ショートヘアも悪くないな、と。

2008年11月30日日曜日

今が旬

11月末日。

アルジェは、緯度で言えば仙台と同じぐらいらしいのだけれど、地中海に面しているせいか、そのわりには極端な寒さは感じられないような、気もする。

そんなアルジェも、ここ最近、それなりに寒くなってきた。

日本の寒さに比べれば何てことはないのだろうけど、この季節、天候が不安定だったりと、結構雨の日が多かったりする。

こんな中、良くも悪くも季節感など全く感じさせないホテルも珍しい。

そう、実はこのホテルでは、29日の土曜日から1週間(イスラムの国ではほぼ1週間は土曜日から始まります)、トロピカルウィークたるものが開催されている。それにちなんだ物(ちょっとした食べ物だけのようですが)の他に、エンターテイメントの一貫として、私たちアーティストは実は良い迷惑を被っている。

それは3週間ほど前のこと。

何の相談もなしに勝手に結成させられた女性トリオ。それは、次の人物から成り立つ。ブルガリア人歌手、アルジェリア人歌手、そして日本人ベリーダンサー。そしてそのトリオに下った命令とはトロピカルダンスを踊れということ。言わずと知れて、私たちのプロフェッションの枠外である。

普通は、意味が分からない。

普通は、あってはならないこと。

普通は、抗議したっていいこと。

大体、トロピカルダンスとは何ぞや。

ハワイアン、タヒチアン・・・と頭を駆け巡るダンススタイル。でもさすがアフリカ(アルジェリアは北アフリカに位置しています)、トロピカルといえばマダガスカルとかモーリシャスとか、アフリカの南東に位置する島々、その辺のことを言ってるらしい。故にダンスはセガダンスだったりズークだったり。

何故、ブルガリア人歌手、アルジェリア人歌手、日本人ベリーダンサーに、トロピカルダンスを踊る筋合いがあるのか。

我々のプロフェッションには全然関係もなく、本来なら、拒否しても全然問題のないもの。でも、そうは中々いかなかったりもする・・・。

このマネージャー、可能かどうかを考えずに、いつもアイディアばかりを打ち出す。計画性全くなくして迷惑を被るのは、彼以外のほぼ全ての人。そんな話はさておいて、1つ言えることは確か。

ブルガリア人の歌手、ベルギー人とハーフだけど、アルジェリア人の歌手兼踊り手、日本人のベリーダンサー。

どう考えてもこんな組み合わせ、滅多にない。


ここで一歌。

寒空に チープな衣装 身にまとい 今日も踊るよ トロピカルかな

宣伝する気はほとほとないのだけれど(しかもタイミングが遅すぎるけれど)、アルジェにいらっしゃる日本人の方々、お暇でしたら是非いらしてください。意外な組み合わせ、今が旬です。

ちなみに、トロピカルウィークは12月4日、木曜日で終わりますけれど、私たちトリオ(また一緒に何かをすることはないでしょうが、週末は同じ場所=1001Nuitsで彼女たちのバンドと、オリエンタルダンスが見られます)は来年早々まで健在です(ブルガリア人バンドの契約が1月4日までなので)。

2008年11月25日火曜日

ブルガリア

ブルガリア、と言えばヨーグルト。
ヨーグルト、と言えばブルガリア。
ではブルガリアと言えば?

ヨーグルト。。。

と言いたい気持ちを抑えること約数秒。

だってここ、オテルシェラトンでは、ブルガリアはミュージシャンの産地だと思いたくなってしまうから。

私がここに派遣されて以来、過去10ヶ月の間替わったミュージシャンは約3グループ。そのうち、2グループがブルガリア人で結成されているバンド(まあ比率的には多い)。今年始め、私が当初ここにやってきた時からの数ヶ月と、ラマダン後、戻ってきてからの今現在。

Zodiac Band

(写真を載せる許可、まだもらってないけどまあ良いだろう。明日確認、明日明日。)

メンバーはギタリストのアイヴァン(男性)、キーボードのニッキー(男性)、それにボーカルのシルヴィー(女性)。ちょっと変わった風貌の男性2人と独特で可愛く、魅力的なシルヴィー。現在はその3人に加勢する形でアルジェリア人の女性1人がボーカルとして加わっているのだけれど、元のバンド自体は、3人のブルガリア人。

今回私は、幸運にも彼らとの交流が、結構ある。

実は彼ら、ここに来る前はもう何年も韓国でミュージシャンとしての仕事をしていたそう。そして韓国が好きだという。そう言えば、以前のブルガリア人のバンドの人たちも韓国で仕事をしたことがあると言っていたことを思い出す。もちろん、3人とも、それぞれ別のバンドで今までで仕事で回った国々は数知れず。私たちオリエンタルダンサーと同様、彼らもまた短い契約であちこちを飛び回る。世の中、こんな職業もあるものなのだな、と我が身を忘れ、思ってみる。

リーダーのアイヴァンは、若く見えるけれど現在50歳前後。故郷ブルガリアには22歳の娘がいると言う。他の2人は暇さえあればタバコぷかぷか。でもタバコも吸わない、ユーモアたっぷり、一見真面目(実際真面目ですけど)なアイヴァンとの話で分かったこと。彼は出来ればブルガリアで家族と一緒に居たいということ。彼の奥さんも、以前同じバンドで世界を回っていたという。娘さんが小さい時は、家族でもまた、一緒に世界各国を回っていたと言う。ほぼ出席できない学校の勉強は、父娘でしていたとか。

今は娘も育ち、家族をブルガリアに残しているアイヴァン。同じ仕事をブルガリアでは出来ないの?という私の問いに対し、ブルガリアでは到底お金にならない、とアイヴァン。学校で音楽を教えるとか?と問うが、やはりそれもお金にならない、と。だからミュージシャンとして、海外で働く、と。

家族をブルガリアに残しているニッキーのシチュエーションも、どうやら同じよう。

シルヴィーもまた、同じ事を言う。私と歳が近く20代後半の彼女は、結婚はまだのものの、いずれは結婚して家族や友達がいるブルガリアで生活したいと言う(まあもちろんかも知れないけど)。10代のころからこの職業に就き、年に一度、故郷に帰れるか帰れないか。アイヴァンに聞いた質問を再度繰り返してみても、もちろん答えは同じ。自国で同じこと、もしくは音楽を教える先生になったとしても、その収入には頼れない、と。

だから、家族や友達に会えないのは淋しいけれど、この仕事を続けている、と。

家族を残して一人海外へ仕事で出向く。

言ってみれば、皆、出稼ぎ。

ブルガリアは、1990年に共産主義から民主政体に変わったはものの、以来インフレがひどかったり、一部の人だけが潤うなど、一般の、普通の人は、生活していくのが大変なのだと言う。そしてそんな状況下から逃れる為、人がどんどん外に出て行く、と。あまり私には馴染みがない国だったブルガリア。以前の共産主義の影響か、よく暗い印象を受ける国、ブルガリア。

そんなブルガリアにも早く春が訪れますように。

仲良くなったバンドの彼らを思い、そう願う今日この頃。

2008年11月20日木曜日

おフランス

別にフランスの写真ではないのですけれど・・・。
上、とあるお部屋の窓から見える外の景色。

現在私の職場兼住まいでもあるシェラトンホテルは、首都アルジェのダウンタウンから25キロほど。渋滞がなければ車で20分ぐらい、の、はず。ホテルのあるこのエリアはClub des Pins(フランス語読みでクラブ・デ・パン)と呼ばれ、軍人さんとかお偉いさんのお家が多数あるとか。なので出入りする人たちも限られていて、このエリアに車で入っていく際には、バリケードと検問がある。

Club des Pinsから一番近く、歩くと20分ぐらいの距離にStaoueli(スタワリ)という街がある。

イスラム教のこの国は、本来ならお酒は厳禁。でもたまにお酒を出す飲食店があったり(一般的にホテルではお酒が飲めます、ホテル内はある意味治外法権?)、お酒を売っているお店があるのだけれど、近年このスタワリは、お酒を飲めるお店が多いといううわさ。何でも外国人がこのエリアに多くいて、需要があるからとか。

さてそんなスタワリに、2週間ほど前からこの私、フランス語教室に通うことに。

以前に何度かレッスンを試みたはものの、全て上手くいかずじまい。誤解のないようご説明。いつも教えてくれる側に何らかの問題が発生し、あまり長く続かないという始末。やっぱりプライベートは無理だろうかと学校案を打診されるも中々見つかることもなく早4ヶ月・・・。

今回幸運にも一緒にフランス語を習いたいという人2人と一緒に始めたフランス語。もちろんレベルは、ゼロ。というより、いくら初心者クラスだからといってレベル・ワン(フランス語だとアンだけど)ではなくゼロっていう考え方がすごいな、と思ったりもする。

週に2回で値段は一ヶ月1,500ディナール(日本円で大体2,000円ほど。改めて、安っ)。
10人集まったら開講という決まりはあったものの、結局私たちが登録した時点での7人でスタートを決めたよう。

先生は、色黒の皮膚に白髪交じりの短髪、四角い眼鏡をかけた初老のおじさんが何ともほほえましい。初回、着席した教室をざっと見回すと、一緒に来ているフィリピン人、タンザニア人の他は、全てアルジェリア人のよう。若いお兄さんもいればマダムもいる。この国で、一体誰がフランス語を習うんだ?と思ってやってきたフランス語教室。アルジェリア人たちを目前に、私の中での想像と違う情景に多少戸惑ってみたりもする。

さすがレベル・ゼロ、Aアー、Bベー、Cセー、Dデー、Eウー(ここまでは是非とも書きたかった)、とアルファベットから始まるレッスン。すると遅れて入ってきた若いお兄さん、どこかで見かけたことがある。後でやっと気付いたけれど、彼は私が踊るレストランのスタッフが1人。驚いた。ホテル業でもフランス語がしゃべれない人がいるんだ、と。

アルジェリア人でフランス語を知らない人たちがフランス語を習う場合、重要なことは抑えてもらいたいと、初老の先生、説明するにはおのずと知れてアラビア語。私たちには辞書を引きつつ慣れない英語で説明してくれるけれど、残りのアルジェリア人にはアラビア語で説明する。ということは私にとっては好都合。フランス語を学びながらアルジェリアンアラビア語も分かってしまう。

フランス語で発音した単語の後に、「これはアラビーアでXXX」、と言われる度に私もリピート。聞き取ったアラビア語を、今習ったフランス語の単語にイコールサインを引っ張ってカタカナで記入。先生もそれを面白がってるのか、どの単語でも私のためにアラビア語をもう一度リピートして発音する。

フランス語の授業、そんなに嬉しそうにアラビア語に反応するならそこの君、アラビア語の学校に行きなさい。

ピュアにフランス語が話せる日はいつになる・・・。
上の写真、フランス語教室の窓から見える景色です。

2008年11月18日火曜日

迷惑行為禁止条例

を、作って欲しい。

本日1セット目のショー時、まだ控え室にいた私。
今日は久しぶりにスタッフの一人がCDを取りに来てくれた。

そしてそのスタッフ、大袈裟なジェスチャーを交えて私に言う、

「ビッゼーフ シノワ」(中国人一杯)

「ドゥ ジャポネー」(別のテーブルに日本人2人もいる)

なぜかこのスタッフ、いつも事あるごとにシノワだのジャポネーズだのがいると教えてくれる。そんなにめずらしいんかい、アジア人が。でも彼、最近は日本人と中国人の違いが分かってきたらしく、日本人の私としてはちょっと彼を感心している。

さてここアルジェリア、何万人ともいう単位で中国人がいるらしい(はっきりした数は聞いたけれど忘れたのです。しかもはっきりした数だってちゃんと届出している人たちの総計であって、滞在を届出していない人を入れればもっとだろうとの事)。

いたるところで見かける中国人に対し、地元アルジェリアンには日本人も見分けがつかないとある。街を歩くと決まって「シノワ、シノワ」とか、「ニーハオ」と言われる。うっとおしいんだけどしょうがない。

話は戻り、私の踊り仕事の本番前控え室は、レストランからトイレに行くちょっとした踊り場を共有したある一角にある。テーブルが並んでいるレストランと、その踊り場とはドアで仕切られていて、そしてそれぞれトイレも控え室もまた別々のドアがある。

音楽が流れ、レストランへ入るドアを開け、さてこれから登場、というところ、トイレからの帰りなのだろう、どう見ても酔っていると思われる中国人のおじさん、いや、もっと若かったな・・・が何やら私に話しかける。でも音楽はもう登場のチューン。「後でね」、と言い残してドアの向こう側に登場しようとする私のその行動を遮って、そのにいさん、私の二の腕を掴む。やっぱり本当に酔ってるな、と確信した私は彼の手を払い除けてレストラン側に入っていく。私の後を追い、にいさん一緒に踊らんとするばかり。でも私の速さについていけなく半ば諦めた模様。

前方のテーブル、見るとそこには20人を超える中国人の団体が。

このことか、とさっきのスタッフが言った「ビッゼーフ シノワ」の一言を思い出す。

諦めたそのにいさん、大人しく皆のいるテーブルに付いて椅子に座っているけれど、私の本能は私に危険信号を送る。

彼の近くは通るべからず。

エントランスの踊り一曲を終えて次の曲で踊り始めた途端、そのにいさん、何を思ったか立ち上がって私に近寄る。私、何の気なしに後ずさり。彼らのテーブルのちょうどセンター辺りに座っている一人を指差し、「He is my leader」という泥酔にいさん。だから何なんだ、と思うが言葉を飲み込みそれなら、と、そのリーダーのためにちょっと踊る。かと思うとその泥酔にいさん、何かにつけて私の腕を掴んでくる。

どうにも不愉快に思った私は、両人差し指で「×」を作り、どう考えても迷惑そうな顔を見せ、この辺で既に一度「席に戻って」と怒ってみる。

一度は席に戻ったものの、2曲目が終わると泥酔にいさん、私の踊りはもう終わったものかと思い込み、遠くからまた私に近づいてくる。3曲目の音楽が流れ始めているのに踊ろうとする私を遮り、また腕。その上腰に手を回そうとする。しょうがないから押しのける。それでも話しかけてくるそのにいさんに、一言。

まだ踊ってるんですけど!

レストラン中に響きわたる声。お客さんの皆、状況はもう把握しているためか、一瞬冷たい空気が流れる。それでもしつこい泥酔にいさんの接近にもう踊りどころではなくなったベリーダンサー。でもでも態度に見せることはなかれ・・・

一通りテーブルを回り終わって、一言スタッフに声を掛けるため立ち止まるとまたその泥酔にいさん登場。さっきと同じことをする。もういい加減頭に来ている私はその場を後にそそくさと控え室に戻る。のだが・・・

急いで控え室に戻る私。上手く引き離したかと思った矢先、人が追ってくる気配を察知、身の危険を感じ、後に閉めたドアのノブをきつく持ち、力づくで自分側へ引っ張る。そう、ドアを開けて入って来られないように。そうしたら思ったとおり、酔ったおじさん、一生懸命ドアの向こうからドアを開けようと力を入れる。

あまり動じることはない私だけれど、このときばかりはちょっと怖かった。

幸い、私を追っていく泥酔にいさんの姿を見たであろうスタッフ2人がやってきて助けてくれたから良かったものの、下手したら私は何時間も控え室にこもることになった可能性、結構大。

一緒に来ていた中国人の誰もその行為を止めなかったのは非常に残念。皆酔っていたのかもしれないけれど・・・。

今回は、今までないぐらいの危機感を感じましたとも。色んなシチュエーションの場数は踏んではいるけれど、今日はほんと、ちょっと参った。

PS.翌日、また中国人の団体グループが来るということをマネージャーから聞いた私。同じ人たちなの?という問いかけに、違うグループだと教えてくれるマネージャー。今日の一連のことをボスに伝えておこうか?と聞いてくれはしたけれど、話しても解決されることでもないのでいいよ、とする返事。

(以下、翌日書いてます)

PPS.前日の出来事があったからが故だろう、今度の中国人グループ、レストランの一番遠方にテーブルがありましたとも。マネージャー、それからスタッフ、心遣いをありがとう。最後にチラッと踊り回った団体テーブルを見回して気付くこと。おい、昨日の泥酔野郎、いるじゃないか。

2008年11月8日土曜日

ミッキー de Sheraton

彼女の名は、ミッキー。
おそらく、彼女、だと思われる。

真っ白の毛に、ところどころあるグレーの模様。
その立ち姿は、清く、そして凛として、見かけるたび、ハッとさせられる。

始めて出会ったのは、2008年2月、ここに来て間もない頃。
海辺を散歩しに行く途中、芝生の敷地内で彼女を見かけた。

「おいで」

と、一声かけ手招きすると、野良猫だとは思えないほど、何の躊躇もなく、嬉しそうに反応して近づいてくる。(あくまで私の解釈ですけれど)

猫好きの私には、ホテルの敷地内で猫に会えるのは朗報。

あるときは、ベンチに座って本を読んでいると、どこからともなくやってきて、気付けば足に擦り寄っている。またあるときは浜辺に下りる階段で、太陽の下、背中を地面に擦り付けては一人でじゃれている。

それまで読んでいた名前はミーちゃん、浜辺で見かけた彼女を撫でている際、ちょうどその場に居合わせたスタッフの話によると、彼女の名前はミッキーらしい。猫なのにミッキー・・・好きでもないのにそう思ってしまうのは、やはりディズニー戦略に惑わされた人の発想であろうか、と一人おかしくて肩を震わせる。少なくともここの人たちにはそんな発想は、ない。そして私はそれが好きである。


ラマダン後、アルジェリアに戻って間もなくしてから、例のごとく浜辺を散歩しようとホテルの広い裏庭を横切り、浜辺に出る一歩手前でどこからともなく現れたミッキー。どうやら「お帰り」、と挨拶をしに来てくれたよう。久しぶりの再会に嬉しくなり、近くの椅子に腰掛けて、ミッキーを膝の上に乗せて可愛がる。

次の4時間、自分の膝を猫に捧げることを予測もせず・・・。

アルジェリアでも、トルコでも、モロッコでも、イスラムの国だからなのか、猫をいたるところで見つける。なぜか彼ら、犬はあまり好かないそうなのだけれど・・・。そう、イスラムの国々は、猫好きにはたまらないデスティネーションなのかもしれない。

万歳、猫。
万歳、ミッキー。
あれ以来会ってないけれど、明日は会えるかしら。

ミッキーを膝に乗せた4時間後、もう限界だと思って膝から降ろそうとしたら彼女は抵抗、もしかしたら怒ってて最近姿を見せないのかな、と思ったりもする今日この頃。

2008年11月5日水曜日

TITO in town

TITOが街にやってくる!

東京に(って私はいないけど)、超人気エジプト人男性ベリーダンサーTITOがやってくる。

彼は本物エンターテイナー。

TITOをご存じない方には、ちょっとした裏話。TITOは本場エジプトでも超人気(もちろん世界中でも)。カイロのマクドナルドでは、国民的(いや、世界的)大スターの彼の写真が飲み物のカップにまで印刷されているとか(何かのウェブサイトで読んだ記憶がしますとも、本当かどうかは、また別の話・笑)。

ベリーダンスをやっている人はもちろん、そうじゃない人も絶対に楽しめる、そう断言できます。

滅多にないこの機会、私も東京にいたかった。
実は私も出演・競演(いやいや、共演でしょう)のお話をいただいたのだけど、どういう訳か取ったのは仕事。
血迷っていたとしか思えません・・・。

あまり宣伝ばかりのブログにするつもりはないけれど、彼は、絶対、必見です!

以下、詳細はミクシィの宣伝から引っ張ってきました。
この機会、是非是非騙されたと思って(いや、絶対騙しにはならないから!)TITOを見に行かれるべし!

【日時】 2008年11月30日(日曜) 17時開場 18時開演
【会場】 ル テアトル銀座 http://www.theatres.co.jp/letheatre/
【出演】 TITO(ティト)、タブラクワイエサ 、ニコル
【チケット】全席指定 SS 15,750円 S10,500円 A7,875円 B6,300円 C4,200円 ペアBOX21,000円  ※SS席、S席、C席残りわずかです!

