2008年6月30日月曜日

ジューン・ブライド(下)

ダンスフロアー的エリアの前方に位置する2つの椅子。
天井からはミラーボール。
どうやらそこに新郎新婦が座る模様。
そしてその隣にはDJブース・・・。

会場に一歩足を踏み入れたときから終わりのないアルジェリアン音楽が流れ、結婚式だのお葬式、ハッジ(ムスリム男性がサウジアラビアのメッカに行くとこの称号がもらえる栄誉あること)を迎えるときにも使われ、ベリーダンスを促す?ためにも使われる、ヒャーララララララララという女性が舌を小刻みに動かして発する甲高い音が、合間合間でひっきりなしに続く。ちなみにこの音は、英語でUlulationと言い、アラビア語ではZaghareet(複数形。単数だとZaghroutah)。アラブ圏のそれぞれの国や土地によって響き方が異なるのです。

さてそのZaghareet、流している曲にあらかじめ入っているものでしょうか、出席している女性が生音で立てている音でしょうか?

と、1人でクイズ番組をやってみたりする(本当にどっちだか分からなく、答えも明かされることはなかった・・・)。

この結婚式、面白いのは特に開始の合図もなく、ダンスフロアーに繰り出して皆そろりそろりと踊り始めるところ。そしてここで登場するのがヒップスカーフ(ベリーダンスのレッスンなどに用いるコインがジャラジャラ付いた腰に巻くスカーフ)をつけた女性たち。彼女たち、もちろん結婚式に招待された一般客。そうか、ここでのヒップスカーフの使い道はこういうところにあるのね。・・・にしてもおばさん、エジプシャンウォーク上手だよ。

そして前方右手にあるDJブースからここぞとばかりに歌いだすおばさんDJ。が、流している曲って既に歌入ってんじゃん・・・。歌う意味が分からない・・・。

もうお気づきかもしれませんが、この結婚式は、そう。女性だけが出入りできるのです。

とまあ全体像が掴めたところで近づいてくるZaghareetの音。すると踊っていた出席者がまたそろりそろりと各自自分の席に戻り始める。これは花嫁が部屋に入ってくるという合図なのです。取り巻き(?)数人に付き添われ、会場をぐるっと一回り、まずはピンクのドレスに帽子をかぶせた出で立ちで花嫁の登場(ちなみに新郎はまだです)。歩く先にはそれぞれビデオカメラを抱えた女性が二人。後ろ歩きをしながら今日の主役をばっちり撮影中。

皆の祝福を受け、一周し終わった花嫁がDJブース横の椅子に着席すると、先ほどのカメラパーソン、花嫁に座り方の指示を出しながら、彼女の足元から撮影を始める。そう、ここで私が見た結婚式のビデオ、会場に入ったシーンでは、実はどれも何故か花嫁の足先から映し出されるのです・・・。

この後花嫁は何度となくお色直しを繰り返し、会場を出たり入ったりするのですが、結果から先に言うと、なんとお色直しの数、8回。日本で結婚式に出席したことがない私は、一般的な結婚式で大体何回お色直しをするのか分からないけれど、まあ着る方楽しく、見るほう楽しくやるのが趣旨なのでしょう。一生に一度のものだから(と、皆思うもの)。そして忘れてはならないのが出席客にもお色直しをする人がいるということ。もちろん皆ではないけれど、お洒落に気を使っているのか、お金があるのか、もしくはただ単に見せびらかしたいのか・・・。とはいえ日本でこんな人いないでしょう。おいおい、主役はあくまで花嫁です、花嫁。今回もいました何人か(ビデオでも)。

こっちでの結婚式に付きものなのが、アルジェリアの手作りお菓子を提供すること。会場で働く人たちがトレーにこれでもかと言うほど甘いスイーツをいっぱい載せてそれぞれのテーブルを回ってくる。今回は引き出物たるハート型の赤のお皿が前もって配られていたので、それにそれぞれ回ってくるお菓子を溜め込むことに。砂糖いっぱいのこのおやつ、新婚さんの甘い生活にあやかろうと言うものなのかと思いたいが、こっちのスイーツは全部過剰に甘い・・・。


そんな時会場に入ってきた女性何人かと、何人かの男性陣。ここは男子禁制!と思っていた矢先の出来事。意味が分からなくその一部始終を眺めていて分かったことは、彼らは花嫁の家族だと言うこと。そして一幕一緒に踊ったり写真を撮ったりした後に出て行きました。

それにしてもこっちの結婚式、皆好き放題している印象を受けますが、これって国民性?