【プレイガイド】 ★ショップクワイエス http://kwaiess.com/ 
         ★チケットぴあ http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0841365
         ★スタジオエルサラーム http://el-salaam.com/

TITO Oriental Belly Dance Show オフィシャルブログ http://ameblo.jp/tito-show

2008年11月1日土曜日

よく思うこと

最近、よく思うことがある。

ホテルの敷地に入る際の玄関、アラビア語とアルファベットで書かれたSheraton Club des Pinsのセキュリティーガード。そのセキュリティーを抜けると、なだらかな坂が始まり、そのすぐ先には小さなロータリーがある。円形で、中は芝生が敷いてあるそれを左に見ながら前に進み、そのなだらかに続く道をどんどんおりていく。車ででも、歩いてでも、その道は、シェラトンホテルに入る人が必ず通らねばならぬ道。

そしてその前方、2、300メートル先には、緩やかにU字型になる道の右側に、中心部分にあたる正面玄関の回転ドアと、そのドア部分を軸に、左右対称に横に広がる巨大な建物がそびえ立つ。 そう、それがオテル・シェラトン。

そしてそのホテル(10ヶ月近くも暮らしておいて人事のような言い方だけれど)、外出して戻ってくると、一応ベルボーイたるドアマンがいる

のだが・・・

あまりに退屈なのか、ただ単に話好きなのか、その時々で違うドアマン、どのドアマンであっても、それが何時であっても、正面玄関に到着した私を見かけると、決まって必ず話しかける。そう、お互い意思疎通が難しいにも関わらず。

あるドアマンとは延々と天候の話をし、またあるドアマンとは休暇の話をする。中からは外の様子が伺えるとあれば、中にいるコンシェルジュも私を見かけ、用事もないのにそろそろと表へ出てくる。また別のドアマンとは、お互いアラビア語だのフランス語、はたまた日本語だののフレーズを教え合う。そうなるともう彼らも必死、開けると何も入っていないと思われる音を立てるガランガランのドアマンデスクの引き出しから、既に使用済みの紙一枚と、胸ポケットからペン一本が出てくる。そしてそこからプチ語学レッスンなんかが始まる。

でも時間帯によっては車の出入りが多いことも。

だから車が止まる度、私は思う。止まった車から人が降りてくる度、私は思う。

この人(ドアマン)、車のドアを開けなくて良いのだろうか・・・。

そしてまた思う。降りた人がトランクから荷物を持って降ろしているのを横目に、またまた思う。

この人(ドアマン)、トランクの荷物を出してあげなくて良いのだろうか・・・。

けれどドアマン、気にしない。どんどんどんどん話題を振ってくる。

分かった分かった私が悪かった。通りかかった私が悪かった。

そして思う・・・仕事しようよ。仕事をさ。

話に花を咲かせる、という言い回しがあるけれど、ここではどうやら話することが主であり、ごく稀に仕事に花を咲かせる人を見かける(笑)。

2008年10月31日金曜日

上を向いて歩こう

涙がこぼれないように~♪

実はこの曲、諸外国では「SUKIYAKI」(すきやき)という曲名なのはご存知ですか?

さて、では何故「すきやき」なのか。

当時坂本九の「上を向いて歩こう」という曲が日本で大流行した時期の話。とあるジャパニーズレストランにて食事をしていたアメリカ人音楽プロデューサーと日本人。「上を向いて歩こう」が流れるレストランで「これは何だ?」と問うアメリカ人音楽プロデューサー。2人が食べている食べ物、すきやきのことを聞かれていると勘違いした日本人が「すきやき、と言う」と答えたのが、この曲が「SUKIYAKI」という英語名になったのが始まりだとか。

ここまで書いてどこでこんな情報を得たのだろう、と考えてみる。
すると中学生の時の英語の教科書で読んだようなあやふやな記憶がよみがえる。

果たして本当だろうか・・・。

ちなみに中学生時代は宮崎にて過ごした私。
どなたか当時の宮崎の教科書に詳しい同世代の方、私の記憶をジャッジして頂きたい。

・・・と、別に今回は涙もの巻ではないものの、とりあえず出だしは脱線状態で始めてみる試み。

さて、私、ここシェラトンホテルでは、いつも人だかりを通り抜けるときには、なるべく誰とも目を合わさないようにする。そう、どちらかというと下を向いて歩いている。

というのもA地点からB地点に移動するのに、スタッフ、お客さん、来る人来る人にいちいち挨拶してたらことが次に進まないから。

が、いつぞやちょっと上を向いた途端、目が合ってしまったある人。

ここぞとばかりに私に話しかける彼、最初はちょっと面倒くさかったけれど、でもまあ感じの良い人ではあるようだから、ちょっと反応してみるか、と偉そうな私*。

結果分かったことは、彼、弁護士。

ふふーん。

同じ日、また目が合ってしまった別の人。面倒くさいなと思いつつもさっきの続きで話に耳を傾ける。

すると分かったこと、彼、パイロット。

ふふふーん。

おじさんだけれど、顔立ちがきりっと整ったその人は、バングラディッシュ生まれのバングラディッシュ人でイギリス育ちの国籍カナダ人だとか。話を続けてみると、その何日か前にレストランに来てくれたそう。やっぱり私の経歴が気になるようで、そこからまた話が続く。どうやら、彼のパイロットの同僚が私の踊りをたいそう気に入ってくれたらしい。

その夜またレストランにやってきてくれた、彼とその同僚のアメリカ人パイロットとカナダ人CA。

2つ目のセットが終わって彼らにお礼を言う私。そこでちらっとお話をすると、なるほど、アメリカ人パイロットは私をもっと気に入り踊っている最中に撮った写真をメールで送ってくれると言う。それはありがとう、ととりあえず彼らのビジネスカードをもらって帰る。

そして今日一日を振り返る。・・・弁護士、パイロット。

上を向いて歩くと、弁護士とパイロットに会うのか・・・なんていう結論に達したりする。

そして何週間も経ったある日、このアメリカ人パイロット、誰が私の部屋番号を教えたのか、後日部屋に電話してきて私に言う。(誤解があったらかわいそうなので、誤解のないように書きますが、この人はきちんとしている人でした)

今フランクフルトにいて、これからドバイに飛ぶ。そこから要人をバンクーバーに乗せて飛ぶんだ。

ふーん。で?

実は、今フランクフルトのヘッドクオーターで上がっている話なんだけれど、プライベートジェットのCAが必要なんだ。適役だと思うんだけど(何故そんなことが言える?)、君、プライベートジェットのCAにならないか?と。

まあまあ。

どうやら本気で言ってるらしい・・・。

世の中色んな人と知り合いになると、色んなオファーがあるものなのか・・・。

ん?そろそろ鞍替え?

いやいや。ベリーダンサー、続く限りは続けると決めているのだから。

もちろんお断りしましたよ。

でも、いつか新しい職を見つけたくなったら「上を向いて歩こう」べき?!

* 誤解のないよう言っておきますが、私、基本とても謙虚です(笑)。なるべくトラブルに巻き込まれないように礼儀正しく人を避けることももちろんあるけれど。

2008年10月21日火曜日

兄弟

つらかったり悲しかったりした時は、隠そうと思っていても顔に出てしまう私。

それは不当な扱いをされたときだったり、何か言われたときだったり、
あまり気にならないことであればどうでもないこと。
でも仕事に関する何かであれば、それを重要視している私にとっては、
一大事だったりもする。

つい先日も。

踊る直前にはどうにか笑顔に出来るものの、音楽がなり出して、登場する本当の寸前まではいけないとは思いつつも口がへの字になっていたりもしてしまう。

最近は、ショーが始まる前にCDをミュージシャンに預けにいくことが暗黙の了解になっているのだけど、アバヤを羽織ってその仕事をしている最中、私の元気のなさに気付いた演奏中のミュージシャンたち(ステージ側で、私はお客さんには背を向ける状態なのでお客さんに私の表情は分からないのです)。演奏を中断して(・・・っておいおい)、辛うじてマイクは使わないけど私に問いかける。

「マリコ、どうしたの?」

でも彼ら、それ以上は聞くことなく私のことを気遣ってくれている様子。

ボーイフレンドか?

いやいや。

手を振ってそうジェスチャーした私にミュージシャン3人の視線。

タブラ奏者がフランス語で何かを言い、キーボード奏者がそれを英語に直してくれる。

君は僕たちのシスターだよ。(妹だよ、と)

そして歌手は取り上げた私の手の甲にキスをして、右手を左胸で(彼自身のね)2回軽く打つ。これは、こっちの人のリスペクトのサイン(のはず)。

ああ、もう、今から踊らなきゃいけないのに泣かせるようなこと言わないでくれ。扉の向こうに戻った私、水を吸わないアバヤの袖で軽く目尻を拭く。化粧が落ちると大変なんだから。

そして私は考える。
兄弟ってこうやって増えていくのね・・・と。

ちょっと違うよな、とは思いつつも。 上、増えた兄弟の一人Habib。

ありがとう、兄弟。

2008年10月14日火曜日

エジプト人おじさん

彼は小柄で、穏やかな顔をしている。
ちょっとお腹は出ているけれど、いつも笑みを絶やさないやさしそうなおじさん。
白髪交じりの短髪で、見かけるといつも微笑み返す。
おじさんというより、おじさまと呼ばれそうな、上品で、
そこにいるだけで、場が和むような、そんな人。

いつどうやってそのおじさんがエジプト人だということが分かったのかは、もう記憶の世界。

そのおじさん、2月に踊り始めて気付いたときからほぼ毎晩、いつもレストランのどこかに腰掛けて、微笑みながらシーシャ(水タバコ)を片手にミンティーをすすってる。

東洋人の踊るオリエンタルダンス(ベリーダンス)を、毎晩観にきてくれる彼は、言わずと知れて私の大事なお客さま。

ベリーダンスが世の中で注目されつつある踊りだとしても、日本でいくらベリーダンスが流行っている事実があろうとも、アラビア語を理解しようと歌の意味だって分かって踊っているつもりではあるけれど、アラビア人ではない私を見るなり、承知の上で無理があるという人だってたまにいる。

世界中どんなに人を惹きつける踊りをしているベリーダンサーでも、必ずどこかで誰かはアラビア人にしか踊れない踊りなのだから、と水を差される。

大事なのは、その文化を理解して、それを自分が出来る方法で伝えて行くことなのではないかと考える。

将来、日本で金髪青眼の外国人芸者が誕生したとしたら(実際そんなことがあり得るのかは分からないけど。あと、別に金髪青眼じゃなくてもOKですが例えは分かり易く・笑)、私は日本人のおじさん達にその彼女を温かい目で見守ってあげて欲しいと思う、そう思わせたエジプト人おじさん。

スポーツとアートでは異なる世界ではあるけれど、国技のお相撲には外国人が多いのだから、日本って寛大だな、とも思う。

2008年10月7日火曜日

アルジェリアン挨拶

以下、以前出会ったアルジェリア人の子との英語での会話。

(彼女) Bonjour! How are you?(こんにちは、元気?)

(私) Good thanks, you?(元気だよ、あなたは?)

(彼女) Fine thank you, how about you?(元気よ、あなたはどう?)

・・・ってこれ繰り返してたらあんた日が暮れるよ。

でも質問されてるのにそれを無視するのはいけないと思った私の次の返事は
I'm good thanks...(私も元気、ありがとう・・・)

そして笑顔と一緒に返したけれど。

要するに、英語で挨拶しようとすると、あまり英語教育が施されていないであろうここの国民たちは、形式ばった会話しか出来ないのだろうと悟る私。

が、ところがどっこい、ある日別の人とのフランス語での挨拶で気付いてしまったこと。

(別の友達) Bonjour, Ça va Mariko?(やあマリコ、元気?)

(私) Ça va bien, et toi?(元気だよ、そっちは?)

(その友達) Ça va, et vous?(元気よ、あなたは?)

ん?(声には出さない私)

(私) Ça va bien bien, merci...(うん、ええ、元気よ元気。ありがとう・・・)

なるほど、これはもしかしたら私が言葉を理解できないと思って何度も元気かどうか確認するのかしら、と思ってみる。

でもこの時から私、他人同士の会話にも注意して耳を傾けてみることにしてみた。

すると驚くべきことが判明。

誰と誰の会話でも、会ってしばらくはずっとお互い元気だったかどうかを確認している。そう、上記のような感じで。そして次の話題に移るのだけど、しばらくすると何がきっかけか分からないけれどまた互いに元気かどうかを確認・・・。私の中では意味不明・・・。

君たちの会話は元気かどうかの確認で成り立っているのか!と1人突っ込みたくもなる(でもフランス語では突っ込めない)。

さて、ではこれはフランス語での会話だとそうなのかと思い、今度はアラビア語で会話する人たちの話に耳を傾ける(元気かどうか聞いているぐらいは分かります)。が、やっぱり一緒。

なるほど、これってアルジェリアン挨拶なのね、と思い、それで終わりにすればよいものを、何かがきっかけで調べものをしていたある日、日本人がブログで書いていたモロッコでの挨拶の話を読んだ。すると・・・一緒。同じだ・・・。どうやら会話の中で何度も元気かどうかを聞いてくるらしい。そしてその日本人もそれがうつってしまったと・・・。長くいたら私もそうなってしまうのか?もし日本に戻った時に、東京の無駄のない効率的な生活にきちんと慣れることが出来るのか?ちょっといらぬ不安を抱いてみる。

アルジェリアン挨拶ですまなければ、モロッカン・アルジェリアン。はたまた隣国チュニジアはどうなのか?となるとこれは北アフリカン挨拶?他のアフリカ諸国はどうなのか。気付かなきゃ良かった・・・ますます謎は深まるばかり。

2008年10月5日日曜日

お仕事1日目

ラマダン明け。
初日にしてはまあまあの人入り。
アルジェリアシェラトンホテル内のレストラン・タッシリ。

踊りも良し、幸先良い出だしかな、と思うところ。

でました初っ端初日から出た不届き者。

いつものようにエントランスピースの踊りの後、テーブルを踊り歩くと、ひとつのテーブルに座っているおかしな風貌の男性2人が目に着く。

声はよく聞こえないけれど、なんだかジェスチャーでここを見ろと指差している。

1人が持っている手元にある紙きれ。

そこにはなんだか番号が書いてある。
よく電話番号を見せたりくれたりする人はいるのだけど(もらっても捨てますけど)、今回は数字4つ。



ここに来い?

ああ、よく考えたら部屋番号なのね。

アホか・・・。

お金は払う、いくら欲しい?


あのさ、お金の問題じゃないのよ。
そうやってベリーダンサーを買えるものだと思わないで下さい!

こういうの、不快に思ったらいけないんです。
常に笑いに発展させないと。

ということで更新契約第一号、また笑っちゃったよ。

2008年10月3日金曜日

Home Sweet Home

10月3日金曜日。
戻ってきましたアルジェリア。
ご無沙汰してます、ブログさん。

ということで、いったん満了したアルジェリア・シェラトンホテルとの契約なのですが、実はラマダン明けも、引き続きここでお仕事する契約を、再度交わしていましたことをここに正式にお知らせいたします。

今度は来年3月末までの6ヶ月間。2008年2月に始まった契約は、2009年3月末まで続くのです。

過去アルジェリア・シェラトンホテルで雇われたオリエンタルダンサーをみてみると、1年を超える通算1年2ヶ月の契約は、異例中の異例。ジャパニーズオリエンタルダンサーが異例の存在なら、その勢いで成し遂げることも異例といくつもり。

今回のラマダン中3週間の帰国はとてもとても濃いもので、仕事仕事にまた仕事。一体何しに帰ったんだか。と思いつつも、仕事が生きがい(?)の私としてはここは文句のつけようがないところでもあるのです。だからとりあえず感謝。

この場をお借りして、今回ワークショップでスタジオをお借りしました、いつも元気をもらっているタブラクワイエサの奏社長と上田さん、始めてご一緒させていただいたクワイエサメンバーの空中紳士さん、アブダッラーさん、あと二名・・・(すみません、お名前が・・・確認できたら載せ直します!)、ボスボラスハサンのハサンさん、久美さん、銀座ナタラジの松川さん、タンドーリのマリオさん、いつもカメラマンとしてお世話になっているタローさん、既存のかわいい生徒さんたち、新しくワークショップを受けに来て下さった生徒さんたち、お問い合わせいただいてはいたものの、いっぱいでワークショップには参加出来ずじまいだった方々(すみません。次回インシャッラー)、ショーを観に駆けつけて下さったアルジェリアでお会いした商社の方々、ちょっとでも興味を持ってショーを観に来てくださったベリーダンスをしているであろう方々、以前働いていた会社で一緒だったショーを観に来てくださった皆さん、ブログを読んで観にきてくださった方々、いつもメールで応援してくださっている方々、文句も言わずに好きなことに突き進ませてくれている家族、(もう忘れてる人いないよね?)

本当にどうもありがとうございました。

皆さまの存在はかけがいのないものなのですから(って偉そうにあんた誰?)。でも本当です。

さて、シェラトンホテルの謳い文句はhome away from home。

家から離れた「家」って意味らしいのだけど。でも今ここがとりあえず家なのよね、と思う私。いやいや、もちろんほんとのお家は日本にありますけどね。

そう、Home Sweet Home。

戻って発した第一声。

これからまたアルジェリアでの文句を踏まえつつ(笑)、ありえないこと満載の内容でこのブログをお送りいたします。どなた様も度肝を抜かれぬよう、心の準備の程、よろしくお願いいたします。

ASYA

2008年9月17日水曜日

只今帰国中

ということで、現在日本は東京におります。

ショーにワークショップと日々いっぱいいっぱいの生活。

日本にいても、・・・もしくは日本にいるからこそやるべきことがたくさんあるのは嬉しいことだな、
と思いやまない今日この頃。

貧乏暇なしとはよく言ったもの(笑)。

ブログも忘れてるわけではないのです。

帰国途中で寄ったモロッコやレバノンでの出来事、アルジェリアの出来事で書ききれてないこと、
これからも笑ってしまうこと満載のパワーアップした(?)内容でお届けしていきます。

が、10月始めまでの帰国中はブログはちょっとお休みします。

あしからず。

2008年8月30日土曜日

契約満了

2008年8月29日、金曜日。


急遽決まったこの日付、シェラトン・アルジェでの私の契約最後の日。
(急遽と言ったのは、サインした契約は一応9月2日までだったから。なんていい加減!ただこれはラマダン開始日と関係があったため、変更の余地があるのは知ってました)

2008年2月1日から始まったこの契約、思えば長く険しいものでした。(本当か?)

マネージメントの人たち、レストランやクラブで一緒に働くスタッフの人たち、ミュージシャンの人たち、ホテルに長期滞在していてよく観に来てくれた(もしくはただシーシャ=水タバコを吸いに来てただけか知りませんが、あえて私を観に来てくれていたという自分に良い解釈をしてみる)人たち、時間があるときには必ずと言っていいほどほぼ毎晩のように応援に来てくださった商社の人(失礼な言い方かもしれませんがあえてこの呼び方をさせていただいてます)、事あるごろに応援に来て下さった日本人のファンクラブの方たち(小さいの、出来てたみたいです)、日本人が踊っていると聞いて遠くからいらして下さった日本人の方たち、長い間本当にありがとうございました。

アラブ人は、生まれたときからアラブ音楽を聴き、その文化に触れ、気付いたときからオリエンタルダンスを踊っている。お酒が2,3杯入れば皆上手に踊りだす(って、イスラム教徒でしょ?お酒駄目じゃん)。そうじゃない人たちにはこの踊りは無理がある。

これはとあるお客さんが私の契約終了日前日、私に言ったこと。

そんなことを言われたら身も蓋もないじゃん・・・。

もちろん、役に立つと思えるアドバイスなら、どんなアドバイスにも耳を傾ける。それが上達へ近道かもしれないと思うし、他人の意見には客観的要素が入っていると思いたい。それは、できるようになった。そしてそれをただ単に受け入れるだけではなく自分でも頭で、そして体で考えてみるということも。

このお客さん、フランス在住のチュニジア人だそう。(後で、色々お話して通じたところもありました。この人にはこの人の考え方や感じ方があるのです。もちろん今回彼の言ったことで学んだこともあります。)

もちろん、物心ついた時からその文化に慣れ親しみ暮らしてきた人たちにはかなわないかも知れない。日本人がオリエンタルダンスを踊るなんて変なことかも知れない。

でもそんな当たり前のことはさておいて、私を見て、そして踊りを見て私を受け入れてくれたここの人たちに、この一連のことで改めて、そして心から感謝するきっかけにもなりました。

アルジェリア人、愚痴も言ったがあなたたちの寛大さに救われたこと幾度と知れず。

こんなことをここに書いて感謝したところで、現地の、ここの人たちには分かることではないけれど、せめてここでお礼を言わせてもらうことで、私の気持ちも落ち着きます。

アルジェリア、ありがとう!

そして、またね!*

* 実は契約リクエストのお声がかかり、ラマダン後、またここに戻ることになりました。いやあ、アルジェリアとの縁って中々切れません(笑)。

2008年8月26日火曜日

ショーとワークショップのお知らせ

今年はラマダンが9月上旬から1ヶ月間始まる関係で、
9月10日より、ASYA(アシア)、3週間ほど一時帰国します。

以下、その際のショーとワークショップのお知らせです。

年に一度しかないこの機会、是非ASYAの本場のベリーダンスを見にいらして下さい。
どのお店もお席には限りがございますので、お早めにご予約されることをおススメします。

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☆ ショーのお知らせ

9/12(金) 8pm~ 新宿 ボスボラス・ハサン トルコレストラン
            03-3354-7947
9/18(木) 8pm~ 市ヶ谷 ボスボラス・ハサン トルコレストラン 
            03-6431-8803
9/19(金) 8pm~ 新宿 ボスボラス・ハサン トルコレストラン
            03-3354-7947
9/20(土) 8pm~ 新宿 ボスボラス・ハサン トルコレストラン
            03-3354-7947
            http://bosphorushasan.com/
9/22(月) 7pm~ 銀座 ナタラジ銀座 インドレストラン 
            03-5537-1515
            http://www.nataraj.co.jp/
            ASYAライブ with タブラクワイエサ
                    (アラビック・パーカッション・グループ)
                     http://kwaiesa.net/
            ☆こちらは2部構成のスペシャルライブになります。
            お一人様ディナー付(デザート付、飲み物別)で4,800円。
            広告はこちらから↓
            http://www.nataraj.co.jp/jp/live/Live.html

9/24(水) 8pm~ 新宿 ボスボラス・ハサン トルコレストラン
            03-3354-7947
9/27(土) 8:30pm~ 川崎 タンドーリ・インドレストラン 
              044-246-3882
              http://www.tandoorijp.com/japanese/index.html
* どのお店のお料理もおいしいものをご堪能いただけます!
* ボスボラス・ハサンと、タンドーリ・インド・レストランは、通常のレストランショーになります。

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☆ ワークショップのお知らせ

今月渋谷にオープンしたタブラクワイエサのスタジオ(http://ameblo.jp/el-salaam/)にて、ベリーダンスのワークショップを開催いたします。ベリーダンスが上手になりたいと思ってやまない方、こちらもお気軽にご参加ください。

**** 期間限定!ASYA(アシア)帰国期間のみの特別ワークショップ ****

ある程度基礎が身に付いている方向け、レベルは問いません。
今よりもっと上手になりたい、ベリーダンスを楽しみたい方など、どなたでもお気軽にご参加ください!これからステージパフォーマンスを洗練させていきたい方にもおススメです!

今現在、中東アラブ圏で日本人ベリーダンサーとして活躍中のASYA(アシア)が、日本人だからこそ伝えられる技や情報を少人数対象に丁寧に指導。得られること、次のパフォーマンスや発表会で役立つこと満載間違いなし!のワークショップ。

毎回最大人数 12人限定。

各回 4,500円(税込み4,750円)
2回目以降は各回500円引き

申込・問い合せ先はStudio el Salaam⇒ 03-3868-2083

期間限定!ASYA帰国期間のみの特別ワークショップ
この機会をお見逃しなく!!
12名という少人数制、限りがありますので、お早目のご予約をおススメします。
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☆ 9月14日(日) 13:00~15:00 (2時間)

オリエンタルダンス~本場スタイル

今までに見たことがない!
インパクトフルでスタイリッシュなオープニングで観ている人の気持ちを一気に掴む。
本場中東で好まれる、オープニングに使用できる曲を使用。小振り付けを通して、目に新しい、体に新しい表現法や普段は思いつかないダイナミックな技、特別なヒントなどをレクチャーします。

ベリーダンスを踊る上でも、オープニングの第一印象は大事なところ。このクラスでは比較的覚えやすい振り付け、それでいて人の目を惹く効果的なオープニングの踊りを目指します。
やってみたいけど出来るかな?と思っている方にこそ受けてもらいたい内容。ASYAならではのレッスン、一度でASYA流に触れてみたい方にはもってこい、経験の浅い人にもおススメのクラスです。

*目安:ベリーダンス暦6ヶ月以上の方対象
*持ちもの: ベール、ヒップスカーフ、動きやすい服装
(体の動きが分かりやすいぴったりしたTシャツ、ストレッチパンツなど)

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☆ 9月21日(日) 17:00~19:00 (2時間)

オリエンタルダンス~即興

オリエンタルダンスの真髄として求められる即興性、ベリーダンスは即興で踊るもの、と頭では分かっているけれど、実は中々出来ないもの。このクラスでは、早いうちから即興を楽しめるようになるヒント満載の内容でレッスンします。

音楽の聴き方、音の取り方、間の取り方など、応用できる動きのバリエーションやコンビネーションなども豊富にご紹介。ASYAならこの曲のこの場面ではこう踊る、等実演も含めて進行。

大小表現のつけ方、踊りを通しての感情表現、歌詞の意味など、一曲の中のほんの一部分でも即興で踊れるようになるアプローチでこのセッションを完成させます。即興に慣れる、自信を持つことで、自分のダンス範囲もぐんと広がります!

*目安:ベリーダンス暦1~2年以上の方対象
(上記はあくまでも目安です。興味はあるしやってみたいのだけどちょっと不安・・、という方はご遠慮なくご相談ください)
*持ちもの: ヒップスカーフ、動きやすい服装
(体の動きが分かりやすいぴったりしたTシャツ、ストレッチパンツなど)
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☆ 9月28日(日) 14:30~16:30 (2時間)

ドラムソロのバリエーション

短めで、比較的簡単なドラムソロの曲を使用します。曲に合わせて刻むビートやアクセント法の様々なバリエーション、ドラムソロ特有のコンビネーションを多数ご紹介。

曲中のタブラの音の違いを聞き分け、音に忠実に体を対応させるオリジナルでスタイリッシュな振付をマスターさせます。ステージで映える演出に最適な動きを身に付けことができるセッションに仕上げます。

*目安:ベリーダンス暦1年以上の方(アイソレーションの基本が理解できている方)対象
(上記はあくまでも目安です。興味はあるしやってみたいのだけどちょっと不安・・、という方はご遠慮なくご相談ください)
*持ちもの: ヒップスカーフ、動きやすい服装
(体の動きが分かりやすいぴったりしたTシャツ、ストレッチパンツなど)

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ASYA(アシア)プロフィール

1999年オーストラリアにてベリーダンスを始める。2001年よりベリーダンス音楽を手がけるレバノン人音楽家Emad SayyahのCDカバーダンサーMonica Ozturk率いるJewels of Arabiaのメンバーとして豪メルボルンを中心に活動。

帰国後2003年より東京でのプロ活動を開始。中東レストランショーや多数イベントでパフォーマンスをこなす傍らダンススタジオ、カルチャースクール等にてベリーダンス講師も務め、雑誌・テレビ等メディアでも取り上げられる。
本場中東アラブ圏の5ツ星ホテルやレストラン、ナイトクラブなどをクライアントに持つレバノンの大手エージェンシーからのスカウトを受け、2007年から同エージェンシーに唯一のアジア人ベリーダンサーとして所属。中東本家の優雅さとダイナミックさを兼ね備えた日本では稀に見る正統派レバニーズオリエンタルダンスを踊る。2007年にはレバノンのインターコンチネンタルホテル、2008年にはアルジェリアのシェラトンホテルと契約を結び、毎晩2ステージをこなすなど、本場でも大好評、話題を呼んでいる。

2008年8月19日火曜日

お返事

レバニーズ・オン・パレードに出てきたCaracallaの愛想良いおじさんへの電話のお話。

さてこのおじさん、自分がアルジェリアを発つ前に、何度も何度も私に念を押しました。

私が私のエージェントと連絡を取って、どんなアレンジメントが可能か、私が双方のエージェントに属することが可能か、そして彼の元でレバノンで踊るか、その他もろもろ私の意向をいち早く電話で教えてくれ、と。

そして滞在期間中、私を見かける度に渡してくれる自分の電話番号(レバノンのね)。別に会うたびに毎回番号が変わってるわけじゃないのに・・・。彼を安心させるため、私もアルジェリアの携帯番号を教え、去っていったおじさん。

でもこのおじさん、前にも言ったとおり、見事アラビア語しかしゃべりません。

弱ったな、と思っていたある日、偶然にも最終日に通訳をしてくれたアルジェリアンサッカー選手を目撃。

私に気付いた彼のもとへ、近寄ってちょっと聞いてみる。

あのね、この前のおじさんなんだけど、彼に連絡を取りたくて・・・お誘いは嬉しいけど、とりあえず今のエージェントに留まることを言わなければと思って、と。

そうか。
何も知らない人だったのに、超短時間で誰よりも状況を見事把握してくれた彼。それだけで既に頼もしい。

ちょうどその日は水曜日。夜も遅めだったのは確かだけれど、彼が言うには週明けに電話をしてあげる、とのこと、土曜日の夕方7時、同じ場所で会うことを約束する。

これで解決しなければと思っていた問題がひとつ減る、と安心した私。

そして土曜日7時、同じ場所に、彼は、来ない・・・。
待つこと20分。信じた私がバカだった。安心した私がバカだった。
時間を無駄にすること30分、仕事の支度もあるがゆえ、その場を後にする。

しょうがないな、と思いつつ、仕事へ向かう途中、さっきの待ち合わせ場所に彼が不機嫌そうな顔をして私を呼び止める。

いつまで待たせるんだ。7時の約束だっただろう?

・・・って、どういうこと?そう言う彼に、おぬし、何を言うておる、私は7時ぴったりにここで30分も待ったのに、来なかったのはそっちでしょう、と一言言ってみる。すると彼、2時間後の針が差す時間を自分の腕時計で改めて悟る。あー、ごめんごめん、今が7時かと思ってたよ。

ふざけんな!!(時間はどうあれ、彼が約束を覚えていたこと自体に内心びっくり)

彼の言い分は、サッカーの練習をして帰ってきたら時間が分かんなくなっちゃって。ってどんな言い訳だ。時計を見ろ、時計を。

仕事に向かう途中、電話をしてもらう時間なんかあるはずなく、今度は次の日の別の時間に待ち合わせをすることに。この待ち合わせ時間、やっぱり7時じゃ早すぎる、と彼が決定した時間、8時半。

が、次の日も彼はその時間に来ることはなく、そしてその後彼を見かけることもなく、今日に至る。

結局連絡してない私もどうかとは思うけれど、おじさんも私の番号を持っているはず。本当に本当に欲しかったら、誰かに頼んで私に連絡することだってあり得るよね。

・・・これはある種の引っ掛け問題?

と、最近思ったりもする。

※9月にレバノン入りしたら現地の人に連絡してもらいます。

2008年8月18日月曜日

タリックの名誉

何度かエントリーでもお話したキーボードプレーヤーのタリック。の、ために申し上げますが、

レストランでのバンドは、レストラン自体がプールサイドのテラスに移った時点で入れ替えが起きてます。

だから、毎晩演奏する曲が同じバンド(皆良い人なのだけど)には、タリックはいません。

タリックの名誉のために。

文句・オン・パレード

今となってはどうでも良いのだけれど、事実を知ってもらいたいが為、
外で踊ることの文句・オン・パレード。

とにかく暑い。

夜でも暑い。

湿度が高く、踊りだして数分もしないうちに汗をかく。
すると髪の毛が体にまとわり付き、腕の周りを何周も・・・。
蛇じゃないんだから。

そんな状況下、

腕は自由に動かせぬ。

したがって、

体は自由に動かせぬ。

ターンだってろくに出来ぬ。

それでも笑顔を保ちつつ、もちろん踊りながら、端から体にまとわり付いている髪の束を体からとりあえず離していく。でもまたもとの木阿弥。そんなことを繰り返す日々、早2ヶ月半。

タイル張りの床。タイルとタイルの間はやっぱりでこぼこで、決して踊りやすい地面ではない。

ヒールを履きつつ踊っても、地面を見ながら踊るわけには行きませぬ。

動いて着地した地面の場所が、でこぼこ両方に乗ってしまった場合、踊りを保ちつつ足場の良いところを動いて探す。

人は見ない、足元を。だから、私の笑顔にだまされる。でもあるのです、上半身は動かぬとも、本当は足元が忙しく動いていることも。そんなことを繰り返す日々、早2ヶ月半。

一緒に踊るバンドの音楽が、毎晩毎晩同じこと。

WardaのHarmat Ahebak (I cannot love you)という曲。
http://www.youtube.com/watch?v=8zOgirQt_R4

良い曲なのだけど、これだけ毎晩これで踊らされると、同じ歌手が歌い方を多少変えたってもう駄目だ。

リハーサルをする時間は持つから、お願いだから音楽を変えてくれ。でないとこの音楽ではもう踊れない。と言った時から数えて1ヵ月半ほど。分かったから、来週ね。月曜日ね。と言われたのは遥か記憶の彼方。それでも曲を変えない彼ら(というより私の観察上、歌い手の人だな、曲を変えたがらないの)、同じ演奏を繰り返す日々、早2ヵ月半。

つい最近、勇気を持って(?)ある日私は言いました。

音楽を変えてくれないならもうCDを使うから、と。

その日そう言われて焦ったのか、音楽を急遽変更してくれたは良いものの、上手くいかないと思ったのか、翌日からギブアップ。それ依頼CDで踊っております。ライブバンドに合わせて踊るのはこの上なく嬉しいことですが(毎晩毎晩同じ曲で踊ることは前提にありませんのでご注意を)、いやいや同じ曲で踊るのより、正直こっちの方が気分が良い。

曲はたくさん知ってるんだから、努力しようよ、レパートリー増やそうよ。
そう思うこと早2ヶ月半。

でもそろそろこのタフな状況から脱出です。

だって8月29日で契約がひと段落するのですから。

(最後は同じ曲でもいいからバンドとまた踊ることにしよう、と内心思う)

あとちょっと。がんばれ自分。

2008年8月16日土曜日

レバニーズ・オン・パレード

時、さかのぼる事先月下旬のお話。

私は現在アルジェリアにいるわけですが、この同じホテルで、偶然にも何故か1週間ほどほぼ毎日連続してレバノン人に会う機会に遭遇。しかも皆お互い何のつながりもない人たち。

いつものように、プールサイドのレストランで踊っていると、アルジェリアンチックとは違うセンスの良い格好をした男性陣7,8人、テーブルを囲んでいる。

よく見ると彼ら、体格もいいしノリもいい(顔もいいけど)。アラビック手拍子だって心得てる。

どっから来たの?と聞きつつも、もしかしてレバノン人?とも聞いてみる。

思いの通りの回答に、やっぱり!と思う自分。

このホテルは、各国からそれぞれビジネス関係で来る人が多いのだけど、その次の日も、また次の日も見かけたイケメンリーダー率いる(勝手に総称)レバノン人グループの彼ら。

レバノン人と分かると話さずにはいられない私。特にこれといった会話ではないのだけど(笑)、踊りながら多少なりとも会話する。そして分かったのがビジネスプロジェクトの関係でここに1週間から10日程滞在するらしいということ。

そんな彼らとは別に、次の日に見かけたレバノン人グループ。でもこの彼ら、こういうところで見かける私の言う年頃(?)一般的レバノン人と、身なり格好が違う気が。よくよく聞いてみると、彼らはDabkehのパフォーマンスグループの人たちと言う。次の日から数日間、2、3隣町でのショーがあるそう。驚いた。レバノン伝統の踊りをこのアルジェリアで観る機会があるのだとは(残念ながら私は仕事で観れないけど・・・)。

Dabkehとは、歴史的にはLevant(フランス語で「日の出る方角」、レバント地方とはエーゲ海および地中海東岸の地方、特にシリア、レバノン、イスラエルの地域)の伝統的フォークダンスであり、現在のレバノン、パレスチナ、シリア、ヨルダンのナショナルダンスである(それぞれリズム等少しずつ違うよう、イラクにも有り)。形式は、ラインダンスで、トルコ、アゼルバイジャン、ジョージア、ギリシャ、アルマニア、東欧などでも踊られるコミュニティーダンスと似ていて、用途も、結婚式や他お祝い事の行事でよく踊られる。団結を意味し、ナショナリズムを表現する芸術や文化を積極的に表現するものでもある。そう、そういえばトルコの結婚式でも皆こぞってDabkehのステップと似通ったラインダンスをしてたことを思い出す。

右端の人物をリーダーとし、男性、女性、もしくは共に一列に手をつないで踊られる。そしてそのリーダーはRaas(頭の意味)もしくはLawwih(振る人)と呼ばれ、手を宙にかざし、誇りを持って直立した木の幹を象徴。リズムに合わせ、大地に足をつくその行為は、大地と彼らの関係を強調、Dabkeとは、アラビア語でもともと足を踏み鳴らすという意味であり、ジャンプやキックという動きはDabkeのユニークさを特色づける。同時に、リーダーは片手にハンカチもしくは数珠を持ち絶えず回し続ける。

ちなみに、あまり良いDabkeのビデオは見つけられてませんが、以下、参考までに。

画質があまり良くない(わざとぼかしてる?)のと、実際の音楽が録音されてないのが残念ですが、皆上手です。http://www.youtube.com/watch?v=XGvoiBCeb-A

これはベイルートの海沿いCornicheで。http://www.youtube.com/watch?v=xOskchTjzQQ&feature=related

さて、一通りDabkeの説明が終わったところで、

なるほどアーティストか。どうりで長髪やら髭もじゃやらアーティーな格好をしてると思ったんだ(皆こぞってヒッピーっぽい綿のゆったりパンツにちょっと変わった面白いロゴのTシャツを着ている)。そうと分かっていればDabkehの音楽をかけたのに。ちなみにレバノンで踊った去年は、レバノン人は大好きだから、と、ショーにはなるべくDabkehの音楽を入れるようにしてたもの。プロの迫力のDabkehを観てみたかった・・・。そして一緒に踊りたかった・・・。

翌日、レストランでの踊りを終えて家路(?)を急ぐ(??)私に、プールサイドで話しかける人約2名。

1人はものすごく愛想良く、そしてもう1人はものすごく愛想悪く(まあそこまで悪かないが良くもない)。

そしてこれは後で私が勝手に解釈したのだけれど、愛想の良かったおじさんが、私に話しかけたかったものの、彼はアラビア語しか出来ず、もう1人は否応なしに通訳として無理やり連れてこられたということ。

愛想の悪いおじさんが、一応愛想の良いおじさんの言いたいことを伝えたのだと思えるのだけれど、何のことかも良く分からず結局その場を後にすることに。幸い、愛想の良いおじさんは私に翌日の14時にロビーで会う約束にこじつけたことで嬉しそう。私はというと、とりあえず部屋に戻れるので嬉しそう。