さて、お色直しも中盤に差し掛かった頃、さっきから花嫁並みに出たり入ったりしているメリナ(今回の花嫁の友達で私を結婚式に連れてきてくれた子)が私に話しかける。衣装を持って一緒に降りましょう、と。連れられた先は花嫁とその女性の家族が着替える更衣室。いいのかな?っていうかメリナ、私が踊ることは了承を取ってあるんでしょうね。一応了承は取ってあるらしく快く?向かい入れられましたがそのステージ裏は戦場と化していた・・・。

花嫁の次の登場後に踊ることを何となく察し(ここではほぼ全てを察しながら生きています)、会場のドアの外で待機。今日のために用意した聞こえてくる音楽を意識しながら全体の流れをイメージする。センタースペースでエントランスのベールワークを終えたらテーブルを踊り練り歩こう。・・・と思っていた私のプランは次の瞬間ことごとく壊される。開け放ったドアからベールを翻し登場した私を見た瞬間会場にいた全ての女性が歓声とともにセンタースペースを取り囲むように押し寄ってきたから。

床がつるっつるで滑りそうになるヒールをコントロールしながらスペースいっぱいに踊る。もちろん花嫁に対して誠意を持って。めでたい席で場を盛り上げるのはベリーダンサーの宿命だから。そんな中こっちに行って踊ったらこっちの人だかりがキャーキャー、あっち側に行って踊ったらあっちの人だかりがキャーキャー。私の踊りを観て鳥肌が立ったと言ってくれる人はたまにいるけれど、踊りながら自分で鳥肌が立ったのは、初めての経験。一瞬寒くなって(ただ単に風邪?)、自分、踊りきれるかな、なんて心配したけれどもちろんそれも一瞬の出来事。その時を肌で感じながら自分の仕事と境遇、出会いに改めて感謝。

ただ1つ文句を言えと言われたら(誰も言わない?)、DJがところどころ何かをしゃべりたいらしくその中途半端な間音楽を消すところ。それが何回も。DJちゃんとDJらしく仕事しろ!全く。

さてこの踊りの後その場は写真撮影の場と化してしまい、結局着替えるために会場を出られたのは30分後。

いくつも撮られた写真のうちの1つ。これも小さい女の子たち。
子供からお年寄りまで、幅広い年齢層の人たちにモテモテの私。
でも、忘れてはならないのが、これ、全部女性ですから・・・。

その後3,4回のお色直しで再登場する花嫁。


このネイビーブルーに刺繍が施してある装いはアルジェリアの伝統的なドレス。実はこのドレス、一番下のスカートの部分が前後縫い合わされているのです。ということはスカートなのかパンツなのかよく分からなく、はっきりしようよ、と思ったりもするのですがよそ者の私が言うことではない。そしてトイレに行くときはどうするんだろう、といらぬ心配をしてみる。


こちらは花嫁とメリナ。このドレスも素敵でした。

そして少し心配になってくる私。
一体新郎はいつ姿を現すつもりなのか。
メリナのお姉さんでシェラトンに勤めるマディナが教えてくれる。新郎は最後の花嫁衣裳の時に来るみたいよ、と。そして花嫁の最後の登場。お父さんとお母さんに連れられてやってくる純白のウェディングドレスの花嫁。