翌日14時、待ち合わせ通りの時間にロビーにいた愛想の良いおじさん、どこからともなく今度は別の「通訳」を探してやってきた。そう、この愛想の良いおじさん、もちろんレバノン人なのだけど、どうやら私に未来があると思ってくれたよう。レバノンで踊らないか?と。とりあえず私はレバノンのエージェンシーに所属していることを伝える。そしてそれがレバノン、湾岸諸国で業界最大手のものだと。エージェントの名前を言うと、彼も、その通訳の人もエージェントを知っている。もちろん、私のエージェントとの摩擦なんか起こしたくないから、エージェントに話をしてもらって最善の方法を取ろう、と言ってくれたのだが・・・。

さて、こっからがとってもレバニーズ。愛想の良いおじさんは、とりあえず私の写真が欲しいと言う。そこで出てきたのがこの通訳レバノン人。彼らもあと数日しか滞在しないが故、とりあえず連絡先をということで、私は何も考えずに彼に部屋番号を渡す。だって愛想の良いおじさんと連絡を取ろうとしたって意思疎通どころではないのだから。

部屋に戻るなり鳴る電話。

しまった。レバノン人だってこと、忘れてた。受話器を取ってみるとやはりさっきの通訳人、トニーである。

僕の部屋にコーヒーでも飲みに来ないかい?って遠慮しとくよ。

じゃあ君の部屋でコーヒーでも飲めないかい?ってナイストライ。だめだめ。

これだからレバノン人は(私自身は案外面白がってるけど)。基本的にレバノン人男性、獲物を見つけるとすぐ狩りに出る・・・。

この典型的レバノン人男性は放っておいて、愛想の良かったおじさん、後日また別の通訳を連れて、仕事帰りの私を捕まえる。すごい信念だ。よっぽど私のことを気に入ったに違いない、と思ってしまう。ちなみに今回の通訳はとても優秀で(外国生まれのアルジェリア人サッカー選手、中田を知ってた!)、今までの謎が全て一気に解けた。

まず、この愛想の良いおじさん、Caracalla(http://www.caracalladance.com/home.html)というレバノンの有名なダンスシアターグループ(日本にも公演で来たことがあるらしい。出来ることならこのグループ、私も所属してみたかったとてもエキサイティングなダンスシアターグループに思えます)の一員で、30年間籍を置いた後、近々現役を引退、これを機に、エージェント業を開始しようとしているらしいこと。そしてその第一号アーティストが私だということ(彼の頭の中でね)。

最初に通訳として無理やり連れられてたっぽい無愛想おじさんは、Caracallaのオーナーの1人。2人目の通訳トニーは、このダンスグループとは関係ないらしいけれど、同行していた人の1人。

要するに愛想良いおじさん、私の写真の要求と、是非返答が欲しいとの事を翌日アルジェリアを去る前に再度プッシュしておきたかったよう。レバノンの連絡先を残して。(こちらは後日「お返事」と題したエントリーでこの後何が起きたかを説明するつもり)

こちらはレバノン人女性歌手Carole Samahaとの共演で空を飛んだビデオクリップで、話題を呼んだ(私の中でね)レバノン人男性歌手Marwan Khoury。

これ↓
http://www.youtube.com/watch?v=OQX1VqajRRc

実はそのビッグな彼も同時期このシェラトンホテルに!実は事前にいる、ってことは独自の情報網から仕入れてはいたものの、まさか帽子をかぶってレストランの一角である暗いKhaima(アラビア語でテントという意味)に居たとは・・・。うかつだった・・・。サインもらえたのに、写真取れたのに・・・と、悔やんでみる。

最近、上でも話したDabkeh用の音楽、El Tanoura(アラビア語でスカートという意味)という曲で一躍有名になったFares Karam。

Dabkeh音楽の王様はAsi Helaniなのですがhttp://www.youtube.com/watch?v=6iflLeDa2_k、Fares Karemももちろん有名。

また別の日に踊っている最中、大勢の人が囲むテーブルにいたのは頑丈そうな人見知りのお姉さん。その彼女、何故か私に目配せをする。が、意味が分からずそのまま踊り終える私。踊り終えた私に聞くそのお姉さん、今からかけるCDで踊ってもらえない?と。確かにテーブルの上に何か同じようなCDがいくつも置いてあった。同じ写真も何枚もあった。そしてテーブルに付いている1人が、その写真の人ではあった。その人が歌手だよ、とも言われた。でもね、それがFares Karamだとは思いも寄らず、かかり始めた音楽も、Dabkehだなと思い、El Tannouraだな、とも思い、同じテーブルでノリの良いおじさんと2人でDabkeを踊り、同じ曲をカバーしてる歌手の人なのかな、と思い、去っていった私。

何がきっかけでそれがFares Karam本人だと分かったのかは覚えてませんが、カメラを持ち歩いているわけではない私、その辺にいた優しそうなお兄さんを捕まえて、カメラ借りて写真を撮ってメールで送ってもらってもいいという約束にこじつけ、急いでFares Karamの居るテーブルに戻ったその証がここに。


レバニーズ・オン・パレード。

2008年8月12日火曜日

2度目の結婚式

いえ、だから私のじゃありませんってば(くどい?)。

さて、ブログは夏休みを取っていたわけですが(?)、仕事は毎晩、イベントフル(ほんとか?)な夏を送っています。

ということで、先日アルジェリアにて2度目の結婚式に出席してくることに。

今回はもう少し客観的にアルジェリアン結婚式を観察してみる。

まず、結婚式は、要するに花嫁が色んな衣装を着て出てくる晴れ舞台の日。まあこれは万国共通なのでしょうか。

開始時間は2時、のはず・・・。

徐々に集まる人。この日の結婚式も、女性だけの結婚式。暑い外からアバヤをまとってやってきた女性たちも、会場に入るなりそのアバヤを脱ぎ捨てる。

そして恒例のアルジェリアン挨拶。結婚式ともなると、親しい間柄の人をよく見かけるのか、頬にするキスは交互に数えて4回。

そして待たされること約1時間。

言わずと知れて、会場はやっぱり全て女性で埋め尽くされる。ただオーディオ機器の設定をするらしき3人は男性なのである(いいのか?)。そしてぞろぞろとやってきた女性バンドのメンバーたち。ビデオ撮影陣も、フォトグラファーも皆女性。

そして始まる演奏。アルジェリアの音楽は、最初から最後まで文字通りズンチャカやっているので、私は個人的にあまり好きではないのだけれど、どこからとも誰からともなくこの音楽に合わせて皆そろそろと踊りだす。そう、この終わりのない音楽に終わりなく踊っていられる彼女たちにはある意味才能が。

もちろんオリエンタルダンスも皆それなりに踊れるのだけど、こういう場で一般的に踊られるのは、音楽のビートにあわせてステップを踏みながら腰を激しく震わすKabyle Dance(カビリダンス)で、以下のような感じ。クリップの始めの方に、写真が2,3枚出てきますが、アルジェリア人の女の子はこんな感じ。

http://www.youtube.com/watch?v=SZxfxJeuQQQ

カビリとはアルジェリアの少数民族集団で、ナイル川より西寄り、北アフリカにいる固有人種ベルベル人のうちの1民族で、アルジェリアの北東部に住んでいる。ちなみにフランス国籍の元フランス代表サッカー選手ジネディーヌ・ジダンも、アルジェリア移民2世でカビリであるそう。

さて、で、今回感じたのは、結婚式も色々あってやっぱりお金がかかっているのだろうなと言うこと。

結局は色んなドレスを着て皆の前を歩き回る。そしてそれをビデオにおさめる。

まあ記念なんでしょう。

前回の結婚式と違って、今回は最後に新郎が訪れ、きちんと新婦をリードしてあげていたこと。もちろんこれもビデオにおさめられる。

でもね、彼らが登場、会場を一回りして着席したらなんとまあ、おいおい、もう帰るんかい、って結婚式に来た人たち。さっさともらった結婚式特有のお菓子を両手に去っていく人たち。二人が退場するまで待ってあげるっていう意識はないの?ほんとに勝手なんだから。

結局新婚の二人はフォトグラファーと写真撮影に没頭してました。ちなみにここの花嫁は必ず泣く。

それからここの国の結婚式、曜日はこれっぽちも関係ないよう。

これで終わりかと思ったら、今回の結婚式の新郎は、前回も今回も私を結婚式に連れて行ってくれたマディナ家族の親類とのこと(もちろん前もって知ってました)。家族は、彼らの運転する車を挟んで前後でその車をホテルまで「誘導」する。

そう、アルジェリアでは結婚式の夜は、式会場がどこであれ、ホテルに泊まるらしく、会場からホテルまでの道のりは、友達、家族の車でぞろぞろとハザードランプをつけ、クラクションを鳴らしながら、のろのろと運転して進んでいく。やってる人たちにとっては楽しいかもしれないけど、道で急いでいる人にとってはたまった催し物じゃない・・・そしてまた40分後に仕事を控えている私にとっても・・・

それはそうと、この国一番に高級なここシェラトンホテルは、新婚のカップルがよく結婚式に泊まりに来る。なので、普通に歩いてて前方に花嫁が、エレベーターを降りたら(たまには使う)前方に花嫁が、踊ってたら前方に花嫁が(その場合maburuk=アラビア語でおめでとうの意味、と声をかけますが)、なんてことが多々あります。

でもホテルに着くなり新婚カップル、そのままお部屋に行けるわけではなく、自分でチェックイン。先日はレセプションでチェックインするスーツ姿の新郎、長い裾のウエディングドレス新婦を発見、レセプションでなんかちょっと揉めてたみたい。あーあ、せっかく良い日にしたいのに。

いいのかアルジェリア・・・。

2008年7月25日金曜日

一日2時間

海外駐在員としてホテルで働いている一人のヨシュ(仮名)は、私の良き友達でもある。
ユーモアセンスたっぷりの彼は、クウェート、カタール、ドバイなど、中近東でもう何年も働いているexpat。

先日、そのヨシュを見かけたのでニコニコ顔で話しかけた。

もう仕事終わったの?

この質問がいけなかった。時、既に午後7時。

もう終わったの?

そういう意味で使った「もう」ではないのだけれど、ちょっとだけムッとした表情を見せた彼。その日は機嫌が悪かったのでしょう、そう問いかけた私にこう返答する。

朝7時から夜7時までだ。十分だろう?

と。

そしてこう付け足しながら。

君みたいに一日2時間で済むわけじゃないんだから。

そう言った彼も悪いと思ったのか、その場を取り繕うようにはしてくれたのだけれど・・・。

確かに私の仕事は一日のうちほんの数時間。そんなに高額ではないけれど、それなのにそれなりのお金をもらっていて、遠慮深い私は長時間労働している人や現地の人に対してちょっと申し訳なく思ったりもする。

好きで選んだ職業ではある。趣味が高じて仕事になり、仕事が私の糧となる。なくてはならないこの糧が、私の人生そのものとなる。

でもね、知っておいてもらいたいのは、表には出さないけれど、これはこれでとてつもないプレッシャーでもあるんだよ。良いフィードバックも受けるけど、受ける批評は全て自分自身で消化しなければいけないの。パフォーマンスは始まりから終わりまで一日数時間の世界がゆえに、それに要する準備の全てにおいても、注ぎ込まれるエネルギーも、日中の人とのやり取りも、全てその日のパフォーマンスに関係してしまう要素を持っているからこそ気も遣う。もちろん全てを切り離して機械のように個々に扱えればそれは最適だと考える。努力はすれど人間だからそれは無理な話。私の仕事は踊るだけではいけないし、それ以上のものも要求され残すべきもの。

フリーの時間が多いのは事実だけれど、一日のうち本当に一息つけるのは仕事が終わってからその夜寝るまでの間。

だから夜寝るのが遅くなる。

文句を言っているわけではないし、情熱を糧に出来ている自分の境遇に、むしろ計り知れない感謝はしている。

でも、ちょっとだけ愚痴をこぼしてみたかったそんな日。

2008年7月20日日曜日

不可解なこと その2

さてこちらはアルジェリアの交通事情。

ここでは信号をあまり見かけない。仮にあったとしても、その信号機はファンクションしているにも関わらず、かなりマニュアルチックなやり方で交通ポリスが交通整理をしている。

そしてここでよく見かけるのがロータリー。

ラウンドアバウトと呼ばれる環状交差路(いわゆるロータリー)がたくさんあるオーストラリアで免許を取得した私にとって、ロータリーとはそれはそれは理に適った交通システムだと思っている。

通常、ロータリーは、交差点での交通を促すために信号機ではなく環境にやさしいからか経費のためなのかは分からないけど設けられた優れもの。ロータリーに後から入る車は、ロータリー内の空きを見計らってその中に入り、既にロータリーの中に入って動いている車の行動が優先されと思われる・・・いや、思われるのではなく、優先される。これ、通常のロータリー。

例えば、アルジェリアでは左ハンドルに右側通行。ロータリーも反時計回りとなり、ロータリーでは先にロータリー内を走っている車の行動が最優先という世界共通の常識があてがわれると思うのだけれど、この当たり前的な考え、ここではこれが大きな間違い。

というのが、どの人に聞いても、どうやらここではその反対のルールがあてがわれているようだから。今からロータリーに入ってくる車が最優先と・・・。となると、先にロータリーをクルクル回っていた車は、流れを停めてまで今から入ってくる車に道を譲る。するとロータリーに入っていた他の車も停まらざるを得ない。

・・・結果、とてもややこしい交通渋滞が起こるじゃないか!

でも誰もがその認識を持って運転しているのであれば、今更それを変えることも難しいのだろうか。なので、誰かが運転する車に乗っている時に私はこう思う。入るほうが先、と。

でもそう思って車に乗っていてもとんでもないシチュエーションに多々出くわす。ロータリーに差し掛かっていざ入ろうとすれば高速でやってくる既にロータリー内にいる車(要するに優先されない・・)。既に入っているロータリー内から今からロータリーに入ろうとする車を入れてあげようとしても入らない車(どうしても停まることになってしまえば後ろから煽られることも)。

ルールがあってもないのがアルジェリア。よく分からないけどとりあえず事故を起こさないように注意するのが一番というところに及ぶ考え。
アルジェリア、要するに何でも臨機応変にって事でしょう。

2008年7月17日木曜日

不可解なこと その1

先日愛を告白してくれた真っ黒に日焼けした9歳のノーラ、ここの所ずっと彼女が1人で朝食をとっているところを見かける。私を見かけると必ず挨拶しに来てくれるとっても可愛い子。

お母さんは?おばさんは?妹は?

と、聞きたくても上手く聞けない、そんな私(別に恥ずかしいわけじゃないんです。言葉が出来ないだけ・・・フランス語は未だに難しい)。

ノーラは毎朝、手がやっと届くか届かないかの位置のコーンフレークを自分の器によそっている。

ここで色々憶測を立ててみる。

お母さんは低血圧。だから朝は起きられない。

妹はお母さんと一緒。だから朝ごはんには来ない。

おばさんは、いつも一緒にいるわけではない。

そういうことか、と自分の立てた憶測が実に道理にかなっているものなのではないかと思ってみる。

が、しかし、昼間見かけるノーラもやっぱり一人。プールで遊ぶノーラも、また、一人。

レストランの人たちもそんなノーラとはもちろん顔見知り。一人で朝食を済ませ、領収書にするサインもお手の物。

一週間を越えたそんな観察の日々、ある日ノーラがお母さんと妹と3人でいるところを見かけたので聞いてみた。

よくノーラを一人で見かけるんだけど・・・と。

するとお母さんだと思っていた人物、実はノーラのお姉さんだと言うことが判明。要するに妹だと思っていた3歳のルブナ(以前書いた彼女の名前はやっぱり間違いでした)はノーラにとっては姪っこ。そしておばさんだと思った人は、ここのホテルにオフィスを構えて働いているノーラのまた別のお姉さん、だということも判明。ちなみによく大勢で食事をしに来るときの女性陣もほぼ姉妹同士だとか。ファミリービジネス?

ようやく解けた謎。だってここに何泊もするのって半端なく高いよ・・・。ホテルの勝手を分かっているノーラの行動にも納得。

これは勝手な憶測だけれど、年の離れたノーラのお姉さんたちがノーラの面倒を見ているところを見る限り、ご両親はお年を召していてノーラの面倒を見てあげられないのかな・・・。

2008年7月15日火曜日

意味不明な時は・・・

アルジェリアの代表的な特産物の1つに、デーツが挙げられる。

デーツとは、棗(ナツメ)。味として表現するなれば、どちらかというともっちりしたこしあんのようなもの。ねっとりして、重みのある、甘い果実。

私が食事をするレストランではアラカルトも頼めるのだけれど、ご飯はもっぱら日替わりビュッフェ。レストラン中央にはメインディッシュが並んだテーブル、デザートやサラダもそれぞれのテーブルを占め、果物も置いてある。先日お昼を食べていると、おなかの出っ張った見知らぬおじさんが1人で座っている私を見かけて声を掛けた。

お昼が終わったら何してるの?

と、言っていると思う。

でもここは分からぬふりをするのが賢明だと直感する私。

ごめんなさい、何を言ってるのか分からないの。

いやいや、だからあなたのお昼後の予定は?

・・・と、言っていると思われる。

どうせ何もないんでしょ。ちょっと付き合ってよ。

・・・失礼な奴だな、と思いつつ、上のようなことを言っているのは確かだな、と思う。

さて、ここで曖昧な返事をすると後で厄介なことになるのは目に見える。この手の人は相手の対応が甘いのを見透かしてどんどんつけこんでくる。

「分からないから」(諦めてくれ。と心の中で続く叫び)、と言っているにも関わらず身を乗り出して座っている私に立っているポジションからテーブルにビュッフェから取ってきた何かを載せたお皿を置き、両手を付き、そして私を見下ろしてずっと誘い続けるおじさん。こういう圧力をかける形で話をする人は大嫌い。

やーめーてーくーれー。と心の中で声を大にしての叫び。

ほんっとうにしつこい。

私だって失礼な対応はしたくないけれど、ここまで威圧的な姿勢の人には大変申し訳ないけれど最終手段を使うしか他ない。

私が分からないのをいいことに、どうにかして私からyesという返答にこじつけようと、どんどん早口で続けるおじさん。

ここまできたらもう「あなたの言ってることは意味不明」態度を押し通すしかないのである。

両手のひらをおじさんの方に向け、しかめっ面で首を振り続けること約10秒。長かった・・・が、やっと分かってくれた。もちろん最後ににっこり笑ってごめんね、と言うことは忘れずに。

そして去っていくおじさんが手にしたそのお皿には、山のようにデーツが乗っていた。

後でビュッフェの果物が置いてあるテーブルに行って分かった事。普段大量においてあるデーツ皿が半分空になっていた。

だからおなかがはち切れるほど出ちゃうんだよ。

2008年7月10日木曜日

そろそろ

アルジェリアで踊り始めてそろそろ6ヶ月。
ちと遅いですが、そろそろ問題浮上。

最近、ごくたまにではあるけれど、意思疎通が出来ずにイライラすることが。
というのも、皆フランス語は話すけれど、英語をまともに理解できる人がいない!
インターナショナルランゲージは英語だよ、え・い・ご!と叫びたくなる今日この頃。

ここ一応名の知れたホテルでしょ?

さて先日、私が食事をするレストランのウエイターの一人、ザメルが私に聞いた。

プールで泳がないの?

プールより海に時々入ってるよ、と私。

でも明日バッセマ(女性の名前です)とカリマ(こちらも女性の名前)と外の海に行くかも。

するとザメル、何故君はいつも女性と出かける?何故男性と出かけない?と。

何故男性と出かけない?って言われても・・・。

でもこれはアルジェリアでの男女間の友達関係の考えについて探るにはちょうどいい話題。と思い、そこからそのことに関して質問してみる私。

でもさ、女の子が男の子の友達と出かけたら男性は自動的に脈があると思うんでしょ?(アラブでは基本的にそういう厄介なことが普通にある・・・)その辺りのメンタリティーを知りたいんだけど。

けどザメル、私の質問には耳もくれず(もしくは全然理解されていない)しきりに何故外出は女性とだけなんだ?と繰り返す。

だから人の話を聞けい!!!!!

私が踊るレストランでのこと。よく踊るとき以外にも顔を見せにレストランに出入りする私。そこで働く誰か一人と話をしていると必ず、他の人と話をしていることが気付かないわけじゃないだろうに、私が振り向くまで「マリコ、マリコ、マリコ、マリコ、マリコ」と呼ぶ不届き者が。(注・ 6回マリコと呼ぶわけではなく、要するに私が振り向くまで100回でもマリコ、マリコ、マリコ、と続ける・・・)しかもそういう人が何人もいる。

君たちは先生の注目を浴びたい幼稚園児か?

人が他の人と話してるんだからそれが終わってから呼べ!

しかも私の注目を独り占め出来たと悟るとそこからフランス語だかアラビア語だかもしくは両者をミックスしたアルジェリアン言語で超高速球で私に話しかける。

分からん!何故だ?何故私に話しかける?分からないのを前提に。そこまでアテンションを求めて通じないことを何故言いたい???

先日はひどい目に。ショーの本番中、ベールを使ってクルクル回っている私を停めて話しかける不届き者ウエイター、ハミンが!しかも英語では伝えきれず、ぐちゃぐちゃと訳の分からぬ英語とフランス語ミックスの言葉で、私には理解しようもないことを伝えようとしている。後で知ってことだけれど、あるテーブルには行くな、というおふれが出ているからそのテーブルには踊りに行くなと言ったとの事。(アルジェリアでもレバノンでもそうですが、行ってはいけないテーブルは前もってウエイターなりレストランの責任者が教えてくれます。その理由は色々で、テーブルにものすごく敬虔なムスリムがいる、または一緒に来ている旦那にベリーダンサーなんか見せたくない、というご婦人がいる、等)

大体ね、踊ってる人を止めてまで言うことじゃないでしょ?曲と曲の間に捕まえて言ってよ。何で気が付かないかな。もうちょっと考えろ!って言うものの、違う、自分じゃない、と言い訳するハミン。何が自分じゃないんだ、私を止めたのは紛れもなくその自分じゃないか。

それでもいつもアラビアンポップスを歌って女性歌手の物まねをするそのウエイターのハミンは、何故か憎めない・・・。

注・登場人物の名前は全て仮名です。

2008年7月3日木曜日

新しい職場での実態

レストランがプールサイドのテラスに移動したと言うことは、私に「新しい」職場が提供されたと言うこと。

以下、私が面するシチュエーション。


地面が石畳のタイル張りで凹凸がある故、ヒールを履いて踊る私にとってはとても踊りずらいこと。←これ、ある意味訓練の一貫と考えれば一石二鳥?

そろそろ暑くなってきたこと。←バカンスにはいいけど。


海に極力近いからか、湿気が多く、大量に汗をかくこと。←踊り終わるといつもシャワーでも浴びたように汗をかいている。これ、ほんとに笑えない。

風がある日はベールを使うエントランスピースを踊りながら自然の力には勝てないなと思うこと。←そんな場合は無理にベールは使わぬべし。

いつからか2セット目のエントランスは、急遽バンドの演奏する曲で踊ることになったのだけれど、バンドの人たちが演奏する曲が毎回同じ曲だということ。そろそろ3週間、今週もまた、同じ曲・・・。もっとレパートリー増やそうよと思うこと。←こっちの人はいつまでも同じ音楽を繰り返し聴いて喜ぶのは確かだけど。

以上。

2008年6月30日月曜日

ジューン・ブライド(下)

ダンスフロアー的エリアの前方に位置する2つの椅子。
天井からはミラーボール。
どうやらそこに新郎新婦が座る模様。
そしてその隣にはDJブース・・・。

会場に一歩足を踏み入れたときから終わりのないアルジェリアン音楽が流れ、結婚式だのお葬式、ハッジ(ムスリム男性がサウジアラビアのメッカに行くとこの称号がもらえる栄誉あること)を迎えるときにも使われ、ベリーダンスを促す?ためにも使われる、ヒャーララララララララという女性が舌を小刻みに動かして発する甲高い音が、合間合間でひっきりなしに続く。ちなみにこの音は、英語でUlulationと言い、アラビア語ではZaghareet(複数形。単数だとZaghroutah)。アラブ圏のそれぞれの国や土地によって響き方が異なるのです。

さてそのZaghareet、流している曲にあらかじめ入っているものでしょうか、出席している女性が生音で立てている音でしょうか?

と、1人でクイズ番組をやってみたりする(本当にどっちだか分からなく、答えも明かされることはなかった・・・)。

この結婚式、面白いのは特に開始の合図もなく、ダンスフロアーに繰り出して皆そろりそろりと踊り始めるところ。そしてここで登場するのがヒップスカーフ(ベリーダンスのレッスンなどに用いるコインがジャラジャラ付いた腰に巻くスカーフ)をつけた女性たち。彼女たち、もちろん結婚式に招待された一般客。そうか、ここでのヒップスカーフの使い道はこういうところにあるのね。・・・にしてもおばさん、エジプシャンウォーク上手だよ。

そして前方右手にあるDJブースからここぞとばかりに歌いだすおばさんDJ。が、流している曲って既に歌入ってんじゃん・・・。歌う意味が分からない・・・。

もうお気づきかもしれませんが、この結婚式は、そう。女性だけが出入りできるのです。

とまあ全体像が掴めたところで近づいてくるZaghareetの音。すると踊っていた出席者がまたそろりそろりと各自自分の席に戻り始める。これは花嫁が部屋に入ってくるという合図なのです。取り巻き(?)数人に付き添われ、会場をぐるっと一回り、まずはピンクのドレスに帽子をかぶせた出で立ちで花嫁の登場(ちなみに新郎はまだです)。歩く先にはそれぞれビデオカメラを抱えた女性が二人。後ろ歩きをしながら今日の主役をばっちり撮影中。

皆の祝福を受け、一周し終わった花嫁がDJブース横の椅子に着席すると、先ほどのカメラパーソン、花嫁に座り方の指示を出しながら、彼女の足元から撮影を始める。そう、ここで私が見た結婚式のビデオ、会場に入ったシーンでは、実はどれも何故か花嫁の足先から映し出されるのです・・・。

この後花嫁は何度となくお色直しを繰り返し、会場を出たり入ったりするのですが、結果から先に言うと、なんとお色直しの数、8回。日本で結婚式に出席したことがない私は、一般的な結婚式で大体何回お色直しをするのか分からないけれど、まあ着る方楽しく、見るほう楽しくやるのが趣旨なのでしょう。一生に一度のものだから(と、皆思うもの)。そして忘れてはならないのが出席客にもお色直しをする人がいるということ。もちろん皆ではないけれど、お洒落に気を使っているのか、お金があるのか、もしくはただ単に見せびらかしたいのか・・・。とはいえ日本でこんな人いないでしょう。おいおい、主役はあくまで花嫁です、花嫁。今回もいました何人か(ビデオでも)。

こっちでの結婚式に付きものなのが、アルジェリアの手作りお菓子を提供すること。会場で働く人たちがトレーにこれでもかと言うほど甘いスイーツをいっぱい載せてそれぞれのテーブルを回ってくる。今回は引き出物たるハート型の赤のお皿が前もって配られていたので、それにそれぞれ回ってくるお菓子を溜め込むことに。砂糖いっぱいのこのおやつ、新婚さんの甘い生活にあやかろうと言うものなのかと思いたいが、こっちのスイーツは全部過剰に甘い・・・。


そんな時会場に入ってきた女性何人かと、何人かの男性陣。ここは男子禁制!と思っていた矢先の出来事。意味が分からなくその一部始終を眺めていて分かったことは、彼らは花嫁の家族だと言うこと。そして一幕一緒に踊ったり写真を撮ったりした後に出て行きました。

それにしてもこっちの結婚式、皆好き放題している印象を受けますが、これって国民性?

さて、お色直しも中盤に差し掛かった頃、さっきから花嫁並みに出たり入ったりしているメリナ(今回の花嫁の友達で私を結婚式に連れてきてくれた子)が私に話しかける。衣装を持って一緒に降りましょう、と。連れられた先は花嫁とその女性の家族が着替える更衣室。いいのかな?っていうかメリナ、私が踊ることは了承を取ってあるんでしょうね。一応了承は取ってあるらしく快く?向かい入れられましたがそのステージ裏は戦場と化していた・・・。

花嫁の次の登場後に踊ることを何となく察し(ここではほぼ全てを察しながら生きています)、会場のドアの外で待機。今日のために用意した聞こえてくる音楽を意識しながら全体の流れをイメージする。センタースペースでエントランスのベールワークを終えたらテーブルを踊り練り歩こう。・・・と思っていた私のプランは次の瞬間ことごとく壊される。開け放ったドアからベールを翻し登場した私を見た瞬間会場にいた全ての女性が歓声とともにセンタースペースを取り囲むように押し寄ってきたから。

床がつるっつるで滑りそうになるヒールをコントロールしながらスペースいっぱいに踊る。もちろん花嫁に対して誠意を持って。めでたい席で場を盛り上げるのはベリーダンサーの宿命だから。そんな中こっちに行って踊ったらこっちの人だかりがキャーキャー、あっち側に行って踊ったらあっちの人だかりがキャーキャー。私の踊りを観て鳥肌が立ったと言ってくれる人はたまにいるけれど、踊りながら自分で鳥肌が立ったのは、初めての経験。一瞬寒くなって(ただ単に風邪?)、自分、踊りきれるかな、なんて心配したけれどもちろんそれも一瞬の出来事。その時を肌で感じながら自分の仕事と境遇、出会いに改めて感謝。

ただ1つ文句を言えと言われたら(誰も言わない?)、DJがところどころ何かをしゃべりたいらしくその中途半端な間音楽を消すところ。それが何回も。DJちゃんとDJらしく仕事しろ!全く。

さてこの踊りの後その場は写真撮影の場と化してしまい、結局着替えるために会場を出られたのは30分後。

いくつも撮られた写真のうちの1つ。これも小さい女の子たち。
子供からお年寄りまで、幅広い年齢層の人たちにモテモテの私。
でも、忘れてはならないのが、これ、全部女性ですから・・・。

その後3,4回のお色直しで再登場する花嫁。


このネイビーブルーに刺繍が施してある装いはアルジェリアの伝統的なドレス。実はこのドレス、一番下のスカートの部分が前後縫い合わされているのです。ということはスカートなのかパンツなのかよく分からなく、はっきりしようよ、と思ったりもするのですがよそ者の私が言うことではない。そしてトイレに行くときはどうするんだろう、といらぬ心配をしてみる。


こちらは花嫁とメリナ。このドレスも素敵でした。

そして少し心配になってくる私。
一体新郎はいつ姿を現すつもりなのか。
メリナのお姉さんでシェラトンに勤めるマディナが教えてくれる。新郎は最後の花嫁衣裳の時に来るみたいよ、と。そして花嫁の最後の登場。お父さんとお母さんに連れられてやってくる純白のウェディングドレスの花嫁。


同じように会場を一周、皆に自分の姿を認識させ着席。そして踊りだす女性たち。
20分、30分・・・ねえ、花婿は?
・・・
教えてくれるマディナ。
なんか今日は来ないことになったみたい。
ってそれでいいんか!!!!!!!!!!!!!!!!!!
結局花婿の姿を一目も見ることなく会場を後にした私たち。
アルジェリア、恐るべし。
さてその後なのですが、そのまま帰るのかと思いきや、皆ぞろぞろと上の階へ上がっていく。そこに用意されていたのはテーブルをいくつも並べた二手に分かれたお部屋。今日の招待客用に食事が用意されていたのです。そしてもっと驚いたのは、さっきまで肩が露出したドレスを着て踊り狂ってた女性たち、気が付くと皆アバヤをまとい(もちろん皆ではありません。ドレス姿のそのままの人もいましたが)仕切る目的で置かれたつい立のこちら側にやってくる。ああ、ここはイスラム教徒のお国なのだな、と改めて実感。色々貴重な経験をさせてもらっていることにまたもや感謝。
そして帰り際。私最初に思ったのよね。ここでの駐車、車を詰めて停めるとしたら、外側の車にブロックされて身動き取れないなんて事、ないよね、と。・・・まさしくマーフィーの法則。
仕事のある私は、ある時間までにホテルに戻っていないといけないことはマディナもメリナもお母さんも皆承知のこと。ぎりぎりの時間帯まで結婚式場にいた私たちに起こったとんだハプニング。外側に停まっている車の持ち主が誰だか分からない。時間に焦るがため、家族3人、みんなで喧嘩口調、一日中花嫁の世話をしたりで歩きっぱなしだったメリナは長時間履いていたヒールの痛い足を引きずり会場に戻って車の持ち主を探す。そして押してくる時間。
立場的には私が一番焦るべきだけれど、焦っても何も変わるわけではない。うーん、これは困るんだけど多分大丈夫でしょう、インシャッラー。ってあんたが一番アルジェリア人・・・。
幸い車の持ち主が見つかり、高速をかっ飛ばすスピード狂のメリナ。ぎりぎりの時間だけれどホテルのエントランス横に車をつけたのは、私が注文した一番遅くても大丈夫な時間2分前。得意気に笑いながら言うメリナ、これでOKでしょ?そうそうそれそれ、こういうスリリングなことは止められない(笑)。

ジューン・ブライド(上)

アルジェリアにそんな言葉が存在するのかどうかは知らないけれど、June Brideとはよく言ったもの。6月の先日、はじめてアルジェリアの結婚式に行ってきた。

この人、今回主役のジューン・ブライド。

さてこのアルジェリア式結婚式、はじめてのはずなのに、何故か勝手を知っている私。と言うのもここに来て以来、もう既に3度ほど人の結婚式のビデオを延々と見せられたから。2度は招待してもらったそれぞれの友人宅で。もう1度は何故かホテルの売店で・・・。

仲の良くなった友達の一人に、たまに外に連れて行ってくれるホテルのマディナがいる。
3度見たビデオのうちの1度はマディナの妹メリナの結婚式のもの。
マディナと彼女のお母さんに、前回カスバに連れて行ってもらったのだが、今回は妹メリナの友達の結婚式らしい。

随分前から6月16日の月曜日は結婚式に連れて行ってあげるから覚えておいてね、その日の朝、電話するからね、と日本人の私が約束をすっぽかすと思うのか(アルジェリア人には何度となく約束をすっぽかされているのでちょっといやみ。ちなみにレバノン人も平気で約束をすっぽかします。これはアラブ圏の風習なのか??)?と言いたくなるほど散々言ってくるマディナ。分かったから。

そして前夜、電話が鳴る。
明日朝10時に電話するからね、と。

おい、それだけ言いたくて電話したんか?と何故か彼女の真剣さに思わず笑ってしまう。

続けて、焦ったように言うマディナ。ちょっと待って、メリナと代わるから、と。
電話を代わったマディナの妹メリナは興奮気味に高ぶった声でこう言う。
「青い衣装持ってきて!青い衣装!」
どうやら以前見せたCheb Khaledと写っている写真の中の私の青い衣装のことを言っているらしい。

ん?

踊るの?

よく分からないけどとりあえず了解しておく。じゃあ明日、と言って電話を切るが。

・・・翌日、10時はゆうに回っているのに、鳴らない電話。

昨日の電話は一体なんだったのだろう。こうなるともうとことんアルジェリア人が分からなくなる。
待っても待っても電話は鳴ることなく、せっかく10時に連絡が来てもすぐ出られるように用意をしていたにも関わらず結局こっちから連絡することに。
時、既に13時50分。

というより3時間以上後に連絡する私もどうかと思いますが、これは私がめでたく(?)郷に入った証。

こういう場合、アルジェリア人はとてもばつの悪い様子で私に対応する。
そして打診をするがごとく、別のことをとっさに口走る。
あと10分で行くから。

それより先に言うことがあるでしょう?
10時に電話することは向こうが言い出したこと。それなのに電話しなかった。普通は、謝る。

10時に電話することは向こうが言い出したこと。それなのに電話しなかった。でも、ここ、アルジェリア。「アルジェリア」と書いて「普通じゃない」と読む。だから、謝らない。

普通は怒るけど、「アルジェリア」にいる私は「普通じゃない」私、だから、怒らない。もうこういうの、想定内。怒るだけ損。

20分後お母さま運転するルノーがお迎えに、ひとまずマディナの家にて準備の様子を拝見。
さて、ここはイスラム教徒の国と言えど、結婚式となると、もうそれはみなのおめかしの恰好の場。普段外には着ていかないであろう肩の露出したドレス、膝が見えるスカートにばっちりマスカラのお化粧を施した装い。お母さんが外出する際は、常にアバヤを羽織ってはいるものの、妹も既婚者だから同じように上にアバヤでも羽織るのかしらと思いきや、車に乗り込むのだからそのままの格好。その格好、結構ここではNGな服装なのでは?と要らぬ心配をしてみる。(でもカーディガンは羽織ってました)

結局結婚式自体が何時からかという質問に対し、開始時間はどうやら3時らしく、さて出発。
さて目的地のこの会場、ある結婚宴会場を貸しきってあるよう。車を停めると、係りのおじさんが車を誘導している。派手なショッキングピンクの柄物ネクタイ。この駐車場のおじさん、ちょっと変わった装いだ、と思っていたら後で分かったこと、彼、新婦の父親でした。新婦の父親は駐車場もしきらないかんのかい?そりゃあ大変だ・・・。

少し暗い階段を2階に上がって、曲がってしまっている取っ手のドアを開けるとそこには女性たちが大勢。いくつも用意されているテーブルに友達同士、知り合い同士で座っているよう。女性の話好きは万国共通、思い思いの会話の話し声が重なってうるさいくらい。

入ると人、人、人!

入ってすぐ右側のテーブルにはお祝いのプレゼントが山済みになっている。そしてその横に待機している花嫁の母親。どうやらやってくる人たちに挨拶をしているよう。もちろん私を知っているわけではないけれど、頬っぺたを交互に一度ずつ合わせて挨拶のキスをする。親しい人にはそれを往復2回で計4回のキス。

アルジェリアに来て思ったことのひとつ(特に家族の多い友人の実家に行ったりした時最も実感)は、どこに行っても挨拶に掛ける時間が長いこと。私が踊るレストランでも、みんなと仲が良くなった私は、一人一人と恒例のアルジェリアン挨拶を交わす。これが過ぎるとたまに能率の悪さを感じるのだけれど、人と交流する上で、挨拶はやっぱり外せない。どこに行ってもその土地柄の挨拶は、その人たちの文化を理解したり尊重する上で、基本中の基本、もちろんマストだから。日本でも互いに何度も会釈して挨拶するのと同じかも、と思ったりもする。

挨拶の終わった私たち4人はダンススペースになるであろう、だだっ広く空けてあるセンターを中心に反対側の未開拓地に着席。

そして消えるメリナ。彼女の友達の結婚式とあって彼女の知り合いは多いよう。は来る人来る人に挨拶してる。結局は花嫁の母親の隣で一緒になって挨拶してる。あなたは一体何者?