同じように会場を一周、皆に自分の姿を認識させ着席。そして踊りだす女性たち。
20分、30分・・・ねえ、花婿は?
・・・
教えてくれるマディナ。
なんか今日は来ないことになったみたい。
ってそれでいいんか!!!!!!!!!!!!!!!!!!
結局花婿の姿を一目も見ることなく会場を後にした私たち。
アルジェリア、恐るべし。
さてその後なのですが、そのまま帰るのかと思いきや、皆ぞろぞろと上の階へ上がっていく。そこに用意されていたのはテーブルをいくつも並べた二手に分かれたお部屋。今日の招待客用に食事が用意されていたのです。そしてもっと驚いたのは、さっきまで肩が露出したドレスを着て踊り狂ってた女性たち、気が付くと皆アバヤをまとい(もちろん皆ではありません。ドレス姿のそのままの人もいましたが)仕切る目的で置かれたつい立のこちら側にやってくる。ああ、ここはイスラム教徒のお国なのだな、と改めて実感。色々貴重な経験をさせてもらっていることにまたもや感謝。
そして帰り際。私最初に思ったのよね。ここでの駐車、車を詰めて停めるとしたら、外側の車にブロックされて身動き取れないなんて事、ないよね、と。・・・まさしくマーフィーの法則。
仕事のある私は、ある時間までにホテルに戻っていないといけないことはマディナもメリナもお母さんも皆承知のこと。ぎりぎりの時間帯まで結婚式場にいた私たちに起こったとんだハプニング。外側に停まっている車の持ち主が誰だか分からない。時間に焦るがため、家族3人、みんなで喧嘩口調、一日中花嫁の世話をしたりで歩きっぱなしだったメリナは長時間履いていたヒールの痛い足を引きずり会場に戻って車の持ち主を探す。そして押してくる時間。
立場的には私が一番焦るべきだけれど、焦っても何も変わるわけではない。うーん、これは困るんだけど多分大丈夫でしょう、インシャッラー。ってあんたが一番アルジェリア人・・・。
幸い車の持ち主が見つかり、高速をかっ飛ばすスピード狂のメリナ。ぎりぎりの時間だけれどホテルのエントランス横に車をつけたのは、私が注文した一番遅くても大丈夫な時間2分前。得意気に笑いながら言うメリナ、これでOKでしょ?そうそうそれそれ、こういうスリリングなことは止められない(笑)。

ジューン・ブライド(上)

アルジェリアにそんな言葉が存在するのかどうかは知らないけれど、June Brideとはよく言ったもの。6月の先日、はじめてアルジェリアの結婚式に行ってきた。

この人、今回主役のジューン・ブライド。

さてこのアルジェリア式結婚式、はじめてのはずなのに、何故か勝手を知っている私。と言うのもここに来て以来、もう既に3度ほど人の結婚式のビデオを延々と見せられたから。2度は招待してもらったそれぞれの友人宅で。もう1度は何故かホテルの売店で・・・。

仲の良くなった友達の一人に、たまに外に連れて行ってくれるホテルのマディナがいる。
3度見たビデオのうちの1度はマディナの妹メリナの結婚式のもの。
マディナと彼女のお母さんに、前回カスバに連れて行ってもらったのだが、今回は妹メリナの友達の結婚式らしい。

随分前から6月16日の月曜日は結婚式に連れて行ってあげるから覚えておいてね、その日の朝、電話するからね、と日本人の私が約束をすっぽかすと思うのか(アルジェリア人には何度となく約束をすっぽかされているのでちょっといやみ。ちなみにレバノン人も平気で約束をすっぽかします。これはアラブ圏の風習なのか??)?と言いたくなるほど散々言ってくるマディナ。分かったから。

そして前夜、電話が鳴る。
明日朝10時に電話するからね、と。

おい、それだけ言いたくて電話したんか?と何故か彼女の真剣さに思わず笑ってしまう。

続けて、焦ったように言うマディナ。ちょっと待って、メリナと代わるから、と。
電話を代わったマディナの妹メリナは興奮気味に高ぶった声でこう言う。
「青い衣装持ってきて!青い衣装!」
どうやら以前見せたCheb Khaledと写っている写真の中の私の青い衣装のことを言っているらしい。

ん?

踊るの?

よく分からないけどとりあえず了解しておく。じゃあ明日、と言って電話を切るが。

・・・翌日、10時はゆうに回っているのに、鳴らない電話。

昨日の電話は一体なんだったのだろう。こうなるともうとことんアルジェリア人が分からなくなる。
待っても待っても電話は鳴ることなく、せっかく10時に連絡が来てもすぐ出られるように用意をしていたにも関わらず結局こっちから連絡することに。
時、既に13時50分。