本番の式の内容はジューン・ブライド(下)に続く。

2008年6月28日土曜日

愛の告白

今夜、プールサイドのブランコに乗っていた一人の女の子がショーを終えた私に近づいてきた。

彼女は9歳、名前はノーラ。アルジェリア人の女の子。
レストランがプールサイドのテラスに移動してからよくお母さんと3歳の妹ラビナ(違うかも・・・確認します)、おばさん(だと思われる)とお手伝いさん(違うかな)と一緒にレストランに来てくれる。お母さんは豊満で、よくこんな細い子が生まれたな、と感心するばかりなのだが、皆、きれいな顔立ちをしている。

初めて彼女たちを見かけたその日は、大入りのレストラン。踊りだした私を意識してか、3歳のラビナはわざと私に背を向けて見ないようにしてる。座っている椅子から、地面に届くはずのない両足を投げ出してわざとそっぽを向いてみせる。そんな意地らしい姿を見て、なんだかおかしくなった私は、それを見て笑っているお母さんと目を合わせると、ラビナがそっぽを向いているその先に行き、彼女のために踊ってあげる。泣き出すかな、と思ったけれど、彼女、すごく興味を示しだす。他のテーブルも回らなきゃいけないのに、何故かそこで気持ち長めに踊ってしまう私。可愛い子って、得よね。そして次のテーブルに移る前にはラビナとノーラにとっておきの投げキッス。

その後、何度も見かけることになる彼女たち。

翌日の夜、ショー用のお化粧を施して、アバヤの下は衣装をまとい、テラスのタッシリレストランに向かう途中の私、建物から外に出る扉の手前でホテルの従業員の一人が教えてくれる。誰かがあなたを探してたわよ、って。私を探す?誰だろうと思って開けた扉の向こうにはお母さんに手を繋がれた小さなラビナ。待ち伏せか!

お母さんは英語が分かるよう。どうやらラビナがどうしても私に会いたかったらしい。

今日この子、一日中「ウェア・イズ・マヒコ(マリコを上手く言えないらしい)」って言ってたのよ、だって。

なんて可愛いんだ。思わず笑みがこぼれる。昨日はあんなにそっけない態度を取ってたくせに!

その日はレストランでの食事はしないようだったけれど、後から現れたノーラと3人、プールサイドの椅子に腰掛けて、私の踊りを観ていったよう。

そしてその後何度となく昼間私の姿を見かけると、必ず挨拶に来てくれる可愛い姉妹。言葉は分からないけど、頬にキスもしてくれる。

そんな彼女たちを見かけなくなって数日。
そういえば何日か前にシェラトンを出るって言ってたな、と思い出す。でもまた戻ってくるって。

早。もう戻ったって事かな?とブランコから降りて、私に近づいてくる小さな女の子を見かけるや思う私。そして「元気?」と問う私ににっこり笑顔でうなずくノーラ。

私もフランス語が出来るわけじゃないから、お話したくてもしようがない。

でもノーラは、なんだか話たがっている様子。ちょっとだけもじもじしているその子の目線に合わすよう、腰をかがめて聞いてみた。「ウシノォ?(なあに?)」って。

そうしたら彼女、ちょっと恥ずかしそうに「I love you」って。
そんな、愛の告白を・・・。
それなら私も「I love you too」。そして付け足す「ビゼェフ(いっぱい)」と。

小さい女の子は百発百中。みんな私の虜になる(笑)。モテてモテてしょうがない、MMKってやつですか。小さい女の子にモテてもあまり将来性はないのだけど。まあいいか。愛は確かめ合ったし、大きくなったら(私が。笑)ノーラと結婚しようかしら。

2008年6月23日月曜日

遠くなる職場、長くなる勤務時間

2週間ほど前、レストランの仲の良いウエイトレスの子が教えてくれた。

6月15日から夏の間はずっと、プールの横のテラスにレストランが移動するの。そうしたらあなた、休みなく毎晩踊ることになるはずだよ。

と。

というより何故。何故私はいつも聞くべきところから情報を与えられることなくいつも周りからこういう大事な情報を得なければいけないんだ・・・。

そう、ということは2つの重要な要素が変更になる。

1つは職場(レストラン)までの距離。

自宅(部屋)から職場(レストラン)、生まれてこのかた今まで最短距離のドア・ツー・ドア39歩に対し、今度はなんと441歩。軽く10倍越えである。

・・・遠い(笑)。

そして無休。

今まで金曜日は休みだったレストランもフル稼働。夏は人が大勢来ると見込んで、毎年休みなく営業しているらしい。ということはレストランのお抱えダンサーも自動的にフル稼働。

勤務時間延長。

このプールサイドのテラスは、オープンエアで、環境も変わった中、洒落ていてとても心地のいいところなのですが、中より暑いからか、または海に面していて湿気が多いからか、ショーを終えた頃には半端ない量の汗をかきます。6月の時点でこんなだと、正直今から突入する夏本番、先が思いやられる。

それはそうと、後日何かの折に一番最近差し替えた契約書を目にした際に発覚した事実が。実は6月15日から毎晩踊ること、きちんと書いてありました。しかも私サインしてる・・・。

失敬。

マネージャー、呆れちゃってごめんよ。
契約書はよく読んでからサインしましょう。

写真はテラスに移動したタッシリレストランです。

2008年6月20日金曜日

ナンシーや、ああナンシーや、ナンシーや

青い瞳に黒髪(本当は黒くはないのですが)。
こぼれ落ちそうなほどパンパンな頬っぺた。
こぶしをきかせた歌唱力が実に魅力的なアラブ圏を代表するレバノン人人気女性歌手。

と言ったらもう知る人ぞ知る、Nancy Ajram(ナンシー・アジュラム)しかいないでしょう。

http://www.nancyajramonline.com/ (オフィシャルウェブサイト)

1983年5月16日、レバノンのキリスト教地区Ashrafiyehに生まれる。

12歳で参加したレバノンのテレビ局が開催したミュージカルコンテストNoujoum Al MostakbalのTarab部門で金賞。その後、レバノンで音楽の第一人者の指導者たちの下、ヴォーカル、音楽論を勉強。才能が認められ、18歳という年齢に達していないながらも、レバノンプロアーティストたちのシンジケートに認められ、アーティストの位置を確立、1998年に初のアルバムをリリース。

以前ナンシーのことには触れたけれども、改めて彼女の歌の有名どころのおさらいしておくことにする。

彼女を一躍アラブ界のスターダムに伸し上げたヒット曲「Ah Wa Noss(つづりはところによって、ひとによってまちまち・・・英語題にするとYes, and a half)」は2004年に4つ目のアルバムとしてリリース。

http://www.youtube.com/watch?v=nkFYw6v9VeQ

このアルバム、Ah Wa Noss が500万枚以上売り上げたことに関し、とある音楽雑誌の原田尊志さんのコラムから引用。

「少なからず海賊版が出回る地域もあるだろうアラブ圏において、オフィシャルでこの数字を売り上げたというからすごい人気だ」、と。確かに、レバノンももちろん多いけれど、アルジェリアで本物CDを置いているお店を見たことが・・・ない。

その後"Lawn Ouyounak" (The Color of Your Eyes)のミュージッククリップを作成。

http://www.youtube.com/watch?v=5XCElzsff-4&feature=related

2005年に近づいた頃、ナンシーは北アフリカを含むアラブ圏と中東において、コカ・コーラのセレブスポンサー兼スポークスパーソンとなり、‘Oul Tany Kida’(Say That Again?)が最初のコカコーラ宣伝用の曲として使用される。

http://www.youtube.com/watch?v=TauU6w3Xz-s&feature=related

2005年後期には‘Inta Eih’(What Are You?)。

http://www.youtube.com/watch?v=jwlztf-XuOY

2006年にリリースされた5つ目のアルバム、Ya Tabtab...Wa Dallaaは、Virgin MegaStoreのリテールリサーチによると、世界中で2,200万枚を売り上げ。

収録された11曲のうち、6曲にはミュージッククリップが作られ、9曲はラジオでヒット曲となり、2曲はコカ・コーラ、また他の2曲は宝石の宣伝用に使用される。通常、アラブ圏の芸能中心地のエジプトでヒット曲を生み出すため、カイロ方言のアラビア語で歌うそうだが、‘Ehsas Jdeed’、‘Ana Yalli’ 、‘Law Dallalouni’の3曲は、レバノン方言のアラビア語で歌われているそう。

ナンシーふんするお金持ちのお嬢様が、父親が選んだお金持ちのフィアンセより、耳が聞こえなく、しゃべることも出来ない障害者の男性と恋に落ちるという歌、‘Ehsas Jdeed(A New Feeling)’はアラブ各国で、10週以上、チャート1位の座を守り続けたそう。ちなみにレバノンでは12週連続でトップ1だったたとか。・・・納得。でも私はこのビデオ、何度も何度も見すぎて、もう見飽きてしまいました。

http://www.youtube.com/watch?v=VGbnm42vs_g

‘Ana Yalli’(I'm the One)

http://www.youtube.com/watch?v=3_1OL9CY88s

Shakhbat Shakhabitは、2007年にリリース。このアルバムの写真のナンシーが、腹巻をしてスカートをはいているように見えるのは私だけでしょうか・・・。でもこの曲、大人もみな口ずさんでました。時、ちょうどレバノンで踊っていた頃。私の耳にこの曲が入ることは多かった・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=uc9nUi2IMQs

前置きが長くなり何が本題だか分からなくなったところで、さて今日のお題。

上で散々説明されたナンシー、実は今日、うちにやってくることになっていた。

事情のわからない方用に、上の文章を訳すと、以下のようになる。


「本日6月20日に、ここアルジェのシェラトンホテルで、Nancy Ajram(ナンシー・アジュラム)のコンサートが催されることになっていた。」

なっていた・・・というのは、そう、その待望のコンサートが、実はキャンセルされてしまったから。

彼女のコンサートがここシェラトンホテルで開催されるという情報は、1ヶ月ほど前、独自のネットワーク(?)で入手した。さて、これは一大事。と言ってもその日を待ち遠しく思うだけで、だからって特にどうすることもない。そのうちホテルのエントランスにでかでかとNancy Ajram Live in Concert! なんて宣伝が出るんだろうな、と意味もなく誇らしく思い続けて早数週間。事情を知っていそうな人の話によると、どうやらドタキャンのようなニュアンスがある。

これだからアラブ人は。

実はここシェラトンホテル、今までにもかなりビッグなアラブ(だけではなく)のアーティストたちを呼んでいるらしい。

Nawal Al Zoghbi(レバノン人女性歌手)
Diana Haddad(レバノン人女性歌手)
Majida El Roumi(レバノン人女性歌手)
Tamer Hosny(エジプト人男性歌手)
Ragheb Alama(レバノン人男性歌手)
Asi El Halanya()
Shola Ama(イギリス人女性歌手)
Jimmy Cliff(ジャマイカ人男性レゲエ歌手)
Imagination()
Asala Nasri(シリア人女性歌手)
Khaled(アルジェリア人ライ音楽男性歌手)
Cheb Mami(アルジェリア人ライ音楽男性歌手)
と、リストは続く・・・

ちなみに、Nancy Ajramが八代亜紀似とはよく言ったものである。

2008年6月13日金曜日

君の名は

と聞かれたら、どう答えるべきか。

ブログ上や日本ではASYA(アシア)と名乗ってはいるけれど、ここでは間違いなく本名のマリコ。

レバノンで、ASYAというダンサー名を命名してもらったにも関わらず、エージェントだってそれを知ってるくせに、私をプレゼンするときは、いつでもマリコ。どこでも、マリコ。去年レバノンのホテルで歌っていたミュージシャンが若干一名、気が向いたときに歌の合間に私をAYSAと呼んでいたのを除いて、誰一人私をASYAを呼ぶ人はいない。ということで、実際は私はASYAとは呼ばれ慣れてはいなかったりもする。

でもまあ、なまじ変にアラビアン名を名乗るより、日本人なんだからジャパニーズ名で通す方が逆によいのかもしれない、と思ったりもする今日この頃。実際その方が人目を引いた例もいくつかあるのだから。

さて、この私のマリコという名前、そんなに難しくないだろうと思うところだが、人によって呼び方がまちまち。

先日、スタッフ用の階段を上がっていた私の耳に掛け声とも思える声がした。一瞬立ち止まって私を呼んでいるのかと耳を澄ますがそうではないよう。だって「オレンジジュース!」と言っているのだから。

オレンジジュース!オレンジジュース!!

果たしてその声は止むことなく近づいてくる。

without ice!!(氷なしで)

これには聞き覚えが。確かに私はここに来てから毎日欠かさずフレッシュオレンジジュースを飲んでいる。そして氷なしで・・・。そう、アルジェリアのオレンジは、季節のものは以外にもとてもおいしいのです。

振り向くと、ウエイトレスの女の子が2人、やっぱり私を呼んでいたよう。でもオレンジジュースってどうよ・・・。

私の名前はマリコ!

こちらはフランス人。マダム=ミセス。確かに、フランス語ではマダムという言葉の方が丁寧が故、ホテルなんかでは、ミスの女性にも皆マダムという。それは分かっている。分かってはいるけれど、「Mrs. Mariko」って呼ばれるたびに戸惑う私。だからまだ未婚なんですってば。しかもミセス・マリコってどういうこと?マリコはファーストネームでしょ。ほんっとに曖昧なんだから。

これまたふと気付いたこと。もうずっと長い間私をマロッコと呼んでいる人数名。

だから、マリコなんだってば、と言いたくても、まあ近いからいいか、と投げやりな私。

アルジェリアの隣国のモロッコに発音が近くて、マロッコになってしまうのかな、と思いつつ余裕の対応をかましてはいたものの、よく聞いてみると、なんかおかしい。実はこのアルジェリアでも日本のアニメ漫画は出回っているそう。「チビまるこちゃん」は特に人気らしく、知らない人はいないくらい。そう、私の名前は、「チビまるこちゃん」がおかしくなった形、アルジェリア人の発音でマロッコ・・・。なるほど、そういうことなのね。

っていうか私の名前はマリコですってば。

結論。
とにかく、ASYA(アシア)=マリコ。
同一人物だってことを認識してもらえれば、それで良いこととする。

ベリーダンサー・ASYA=ベリーダンサー・MARIKO。

2008年6月10日火曜日

痩せる秘訣

古今、巷では女性を中心に、ダイエットが流行っている。
今も昔もダイエット。
万国共通ダイエット。

年を重ねるとそれだけ体に脂肪が蓄積されやすくなるのだとは思うのだけれど、日本の若い女性の言うダイエットは、少しやりすぎのような気もする。あそこまでガリガリにならなくても、本来女性が持つ曲線美を生かす方法だってあるだろうに。

さて、ダイエットとは程遠く、食べ過ぎ気味のかくゆう私は、先日、軽い食中毒に見舞われた。

食べ過ぎ、食べた物、寝冷え、精神的な何か(これ、間違いなくないでしょう)、理由は謎。何が食中毒を招いたのかは分からないにしても、幸いだったのが、症状が過去に経験した食中毒ほどではなかったこと。

何も食べずに生活し、お腹を干すことほぼ丸2日。この間のショーは、気力でこなす(涙)。薬を服用して、お医者さんにかかるほどではなかったものの、おかげで保っていた体系が気持ち少し痩せてしまったよう。

食中毒といえば、2、3年ほど前のトルコで起きた出来事。

季節は夏。

トルコ料理はおいしいのだけれど、油っこいものが多いのも確か。とてもとても手の込んでいるお料理も山ほどあります。ことの発端は、道端で売っているメディエドルマ(midye dolması)というムール貝の外套膜の中にご飯を詰めたものを発見してしまったから。こちらのお料理もとても手が込んでいる割に、5つで1リラ(100円弱)と大変お求め安く(テレビショッピングか・・)、その日もメディエドルマをお盆一杯に並べたお兄さんを見かけた私と友達3人、一人1つずつ頬張ることにした。

そして、その夜、悲劇はやってきた。今まで食中毒なんてやってことがなかった私は、意味の分からない激痛に見舞われ、それが食中毒だと気付かないまま、脂汗をたらしながらその夜を過ごすことに。が、よく考えたらそれは食中毒、心当たりは、・・・メディエドルマ。翌日も痛みが減ることはなく、急遽病院に向かうことに。

向かう先はとりあえず一番近くの病院。保険もおりるはず、と、こういう時に病院を選んでいる暇はない(本当は選ぶべきだったのかも知れないが、それは後で分かる秘め事)。プライベートの病院へ足を踏み入れる。

症状を訴え、受付を済ませ、座っているところに呼ばれる名前。ある部屋に通される。

はーい、とりあえず採血ね。

ってなんで?

とは思いつつもなぜだかを問いただす気力もない。

採血後、「歩けるよ」の主張はことごとく却下、否応なしに車椅子に乗せられる。訳が分からん。

そして向かった先では採尿を言い渡される。

だからなんで?

と思いつつも、とにかくとにかく気力がない。

トルコではそうなのかと思い、言われるがままに。

そして次に通された先はレントゲン室。胸のレントゲンを撮られる。

???

これから産婦人科の先生にも診てもらうからね。と、超音波。

??????

この時点で謎が謎を呼ぶ。

だから、症状が食中毒だって言ってるの。何で採血とかレントゲンなの?超音波なんて関係ないでしょ?気力はないものの、点滴をうたれた、とんでもなく広範囲に内出血した腕(言うまでもなく注射が下手だから)から得ている栄養分とあるだけの集中力を用い、そう問いただす。

困った医者は、いや、間違った薬を処方するわけにはいかない、色々検査しとかないと、と言い張り、私の主張を退くようにその場を後にする。聞く耳持たず。

病室に寝かしつけられていた私、この辺りから不審に思い始める(遅いだろうが気付かないよりまし)。なぜこのような不必要な検査をいくつもしなければいけないのか・・・。

検査結果を言い渡すからちょっと、と表のカウンターに呼ばれた私はフラフラになりながらもそのカウンターに出向く。そして説明を始める医者。長々とした説明の中でハッと気付く私。

なんで病人の私がこんなところに立たたされて結果を聞かねばならぬ?しかも回りに人がいてプライバシーのかけらもないではないか。

そう思い始めたらどんどん腹が立つ。相手が私の主張を聞き入れようが入れまいが、そんなことはお構いなしに、全力抗議。あり得ない、こんなの。

それもそうだと考えを改めたのか、じゃあ、と看護婦、再度私を病室に寝かしつける。

そこへ再び現れる医者。今度は私の胸部レントゲンの写真を持って部屋に入るなり、小腸に何か影が見える。これは手術しないといけないから明日も病院に来るように、と説明もままならないのに何食わぬ顔で手術なんて言う。

頭にきた。

きちんと説明しろ!大体この影はなんだと思うの?どんな手術?私が訴えてる症状は全然聞き入れてもないじゃない。薬を処方するとか処方しないとか、そのためにはありとあらゆる検査が必要だとか。どう考えても必要ない検査してるよね?人をおちょくるのもいい加減になさい。

私が問いただすと「落ち着いて」のジェスチャー。

落ち着けるか!

そろそろと私の質問に答え始める医者。でもその説明も私が聞かなきゃ何も言っちゃあくれない。質問は延々と続く中、電話の着信音が・・・

私を横目に医者が私に軽くジェスチャー。ちょっとごめんね。って診察中に電話に出るんかい?

でも、病院内で緊急の呼び出しなのかも知れない。確かに私は今死ぬとか死なないとかのレベルじゃない。多少の我慢は出来る、と寛大に許してやった私。次に耳に入った言葉は以下。

「アロ、ババ?」(もしもし、お父さん?)