というより3時間以上後に連絡する私もどうかと思いますが、これは私がめでたく(?)郷に入った証。

こういう場合、アルジェリア人はとてもばつの悪い様子で私に対応する。
そして打診をするがごとく、別のことをとっさに口走る。
あと10分で行くから。

それより先に言うことがあるでしょう?
10時に電話することは向こうが言い出したこと。それなのに電話しなかった。普通は、謝る。

10時に電話することは向こうが言い出したこと。それなのに電話しなかった。でも、ここ、アルジェリア。「アルジェリア」と書いて「普通じゃない」と読む。だから、謝らない。

普通は怒るけど、「アルジェリア」にいる私は「普通じゃない」私、だから、怒らない。もうこういうの、想定内。怒るだけ損。

20分後お母さま運転するルノーがお迎えに、ひとまずマディナの家にて準備の様子を拝見。
さて、ここはイスラム教徒の国と言えど、結婚式となると、もうそれはみなのおめかしの恰好の場。普段外には着ていかないであろう肩の露出したドレス、膝が見えるスカートにばっちりマスカラのお化粧を施した装い。お母さんが外出する際は、常にアバヤを羽織ってはいるものの、妹も既婚者だから同じように上にアバヤでも羽織るのかしらと思いきや、車に乗り込むのだからそのままの格好。その格好、結構ここではNGな服装なのでは?と要らぬ心配をしてみる。(でもカーディガンは羽織ってました)

結局結婚式自体が何時からかという質問に対し、開始時間はどうやら3時らしく、さて出発。
さて目的地のこの会場、ある結婚宴会場を貸しきってあるよう。車を停めると、係りのおじさんが車を誘導している。派手なショッキングピンクの柄物ネクタイ。この駐車場のおじさん、ちょっと変わった装いだ、と思っていたら後で分かったこと、彼、新婦の父親でした。新婦の父親は駐車場もしきらないかんのかい?そりゃあ大変だ・・・。

少し暗い階段を2階に上がって、曲がってしまっている取っ手のドアを開けるとそこには女性たちが大勢。いくつも用意されているテーブルに友達同士、知り合い同士で座っているよう。女性の話好きは万国共通、思い思いの会話の話し声が重なってうるさいくらい。

入ると人、人、人!

入ってすぐ右側のテーブルにはお祝いのプレゼントが山済みになっている。そしてその横に待機している花嫁の母親。どうやらやってくる人たちに挨拶をしているよう。もちろん私を知っているわけではないけれど、頬っぺたを交互に一度ずつ合わせて挨拶のキスをする。親しい人にはそれを往復2回で計4回のキス。

アルジェリアに来て思ったことのひとつ(特に家族の多い友人の実家に行ったりした時最も実感)は、どこに行っても挨拶に掛ける時間が長いこと。私が踊るレストランでも、みんなと仲が良くなった私は、一人一人と恒例のアルジェリアン挨拶を交わす。これが過ぎるとたまに能率の悪さを感じるのだけれど、人と交流する上で、挨拶はやっぱり外せない。どこに行ってもその土地柄の挨拶は、その人たちの文化を理解したり尊重する上で、基本中の基本、もちろんマストだから。日本でも互いに何度も会釈して挨拶するのと同じかも、と思ったりもする。

挨拶の終わった私たち4人はダンススペースになるであろう、だだっ広く空けてあるセンターを中心に反対側の未開拓地に着席。

そして消えるメリナ。彼女の友達の結婚式とあって彼女の知り合いは多いよう。は来る人来る人に挨拶してる。結局は花嫁の母親の隣で一緒になって挨拶してる。あなたは一体何者?

本番の式の内容はジューン・ブライド(下)に続く。

2008年6月28日土曜日

愛の告白

今夜、プールサイドのブランコに乗っていた一人の女の子がショーを終えた私に近づいてきた。

彼女は9歳、名前はノーラ。アルジェリア人の女の子。
レストランがプールサイドのテラスに移動してからよくお母さんと3歳の妹ラビナ(違うかも・・・確認します)、おばさん(だと思われる)とお手伝いさん(違うかな)と一緒にレストランに来てくれる。お母さんは豊満で、よくこんな細い子が生まれたな、と感心するばかりなのだが、皆、きれいな顔立ちをしている。