「今日の夕食はね・・・」、と続く。

ふざけんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

もう二度とその病院に戻ることはなく、自力で治しました。

この際、間違いなく1、2キロは落ち痩せたはず。
結論。そう。痩せたい場合には、食中毒になってありえない病院にかかること。

これ、悪い冗談。

ちなみに一緒にメディエドルマを食べた他3人、全く問題なかったそうです。

2008年6月5日木曜日

小さなお客さま

先々週、私が毎晩踊るレストランの前方にある大きな丸テーブルで、食事をしている家族連れがいた。
構成は、おそらく以下のようだと思われる。

お父さん。
お父さんの友達。
お母さん。
長女。
次女。
長男。
伯母さん。
まだ若い叔父さん。

普段エントランスの曲(最初の曲)はその曲全てをダンスフロアにて踊り切り、その後の曲は、人がいるテーブルを踊りながら練り歩く私。その日、前方にある他のテーブルは埋まっていなかった関係で、私の最初のデスティネーションは、必然的にその家族連れのテーブルとなった。踊りながら1つ確実に気が付いたことは、長女と次女、おまけに長男がじーーーーーっと私を見ていること。私の予想だと、長女7歳、次女4歳、長男3歳ぐらい。踊りながら投げキッスをすると、照れながらもとてもうれしそうに微笑み返す可愛い姉妹弟(「きょうだい」とお読みください)。

その日の2セット目も、その姉妹弟は同じようにじーーーーーっと凝視。帰り際の私の投げキッスに今度は長女と次女も負けじと投げキッス。その日はそれで一日が終了したのだが・・・

翌日。

エントランスの曲に合わせて登場した私の目の前には、「え、デジャヴゥー?」と思わせるほど前日と同じ配置で、同じ家族が同じテーブルにてお食事をしているではありませんか。

そして私自身、デジャヴゥーを支持するがごとく、この日も前日と同じように踊り、投げキッスをし、去っていったのですが・・・

また翌日。

エントランスの曲に合わせて調子よく登場した私の目に・・・ちょっと待て!デジャヴゥーのデジャヴゥー?前日、前々日と同じ配置で同じ家族がまた同じテーブルでお食事をしている。一瞬とても不思議な気分にさせられたのだけれど、この日違ったことは、この女の子2人があまりにも熱中して観ているため、ちょっと試しに誘ってみた。もしかしたらずっとこの時を待っていたのかも。2人は未だ恥ずかしながらも誘いに乗って、一緒に踊りだすことに。

この日から始まった、一緒に踊る暗黙の了解は、次の4日間、裏切られることなく毎晩続いたのです。

さすがに毎晩アルジェリア料理も飽きたのか、翌日からは食事はしないにせよ、私が踊る時間帯には皆で決まってお茶を飲む小さなKhaima(アラビア語でテントという意味)風のセクションで食後のひと時を過ごしているよう。そこからステージ全体を見渡すことは難しいらしく、音楽が聞こえだすと、その姉妹はテーブルの合間を縫って、その小さな身で、乗り出すようにその場に立ち尽くすのです。もちろん私が近づけば、その時のために用意したヒップスカーフを腰につけて、一緒に腰を動かすほど用意周到。

週が開けたその後、その家族を見かけなくはなったものの、彼女たちが率先して家族を連れてきていたに違いない。言うなれば、小さなリピーター。こういう人たちが今の私をサポートしているのだと、改めて実感。

そういえばレバノンで踊っていた時も、日曜日の午後は家族連れが大勢いるホテルのアウトドアレストラン(真夏なのでくそ暑い!)で延々と踊っている間中、携帯電話片手に(画像を取るためでしょう)子供という子供が金魚のふんのように踊りながらテーブルを回る私の後をついてきていたな、と思い出す。

どこに行っても子供受け?

誰だったとしても気に入られるのはうれしいもの。

数日後、成り行きでマネージャーから聞いたうれしい知らせ。私がシェラトンで踊り始めてから、レストランの収益がとてもよくなったそう。そしてそれが私の契約延長の理由、と。

そうか。契約延長の理由が根回しでもゴマすりの結果でもなくて良かった・・・とホッと胸を撫で下ろす。

誤解のないよう申しておきますが、あくまで上記のようなことは一切行っておりません(笑)。

2008年6月3日火曜日

衣装 その2

今日は、衣装の真面目なお話。

私は、ベリーダンスの衣装において、以下の3つの点を重要視する。

まず、軽量だということ。

そして、基盤がツーピースだということ(上と下を何らかのアクセサリーや布等の付属品で後付でつなぐ分にはOK)。

言わずと知れて、体にフィットしていて、着心地の良いものであること。

そして欲を入れて4つ目の話をすると、斬新でユニークなデザインだということ。
・・・と書きつつ3つではなくて4つの点が重視され、斬新でユニークなデザインだという点は最初に来るべきものかもしれないと、改めて思う。

まず重さ。本物スワロフスキーが衣装全体にちりばめられている衣装は、とてもとても魅力的。が、このスワロフスキー、使いようによっては衣装をとても重くしてしまう恐れがあるのです。基本的に光物が好きな私は、スワロフスキーの石があちこちに光るデザインの衣装は惹かれるところ満載。ちなみに光物と言えば、しめ鯖や鯖の味噌煮も大好き。

1つの短いショーではあまり関係ないのですが、一晩に50分のショーを(もちろん一人で)ステージ一杯に踊らなければいけないとなると、衣装の重さは重要になってくる要素のうちのひとつ。優に1,2キロもある重さの衣装は出来れば遠慮したいのが本音どころ。思い衣装を身につけている分、余分なスタミナを使ってしまうことになるから。

ここでのショーは長時間が1セットではなく、いくつかのショーの合間で時間が開くので、多少の休息は取れるものの、3つ目のセットになると、気のせいだか気持ち軽めの衣装を選択すること多し。

勿論、派遣先を移動する際に飛行機を使うとなると、重い衣装をいくつも抱えていたらすぐにキロオーバーしてしまうのも確かな事実。実は私服がほとんどないのは前にも申した通り。着たきりすずめです。

今後も膨大な数に増えていくのではないかと思われる衣装コレクション、これからは軽さ重視されることでしょう。

ツーピースの衣装とは、上下セパレーツのものを指しますが、それに対し、もちろんワンピース衣装なんてものもあります。もちろんデザインによりますが、こちらも、新鮮で魅力的。が、私の場合勢いで購入したワンピースものは、使う頻度があまりにも少なくなっている関係で実は只今はさみを入れている最中なのでございます。というのもワンピースものは激しい踊りをするが故か、上下がくっついてしまっていることが私にとってはとても不便。私の場合、動きが制限されてしまうのも事実だし、体の動きも、布で覆われている分分かりにくくなってしまうのも事実。こんなとき、もう少しお尻が大きかったらなんて思ってみたりもする(十分か・・・)。

そして体に合ったもの。とても基本的なことなのですが、持っている衣装のいくつかはフィッティング率(そんな率聞いたことがないのは今私が造ったから)70%なんてものも。だからそんな衣装は、いくらデザインが素敵なものでもいつしかあまり着なくなってしまった衣装になる、なんて恐れも。そんな時は自分で手直しするのですが、やっぱり購入するに当たり、作り手売り手がいて、そこから直接購入する場合は、まあこんなものかな、なんて妥協はせずに、体にフィットするまで何度でも補整を行ってもらうこと。これ、教訓です。

細かい作業が案外好きな私、以前は自分で衣装を作ったりもしていたものの、作業が遅い故、年間通じて1着2着、悪いときには2年に1着出来るか出来ないかなんて時も。でもやっぱりとりあえず衣装作りはプロに任せて今は現役続行、本業に腰を入れようと自分と相談。こういう経験が、ゆくゆく衣装を手がける際の役に立ちそうかも、と秘かに思うのです。

余談ですが、エジプトの有名どころの衣装屋さんの1つ、とあるデザイナーは、エジプト人のおばさん!って感じですが、狭い世界、彼女も以前私と同じエージェントに所属しつつ中東でベリーダンサーとして働いていたそう。彼女の衣装はダンサー経験を通じてからか、軽量でデザインもユニークでお洒落、お気に入りの衣装やさんの1つです。そのうちASYAの選んだセレクト衣装ショップを立ち上げることになるでしょう(宣伝がてら、あしからず)。インシャッラー。

2008年5月31日土曜日

誤解されてた私

今更気付いたのですが、たくさんの方が私の仕事形態を誤解しているよう。

基本、ベリーダンサーは単身で踊ります。

私は、ベリーダンサー。

だから、私も単身で踊ってます。

単身で派遣先に出向き、単身で生活し、単身で問題を解決します(問題はどこに行っても山のようにあることが多い。しかも信じられない起こり得ないような問題が・・・)。もちろん一人で解決しきれないときにはエージェントに助けを求めますが。

時々、事情を飲み込めていなかった日本の方に、何人で踊っているの?と聞かれるのですが、もちろん、一人、と答えます。

どこの国の人たちと踊ってるの?と聞かれるのですが、だから一人なんだってば、と。

じゃあその一人一人の人たちの出身地やダンスレベルは?と聞かれるのですが、だから、一人なんだってば。

要するに、ベリーダンサーはホテルに一人。アウトレット(ホテル内のレストランやクラブ、飲食店等)がたくさんあったとしても、基本中東、北アフリカ等、こちらのホテルではホテルにつき、お抱えベリーダンサーは一人なのです。そしてアウトレットがたくさんある場合は、その一人をあちこちで踊らせます(ベリーダンスが必要なところは)。

たまに、時と場合(季節的なものもありますが)によっては、ベリーダンサーを二人派遣させる要請を出すホテルもあるそう。でもだからといって二人が同時に踊ることはほとんど無く、こういう場合は、アウトレットがたくさんあってベリーダンサー一人では回しきれないということが主な理由なので、アウトレットが10あったとすれば二人で5つずつアウトレットを担当するってことに(そしておおよそアウトレットは交互に担当するのではと思われる)。

だから私も、ここシェラトンホテル内の、レストランと、クラブで、単身で踊ります。

だから、分かっていただけますでしょうか。グループで踊ってるのであれば、多分アジア人だろうが火星人だろうがなんら問題はなく、取り立ててどうこう言われることもないはず。だってユニットであればスパイスガールズじゃないですが(古い・・・)色んな人種が混ざっているほうが見ているほうも楽しいでしょうから。

同じエージェントのダンサーみんながそうですが、単身の身、一応、苦労してるんです。

2008年5月28日水曜日

衣装

回転ドアを通り、荷物を検査用にX線のベルトに乗せ、セキュリティーゲートをくぐると、そこは開けたホテルのロビー。中央には1階に続く螺旋階段が二手に分かれて広がる。

その外側、左側は通路、右側にはレセプション。

その先、螺旋階段の直裏辺りには、ラウンジが広がる。

先日、1001 Nuitsで踊り終えた私に、スタッフの一人が控え室にいる私に言う。衣装のことで私に話したい人がいる、と。

結局アルジェリア人のその人と話をしたのは1週間後(なぜ?)。多少英語が話せる女性。その場に居合わせた男性はおそらく彼女の旦那さんであろう。旦那さんはアメリカ人かな、と思わせる発音だ。彼女が英語が出来るのはそのせいなのだろう、と勝手な憶測を立てる。

その彼女、以前ベリーダンサーをやっていて、自分が持っている衣装を売りたいと言う。もちろん私はそのものを見なければ買うか買わないかなんて決められない、と言い、それなら、と携帯番号を交換した。

彼女曰く、じゃあ明日持ってくるから11時PM頃電話するね。

そして翌日。

電話は・・・

ない。

分かった分かった、当てにした私が悪かった。

ここの国の人たちは悪気なく約束をすっぽかす。おそらく、すっぽかしたという認識さえないのだろう。もしくは約束は約束に値しない・・・。

じゃあ次の日ぐらいには電話があるかな、と思いつつ過ごしたその日も、連絡は・・・ない。

結局彼女から次のアプローチがあったのは1週間後。

今来てるんだけど、ロビーに来れる?ってあんたねぇ。何でそう都合良く、とは思いつつも、タイミング的にはばっちりだったので外出から帰ったその足でロビーに出向く私。

ここでは見せられないから、と女性化粧室に手を引っ張られる。袋の中から取り出されたのは、黒の衣装一着。

話では衣装は3つと聞いていたのだけど、他の2つは?と問う。

一番良いやつだから、とりあえず今日はこれだけを持ってきたの。ねえどう?

ちょうど黒の衣装を欲しいとは思っていたところ。悪くはない。

ただここは交渉スキルの見せどころ。いいとか悪いとか言う前に、まずは値段の交渉。どっちにしろ手直しはしなきゃいけないのだから、いくらまでなら手間隙掛けても使いたいと思うかどうか。

アルジェリアの通貨はディナール(DZD)。1ディナール1.6円ほど。硬貨は、一番小さいものが1ディナール、5ディナール、10ディナールと続く。100ディナール出せば輸入品の良質チョコレート菓子が2個ほど買える。大きな買い物はやはりドルだのユーロだので話をすることが多い。ここは地理的にヨーロッパに近いので、大体皆ユーロで話をする。が、私のペイは何故かアメリカドル・・・。

ちなみにレバノンではレバニーズポンドがあるのだけれど、アメリカドルも普通に流通していて、レートも一定の$1ドル=LL1,500(レバニーズポンド)。レートが変わらないところがまた曖昧で素晴らしい。なので大きなお金で買い物した際のおつりは、レバニーズポンドとアメリカドルが混ざっていたりするのも日常的な事。

300ユーロ(5万円弱)という彼女。500ユーロ(約8万円)で買ったのよ。

嘘でしょ。これを5万で売ろうとするその精神が分からない。

どう考えてもちょっとそれはやりすぎ。それでは、と私。デザインは取り立てて珍しくもないし、年季が入っててそこまでは出せない、しかも色々手直しが必要だよね、と言う。お互いここは売りたい者と、買いたい者。慎重に?話を進める。

結局最終的な値段は決まらないまま、サイズが合うかどうかをとりあえず部屋で試着するという事で衣装を預かりその場を後にした。

翌日連絡が来ることになってはいたのに、もちろん連絡は来るはずもなく、そのうち日々刻々と過ぎてゆく。なんたるいい加減さ。内心、これなら何回かショーで使ってやっぱり要らないわ、ってことだって出来ちゃうぞ(もちろんそんなことしませんが)、しかも私が衣装を持って去る可能性だってないことはない(これもしませんがね)、と思ったりしてみる。

そして2週間ほど経ってしまったある日、例の彼女から電話が鳴る。

今日残りの2着の衣装を持ってきたの、見てみない?

私もいい加減怒るべきなのか否や。でも怒っても何の特にもならないのでやめておく。大体こんないい加減なやり取りは想定内のはずなのだから。

ちょうど仕事が終わっていた時間帯、ロビーに出向く私。小さなスーツケースから取り出した残りの衣装2つを簡単に見せてくれる。私は次の1ヶ月内には仕事の関係でドバイに行くから、欲しいかどうかを今この場で決めて欲しいという彼女。ああ、旦那さんの仕事?と問う私に彼女、私結婚してないわよ。なんだ、この前一緒にいた人が旦那さんなのかと思ってた。でも、何の仕事?とは聞かず。

この2つの衣装は最初の黒いものに比べて多少見劣りはするものの、手直しすれば問題なく使える。そう、私が目的としていたのは、使えそうなものであれば、3ついっぺんに買い取って全部をまとめて値段交渉するということだったはず。そしてそれを思い出す。じゃあ3つ買い取るとして、1つ150ドル(約1万5千円)の計算でどう?

という提案に彼女、二つ返事でOKを出す。こんな簡単に。しまった。それならもっときちんと交渉すれば良かった、と思うときにはもう時既に遅し。

まあいいか。

端数の金額をディナールで渡すことにした私は、持っていたお金を両替しにレセプションまで行く。

そこでレセプションで働いてる友達が私に妙なことを言う。

ねえ、一緒にいたあの人にお金とか大事なものとか預けちゃダメだよ。

別に何も預けてないけど、何で?彼女のこと知ってるの?

彼女は売春婦で信用が置けないから、と言う。

はーーーーーーーー。そうなの?だってさっき仕事でドバイに行くって。言ってからハッと気付く。確かに売春婦はドバイでもin demand?でもなんでそんなこと知ってんのさ?

そのレセプションの友達の男の子は、欧米人の男性がレセプションの前を横切ると、あの人はお客さんの一人、と言う。別の男性が横切ると今度はまた小声であの人も、と言う。

知ーりーたーくーねー。

ほら、あの人も。通り過ぎるそのおじさんににっこり笑って挨拶しつつも、彼もビッグなお客様だよ、と彼。

ってあんた、教えんでいい!

話はどんどん盛り上がり(彼の中だけで・・・)、要らん情報を流してくれる。ラウンジの方向を指差して、あのラウンジの一角に一人で座っている女性がいあれば、それ系の人だという。

やーめーろー。全く。聞いてないことをベラベラと。

って言うよりそれ個人情報めちゃくちゃ開示してるじゃないか。いけませんよホテルの職員がそんな。

結局3つの衣装を総額450ドルで入手。お互い手を振ってその場を後にした。

その後もちょくちょく、いや、週末になると毎回のようにレストランとクラブに出入りする彼女。もちろんもう顔見知り。お互い名前だって知っている。そのうち友達も連れて現れるように。クラブで踊るときには端の方だけれどこちらをじっと見ている。うれしいんだかやりずらいんだか・・・。ファンなのか、仲間なのか・・・。

この一連の衣装購入から早2ヶ月ほど、未だに、彼女はいる。ドバイはどうしたのよドバイは。

そんな訳で色んなジャンルの友達が出来つつある今日この頃・・・。

2008年5月16日金曜日

別れ

別れは、突然やってくる・・・ものもあれば、前もって分かってるお別れもある。

ここで言う週の始まりは、土曜日。ウィークエンドとは、水曜日の夜辺りから始まり、木曜日と金曜日をさし、一般的に言う休日は金曜日。というのは、ある意味アルジェリアは本物(?)イスラム教徒の国だから。もちろん一週間のうち金曜日が休日のイスラム教国は他にもたくさんありますけれど(というより本来イスラム教国なら金曜日がおやすみのところの方が多いでしょうが)。

例えば、イスラム教が国教のアラブ首長国連邦では、休日は諸外国とのビジネスのやり取り上都合の良い日曜日。トルコもイスラム教徒が多数を占めるイスラム教国であっても一週間のうちの休日は日曜日。インドネシアだってイスラム教国でもおやすみは日曜日。

ということで、毎晩私が踊るこのシェラトンホテル内にある、アルジェリア料理のレストランとは他に、週末(水曜日と木曜日-これを説明したかった)踊る1001 Nuitsというナイトクラブがあるのです。そこは、ダンスとは関係なく毎晩バンドが生演奏をしているのですが・・・。

このバンド、ブルガリア人の男女4人で結成されているのですが、写真に見ると一見稀ないでたちをしていてそれなりに存在感のある人たち。主によく知られているカバー曲を演奏する彼ら、私がシェラトンで踊り始めるとほぼ同時期にアルジェリア入りしたのですが、実はこのバンド、演奏は素晴らしいのだけれど、ボーカルがあまり上手くなく・・・遠くから聞こえる歌声に、あれ?今日は素人をステージに上げてカラオケ大会でもしてるのか?と思ったこともあったほど。けれどもエンターテイメントを求めて集まってくる観客を、今までそれなりに盛り上げていたのかも。

小さくて見えませんが、左側、彼らです。

週末の私の仕事形態の日課としては、レストランで踊る2セットが終わると、一度部屋に戻り、衣装を換えてすぐに1001 Nuitsに移動。裏口から入り、バーの裏の控え室で待機するところ、今日もいつものようにその部屋に入った私の目にはいつもその時間ステージで演奏をしているであろうバンドのメンバーが一人。

ん?どうしたの?