初めて彼女たちを見かけたその日は、大入りのレストラン。踊りだした私を意識してか、3歳のラビナはわざと私に背を向けて見ないようにしてる。座っている椅子から、地面に届くはずのない両足を投げ出してわざとそっぽを向いてみせる。そんな意地らしい姿を見て、なんだかおかしくなった私は、それを見て笑っているお母さんと目を合わせると、ラビナがそっぽを向いているその先に行き、彼女のために踊ってあげる。泣き出すかな、と思ったけれど、彼女、すごく興味を示しだす。他のテーブルも回らなきゃいけないのに、何故かそこで気持ち長めに踊ってしまう私。可愛い子って、得よね。そして次のテーブルに移る前にはラビナとノーラにとっておきの投げキッス。

その後、何度も見かけることになる彼女たち。

翌日の夜、ショー用のお化粧を施して、アバヤの下は衣装をまとい、テラスのタッシリレストランに向かう途中の私、建物から外に出る扉の手前でホテルの従業員の一人が教えてくれる。誰かがあなたを探してたわよ、って。私を探す?誰だろうと思って開けた扉の向こうにはお母さんに手を繋がれた小さなラビナ。待ち伏せか!

お母さんは英語が分かるよう。どうやらラビナがどうしても私に会いたかったらしい。

今日この子、一日中「ウェア・イズ・マヒコ(マリコを上手く言えないらしい)」って言ってたのよ、だって。

なんて可愛いんだ。思わず笑みがこぼれる。昨日はあんなにそっけない態度を取ってたくせに!

その日はレストランでの食事はしないようだったけれど、後から現れたノーラと3人、プールサイドの椅子に腰掛けて、私の踊りを観ていったよう。

そしてその後何度となく昼間私の姿を見かけると、必ず挨拶に来てくれる可愛い姉妹。言葉は分からないけど、頬にキスもしてくれる。

そんな彼女たちを見かけなくなって数日。
そういえば何日か前にシェラトンを出るって言ってたな、と思い出す。でもまた戻ってくるって。

早。もう戻ったって事かな?とブランコから降りて、私に近づいてくる小さな女の子を見かけるや思う私。そして「元気?」と問う私ににっこり笑顔でうなずくノーラ。

私もフランス語が出来るわけじゃないから、お話したくてもしようがない。

でもノーラは、なんだか話たがっている様子。ちょっとだけもじもじしているその子の目線に合わすよう、腰をかがめて聞いてみた。「ウシノォ?(なあに?)」って。

そうしたら彼女、ちょっと恥ずかしそうに「I love you」って。
そんな、愛の告白を・・・。
それなら私も「I love you too」。そして付け足す「ビゼェフ(いっぱい)」と。

小さい女の子は百発百中。みんな私の虜になる(笑)。モテてモテてしょうがない、MMKってやつですか。小さい女の子にモテてもあまり将来性はないのだけど。まあいいか。愛は確かめ合ったし、大きくなったら(私が。笑)ノーラと結婚しようかしら。

2008年6月23日月曜日

遠くなる職場、長くなる勤務時間

2週間ほど前、レストランの仲の良いウエイトレスの子が教えてくれた。

6月15日から夏の間はずっと、プールの横のテラスにレストランが移動するの。そうしたらあなた、休みなく毎晩踊ることになるはずだよ。

と。

というより何故。何故私はいつも聞くべきところから情報を与えられることなくいつも周りからこういう大事な情報を得なければいけないんだ・・・。

そう、ということは2つの重要な要素が変更になる。

1つは職場(レストラン)までの距離。

自宅(部屋)から職場(レストラン)、生まれてこのかた今まで最短距離のドア・ツー・ドア39歩に対し、今度はなんと441歩。軽く10倍越えである。

・・・遠い(笑)。

そして無休。

今まで金曜日は休みだったレストランもフル稼働。夏は人が大勢来ると見込んで、毎年休みなく営業しているらしい。ということはレストランのお抱えダンサーも自動的にフル稼働。

勤務時間延長。

このプールサイドのテラスは、オープンエアで、環境も変わった中、洒落ていてとても心地のいいところなのですが、中より暑いからか、または海に面していて湿気が多いからか、ショーを終えた頃には半端ない量の汗をかきます。6月の時点でこんなだと、正直今から突入する夏本番、先が思いやられる。

それはそうと、後日何かの折に一番最近差し替えた契約書を目にした際に発覚した事実が。実は6月15日から毎晩踊ること、きちんと書いてありました。しかも私サインしてる・・・。