今夜旅立つんだ。

えーーーー!?明日かと思った(って私の勘違いもどうかと思いますが、それ以前に1週間が終わる前に契約が終わるっていうところがよく分かりません)。

そんな彼らが今晩旅立つ。

これから君の踊りを見て空港に向かうよ、と。

そうなんだ。

自分の出番が終わり、再び控え室に戻る私の後を追ってやってきたそのメンバー、どうやら目を真っ赤にしている。お別れの挨拶をして、その場を後にするそのメンバー。

そのタイミングで部屋に入ってきたスタッフの子も目を真っ赤にしている(ちなみに私は泣いちゃませんが・・)。彼らが抱擁し合い、最後になるであろうお別れの挨拶を交わしているのを見てる間に、なんだかやっぱり寂しくなってしまいました。やっぱりどんなに短くても、毎日一緒に働いている人たちが明日から急にいなくなってしまうとなればやっぱりもの悲しいもの。

去っていったメンバーと、目を赤くしたまま、せわしなく次の用事を済ませてまた出て行ったスタッフの背中が消えたその部屋で、呆然と立ち尽くす私。

次に入ってきたスタッフに、やっぱり寂しくなるね、と声を掛ける。

そのスタッフ、今度は That's life. と小さく微笑んで、そんな言葉を発する。

1001 Nuitsからのいつもの帰り道、ガラス張りの窓越しに雨で少し濡れた地面に目をやりながら、ちょっと悲しくなった、そんな夜でした。

これ、まだ泣いてないそのメンバー。ちなみに彼だけは帰国後すぐ次の契約先のロンドンに向かうそう。

2008年5月14日水曜日

逆境

「逆境」

とは、逆手に取るものである。

・・・と、私の辞書にはある。

というのも私、ベリーダンサーとして、それはそれは色々に悔しい思いをしてきているのです。 具体的な話は伏せますがね(笑)。

私。

日本国生まれ。

黄色人種。

黒髪。

茶色い目。

東南アジアからハワイまで、どこに行っても現地人だと間違えられることが多いので、どちらかというとそっち系(どっち?)の顔立ちをしているのかも知れないけれど、れっきとしたなんちゃって日本人なのです。

さて、まずこっちの人(中東、湾岸諸国の人)からしてみると、日本人でベリーダンサーなんてあり得ない。

そう、そこが問題。

日本では近年とても人気のあるベリーダンス。まだまだベリーダンスコミュニティーは小さいかもしれないけれど、とても面白味のある世界。昨年からはベリーダンスの雑誌まで出版され始めているほどなのだけど、そんなこと、こっちの人にとっては知ったこっちゃない・・・。

そして極めつけは、オリエンタル(ベリーダンス)はアラブ人にしか踊れない、と思っている人多し。ですので、アラブ人じゃないほかの人種がオリエンタルを上手に踊ると、彼らはとても驚く。

そして極めつけの極めつけは、ではそのオリエンタルを踊れるアラブ以外人(造語)がきわめてアラブ人に似通った人であると、とてつもなく好まれるということ。もしくはそうならずとも欧米人の血筋だと喜ばれるように私には思えて仕方がない。

中東、湾岸諸国を牛耳るベリーダンサー大手のエージェンシーに所属したはいいものの、実は中々仕事に在りつけるのが困難だったりもするのです。それもそのはず、こちらの人々はアジア人が踊るベリーダンスなんて興味がなかったりするのだから。いや、アジア人に興味がない?どう頑張ってもアラブ人には見せかけられないアジア人ってだけで既にものすごいハンディ。

だからどれだけアラブ音楽に理解があっても、踊れても、一緒に口ずさんで歌っても中々それを受け入れてくれるところがなかったりもするもの。たとえ送ったPVを見たホテルのマネージャーが踊りは気に入ってくれても客に受けるかどうか分からないアジア人を雇うよりも(レバノン人じゃないところが変な話ですが)既に間違いがないであろうブラジル人を雇う方が魅力的だったりするのです。

今でこそ多数のブラジル人ダンサーが私のエージェントから派遣されて湾岸諸国で活躍してはいるけれど、彼女たちが自分たちの名声を築くまでにどれほどの時間がかかったことか(聞いてないので分かりませんが)。もちろんそれは彼女たちの実力が伴っているからだと確信してはいますが。確かにブラジル人、見とれてしまうすごいダンサーは山といる!

例えば、ロシアにも、それはそれは上手なベリーダンサーがたくさんいるのをご存知ですか?ある人曰く「それは他にすることがなくて一日12時間練習してるからよ」・・・なんて言ってましたが何時間練習してるかはまた別の話で、上手いことに変わりはない。そんな彼女たちもある意味もっと悲惨な立場にいるかもしれないと、思うこともあるのです。というのはどこに行っても彼女たちは娼婦扱いにされたりしてしまうから。これって私自信の偏見かもしれませんが、そう、こっちの人たちは私たちに輪を掛けて偏見を持っていたりもするのです。(この辺りは、事実多少話しに聞いたことを語っていますが、この辺りのお話に不快感を抱いてしまったら、大変申し訳ないです)

レバノンのエージェンシーに所属した話をした時、とある知人が言いました。「あら、レバノンではダンサーがそんなに不足しているのかしら」って。いやいや、そうじゃない。決してそうではない(と、思いたい)。本場の人をも魅了する選りすぐりの人たちを出身地構わず集めてるんです(・・・とも、思いたい)。だから、それなりにプライドを持って踊り続けるのもいいことだと信じて止まない・・・。

突拍子もないアジア人だからこそ目立とうではないか。その「奇妙さ」を利用して意表をつく。踊れるアジア人を知らしめようではないか(半ばやけになってる?)。

しつこいようですが、「逆境」とは、思う存分遊びこなして逆手に取るものである。いや、そうあるべきものである。・・・違う?きっとそうに違いない(少し苦しく自分を説得)。

その逆境、今回見事に逆手に取った?と思われる(・・・だから、そう思いたい)。というのが当初2月から期間3ヶ月で始めた契約が、1ヶ月延び、そして更に3ヶ月、今年のラマダンまで延びたから。

本日5月14日、要するに今までアルジェ・シェラトンで踊ってきた期間(3ヵ月半)と全く同じ期間、継続してここで踊り続けます。

ちなみに今年のラマダンは9月4日ごろから(曖昧)。契約終了日は9月2日。取り急ぎ?お知らせまで(笑)。

2008年5月7日水曜日

ロザナ

彼女は、アイスランド人。
(アイルランドではない)

アイスランド人の彼女は、私の特別な友達。

そしてその特別な友達ももちろんベリーダンサー。

言っておきますが上記は全て同じ人物、ロザナ。

ロザナと私。

彼女が一緒じゃなかったら私のレバノンの印象は違ったものだったかもしれない、たくさんの秘密も、楽しみも冒険も悩みも分かち合った、そんな大切なダンサー友達。

そんな彼女に始めて会ったのは2006年夏のベイルート。夏には会話もままならないままお互いベイルートを離れた同士、でもやっぱり運命なのだろうか、2006年11月、私は彼女に再会している。 当初私が持った彼女の印象はとても大人しく、一見控えめな感じ・・・だった・・・が、それは翌年ことごとく覆される。説明不可能なほどワイルドになったその翌年は、彼女なしでは語れない。

そしてそのきっかけは私たちが所属するエージェント。翌年には同時期にベイルート入りし、同じ部屋をシェアするという、今ではもう切っても切れない関係?に。彼女はとってもオープンで、当たり前ではあるべきだけれど、全ての面で私をリスペクトしてくれた人。女の子同士だからが故一緒にいてこんなにも楽しいと思えたのは、おそらく彼女が始めてだといっても過言ではないかも知れない、そんな友達。色んな人が出入りし、色んなダンサーに会う中で、偽りのない関係を築けた本当の友達。職業上いやな事も色々大ありな世界なのですから。

去年のレバノンも、実は不安定な時期が続いていたのは確か。そんな中レバノンに召集された私たち。事情がよく分かっていない外国で、不安はもちろん付きものだけど、不安な面持ち一杯で、外に出るにもためらいのあったロザナが、一言私に聞いたこと「ここの人たち、怖くない?」、と(そんな感じのことだったと記憶している・・)。

そんな彼女に私、

皆おなじ人間だよ。家族もいれば友達だって恋人だっている。うれしい気持ちだって悲しい気持ちだって持ち合わせた、おんなじ人間なんだよ。

と言ったことで彼女も少しは安心したよう。そして肝心の私は、なるほど我ながら良いことを言ったな、とひそかに思う。そして実際2人、後付で分かったことは、レバノン人は恐ろしいほどライフを楽しむ人たちだと・・・。

とにかく、数え切れないほどのハチャメチャな経験をレバノンで共にしたロザナ。

そんな彼女と連絡が途絶えて数ヶ月。

メールを書いても返事は来ない。

どこの国にいるのかも分からないから、電話番号だって、知らない・・・。

一体彼女はいづこやら、と思った矢先、もらった電話。その時の彼女の契約先のホテルではインターネット接続がうまくいかずずっとネットから遠ざかった生活をしていたとこのこと。久々に話す機会に恵まれた切っても切れない関係の2人、延々と花を咲かせたおしゃべりは、気付けば1時間半は経っていたと思われる。そして先月までのそんな契約を終えた彼女の次のデスティネーションはドバイのホテル。

そろそろドバイに到着して、Day1が始まった頃でしょうか。

Rosana inti ya helwa!

2008年5月5日月曜日

カスバの女

前日、ホテルの友達のマディナが私に声を掛ける。

「明日用事ある?」

「いや、別にないよ。」

「じゃあ11時ごろ電話するね。アルジェに行くかもしれないから。」

出かける機会があればほぼ毎回イエスという私。
彼女の休みが月曜日と火曜日なのは知っている。

それなら、と早起き(?)をして朝食を済ませた私は、携帯に目をやる。
11時。
11時半。
12時。
・・・鳴らない。

こちらの人は約束を約束として考えない性質があるらしい。それはアルジェリア人だけではなくレバノン人も同様(もしくはより悪いかも)なのだから。

まあいいや。当てにする私のほうが悪かった。過去に何度もそんな経験がある私はもうあまり気にしない。起こることは起こるし、起こらないことは起こらない。ただそれだけのこと。我ながら大人になった(?)と思う今日この頃。特に悪い意味はないのだけれど、こういう国のこういう国民を相手にじたばたしても何も始まらないのはレバノンで嫌というほど学んだ私。

要するに今日はないんだな、と判断。
・・・すると12時15分。知らない番号から着信あり。
出てみるとマディナ。
お母さんが迎えに行くから5分で出ておいて、と言っている。ってあなたもうちょっと時間頂戴よ。

私なりに急いで10分。ホテルの入り口に行ってみるが、そこにお母様の姿は・・・ない。
しょうがないので待ってみること10分。そこにやってきたルノーを運転するお母さん。
おお、上出来。今回の待ち時間はそんなに長くない(笑)。いつものようにローカル語とフランス語をハチャメチャに混ぜた挨拶を交わし車に乗り込む私。

家で待機していたマディナと彼女のおばさんをピックアップしてアルジェめがけ高速をかっ飛ばすお母さん。この時点で私、どこに行くのかも分かっていない。

なんだか狭い路地をぐるぐる行くうちにマーケットらしい通りに出くわす。だからカスバの道路は狭くて嫌なのよね、とマディナ母。カスバ?そうか、今日はカスバに来たのね。これが、あのカスバ。

以前、マディナはおじさんがカスバに住んでいるから今度連れて行ってあげるね、とは言ってくれたものの本当に連れて行ってくれるとは何とも感激である。
世界遺産にも登録されているアルジェのカスバとは・・・

「本来の意味でのカスバとは、オスマン帝国領下の16世紀において、アルジェに建てられた城塞のこと  である。この城塞と海岸線と起伏のある地形に囲まれた一帯で人口が増加し、アルジェの旧市街が形成された。そして時代が下ると、この旧市街自体のことも「カスバ」と呼ばれるようになったのである。カスバには宮殿やモスクは残っているが、植民地時代の残滓は大部分が姿を消している。

カスバの魅力は、高低差118mにも及ぶ起伏に富んだ地形そのものと、そこを縫うようにして伸びる、在りし日の謎と神秘に満ちたアルジェへいざなう曲がりくねった細い路地、そしてそこに建てられた家の外観や内部の特色などによって構成されている。アルジェの家は家々に囲まれた泉のある四角い中庭に通じているのが特徴的である。

カスバの高いところは急勾配になっているので、路地のほとんどが階段状になっている。専門家たちは、何世紀にも渡って互に支えあうように、そしてもつれ合うようにして建っている家々が織りなす建築上の奇観が、この急勾配の土地の上に作り上げられてきたことに驚嘆の色を隠さない。

本来の中心部は美しいもので、かつてはムーア人都市アル=ジャザイル(アルジェのアラビア語名称)に、「アルジェ=ラ=ブランシュ」(白き都アルジェ)のあだ名をもたらした。しかし、現在のカスバは崩壊の危機に直面している。海から、あるいはテラスからカスバを眺めれば、まだ十分に美しいものである。しかし、実際に路地を歩いてみれば、その悲痛なさまが明らかである。構造上、ある家が崩れると、それと折り重なっている家々もドミノ倒しのように倒壊の危機にさらされるのである。」

面倒なので、上記はWikipediaを使ってまたそのまま引用させていただきました。以下、URLです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%90

アルジェの街中は、だいたいどこも路上駐車。そしてその路上駐車を仕切るお兄ちゃんが道のいたるところで車に指示を出す。空きはない?というマディナ母にお兄ちゃん、あそこが空いてるよ、と指を差す。アルジェリアで走っている車はほぼ全てマニュアル車。坂道の多いこの町での運転はさぞかし大変なのではと思うのだが、住んでる人たちにとってはもう慣れたもの。・・・と思いきや、バックで縦列駐車をするマディナ母、指示をするお兄ちゃん、ヤーラ、ヤーラ(・・と言っていると思われる。ちなみにyallaとはアラビア語でlet's goの意味)、ガシャン。OK!・・・ってOK!じゃないでしょ、OK!じゃ。よく見かけます、こういう光景。

地元の、しかもカスバの市場。今日も面白いものをいくつか発見。
シャネルのマークがいたるところに入っているアバヤ。ベルサーチのマークがデザインとしてなされているアバヤ。グッチのアバヤ。そう、これらはもちろん全て偽者。こりゃあ面白い、と写真を撮ろうとバカな質問。撮ってもいいですか?答えはダメー。日本人なんだからいーじゃーん。と言ってみるがダメ。理由は?写真に撮って日本でデザインを真似されたら困る、って。・・・真似、しないよ・・・だいたいアバヤなんて作っても売れない・・・。今度写真を撮るときは、言わずに撮ろうと心に決めた私。そして今度「ベルサーチの」アバヤを買おうかな、とひそかに思ったりもしてみる。
ちなみにアバヤとは、イスラム国家の女性(国にも文化にもよるとは思いますが)たちが外出する際体の線を見せないように上から羽織る羽織もの。日本では売れない、と書いてハタと思う。ベリーダンスをする人の人口が増えているのであればアバヤが売れるようになるのも時間の問題・・・。衣装の輸入と平行して考えてみるのも悪くないかも、と上で言ったことは取り下げます。アバヤの込み入った話は今度のエントリーで。

マディナ母が吟味している赤ちゃん用の毛布。可愛いのだけれどケースにはよく見ると「Mode in Korea」と書いてある。モード・イン・コリアって何だ?韓国での流儀?おかしい。やっぱりおかしい。

買い物後、マディナのおじさんの家に向かうべく、カスバの街中を入っていく。

狭い段々の路地。古びた石畳。
上を見上げると、窓からぶら下がる洗濯物。あちらからこちらに引っ張られている電線。
悪ガキそうな男の子たち。
薄暗い、小さな入り口。50センチはあるであろう階段の1段。木があったり、タイルであったり。
ところどころ差してくる日差し。全てが継ぎ接ぎのように思われる、それでいて一体化した建物。いや、その継ぎ接ぎが折り重なって出来た街全体。訪ねたお宅は最上階(別名ペントハウス?笑)の一角。
おじさんは仕事でいないけれど、おばさんと、7歳の男の子、5歳の女の子が、その部屋にいた。お茶を出してくれたり、その間のやり取りを見ていると、薄々気が付いてはいたけれど、私のホテルの部屋よりも狭いそのスペースに家族4人、暮らしていることを悟る。他には小さなキッチンだけ。そこでご飯を食べれば、寝起きもする。テレビも置いてあれば、冷蔵庫もある。子供用のオモチャなんて、何一つない。何とも不思議な気分に陥ったけれど、子供たちの屈託のない笑顔を見たら、こういうのもいいのかもしれない、と、思った。
ちなみに、私は存じなかったのだけれど、「カスバの女」という歌があるらしい。

キム・ヨンジャさんが歌ってるバージョン

エト邦枝さんが歌ってるバージョン

帰り道、ラッシュと重なってしまった時間帯。マディナ母、数メートル行っては止まってしまう車の流れに毎回サイドブレーキをひいて坂道発進。隣の車と競り合って、絶対、譲らない(笑)。強し、マディナ母。

ちょっと疲れたかも、と思いつつも、カスバからの帰り、シェラトンから近いマディナのお家へお邪魔する。彼女の妹の結婚式のビデオをつけてくれる。面白いのだけれど今の私には少し辛い(疲れで)。今日だって今から帰ってお仕事が・・・。でもここは頑張って一生懸命おだてる私(本当にきれいだしビデオの質も良く、エンターテイメントも最高)。今日はぎりぎりにホテルに戻ることになるだろうな、と時計を見ると午後7時。

が、そこからが集中どころ。以前シェラトンで踊っていたウクライナ人(と聞いています)のジュリアナ(ちなみに彼女は私と同じエージェンシーではないようです)が、1年間シェラトンにいたことも聞いていたし、契約が終了してからその1年後、マディナの妹の結婚式の為にわざわざ来てくれたということだって聞いていた話。契約期間はその人の実力に比例するわけでも何でもありませんが、そのビデオの彼女の踊りを見て、納得。素直に、もっと見たい、と。

こういう職業についていると、多少なりともライバル心というものは捨てきれない部分があるとは思うところ。その上私はお世辞を言わない。でも本当に感動した踊りを見たらそう表現するし、素晴らしいダンスをする人は、ためらわずお手本にする。幸い私の周りには素晴らしいダンスをするダンサーが山といてお互いに刺激を与えられる環境にいるとは思っていても、お互い各国で踊っていればその人たちを生で見る機会は中々ないもの。
正直この頃、少しどうにかしたいな、と思っていたそんな時に受けたとても良い刺激。あなたのこと知らないけど、ジュリアナ、今日はありがとう。結局ホテルに戻ったのは8時PM。いつものルーティーンの工程はいくつもはしょらざるを得なかったけれど、今日の収穫は、とてつもなく大きかった!と思われる。

カスバの女。

カスバの女たち。

カスバに行った女。

いや、今日は カスバに行った女たち。


マディナ母。ザッハ!xxx

2008年4月30日水曜日

D-FULL

先月の女性の日のこと。

スペシャルイベントとして私が踊ったステージ前方にはなんだか三脚にのせたカメラ。
踊りの最中にはあちこちで光るカメラのフラッシュ。

絶対誰かは雇われて映像なり画像なりを撮ってるはずと思っていたんだ・・・。

随分たってから、ホテルの友達の一人が教えてくれました。
マリコ、もしかしたら私あなたを雑誌で見たかもしれない、と。

翌々日、その友達は地元の音楽雑誌を持ってきてくれました。
D-FULLという雑誌。

特に私が取り上げられているわけではありませんが、女性の日の記事の一環としてどうやら写真が載っていたよう。

以下、その雑誌でございます。
っていうかマネージメントの諸君、知ってたんでしょ、誰か教えよ、全く・・・。


ちょっとしたご報告まで。

2008年4月26日土曜日

とりあえず1ヶ月

4月26日。
実はこの日はベリーダンサー私(笑)とアルジェシェラトンとの契約最終日。

でもそれは2008年1月30日から有効に働いた(ちょっとだけ開始日がずれていますが)、最初に交わした契約書でのこと。ほぼ全てのダンサーが3ヶ月の契約でここを後にするも、今回は実はホテル側から早い段階で契約延長のお願いが来ていました。

エージェントに言わせると、契約延長は中々ないことゆえ、ここは快く受け入れること、とのこと。
私も何ら結果が残せているのではと思いうれしく思っていたのは確か。

でもこの職業、あえて言うなればアラブ社会でのこの職業、変更はつきもの、普通に起こる日常茶飯事なんです。仮に契約書がなんてうたっていても変更は変更として当たり前のように取り扱われる、定かなものなんて何一つない、そんな世界。
今までずっとお知らせしたいはやる気持ちを抑えつつ、この場でお知らせするのは控えておりました。

が、本日現地時間では4月28日。そろそろいいかなと判断(笑)。

とりあえず契約続行、5月の終わりまでの契約延長は確実となりましたので、ここにお知らせいたします。

そしてお祝いのタブラ叩き!
といってもこれは随分前に撮った写真。