失敬。

マネージャー、呆れちゃってごめんよ。
契約書はよく読んでからサインしましょう。

写真はテラスに移動したタッシリレストランです。

2008年6月20日金曜日

ナンシーや、ああナンシーや、ナンシーや

青い瞳に黒髪(本当は黒くはないのですが)。
こぼれ落ちそうなほどパンパンな頬っぺた。
こぶしをきかせた歌唱力が実に魅力的なアラブ圏を代表するレバノン人人気女性歌手。

と言ったらもう知る人ぞ知る、Nancy Ajram(ナンシー・アジュラム)しかいないでしょう。

http://www.nancyajramonline.com/ (オフィシャルウェブサイト)

1983年5月16日、レバノンのキリスト教地区Ashrafiyehに生まれる。

12歳で参加したレバノンのテレビ局が開催したミュージカルコンテストNoujoum Al MostakbalのTarab部門で金賞。その後、レバノンで音楽の第一人者の指導者たちの下、ヴォーカル、音楽論を勉強。才能が認められ、18歳という年齢に達していないながらも、レバノンプロアーティストたちのシンジケートに認められ、アーティストの位置を確立、1998年に初のアルバムをリリース。

以前ナンシーのことには触れたけれども、改めて彼女の歌の有名どころのおさらいしておくことにする。

彼女を一躍アラブ界のスターダムに伸し上げたヒット曲「Ah Wa Noss(つづりはところによって、ひとによってまちまち・・・英語題にするとYes, and a half)」は2004年に4つ目のアルバムとしてリリース。

http://www.youtube.com/watch?v=nkFYw6v9VeQ

このアルバム、Ah Wa Noss が500万枚以上売り上げたことに関し、とある音楽雑誌の原田尊志さんのコラムから引用。

「少なからず海賊版が出回る地域もあるだろうアラブ圏において、オフィシャルでこの数字を売り上げたというからすごい人気だ」、と。確かに、レバノンももちろん多いけれど、アルジェリアで本物CDを置いているお店を見たことが・・・ない。

その後"Lawn Ouyounak" (The Color of Your Eyes)のミュージッククリップを作成。

http://www.youtube.com/watch?v=5XCElzsff-4&feature=related

2005年に近づいた頃、ナンシーは北アフリカを含むアラブ圏と中東において、コカ・コーラのセレブスポンサー兼スポークスパーソンとなり、‘Oul Tany Kida’(Say That Again?)が最初のコカコーラ宣伝用の曲として使用される。

http://www.youtube.com/watch?v=TauU6w3Xz-s&feature=related

2005年後期には‘Inta Eih’(What Are You?)。

http://www.youtube.com/watch?v=jwlztf-XuOY

2006年にリリースされた5つ目のアルバム、Ya Tabtab...Wa Dallaaは、Virgin MegaStoreのリテールリサーチによると、世界中で2,200万枚を売り上げ。

収録された11曲のうち、6曲にはミュージッククリップが作られ、9曲はラジオでヒット曲となり、2曲はコカ・コーラ、また他の2曲は宝石の宣伝用に使用される。通常、アラブ圏の芸能中心地のエジプトでヒット曲を生み出すため、カイロ方言のアラビア語で歌うそうだが、‘Ehsas Jdeed’、‘Ana Yalli’ 、‘Law Dallalouni’の3曲は、レバノン方言のアラビア語で歌われているそう。

ナンシーふんするお金持ちのお嬢様が、父親が選んだお金持ちのフィアンセより、耳が聞こえなく、しゃべることも出来ない障害者の男性と恋に落ちるという歌、‘Ehsas Jdeed(A New Feeling)’はアラブ各国で、10週以上、チャート1位の座を守り続けたそう。ちなみにレバノンでは12週連続でトップ1だったたとか。・・・納得。でも私はこのビデオ、何度も何度も見すぎて、もう見飽きてしまいました。

http://www.youtube.com/watch?v=VGbnm42vs_g

‘Ana Yalli’(I'm the One)

http://www.youtube.com/watch?v=3_1OL9CY88s

Shakhbat Shakhabitは、2007年にリリース。このアルバムの写真のナンシーが、腹巻をしてスカートをはいているように見えるのは私だけでしょうか・・・。でもこの曲、大人もみな口ずさんでました。時、ちょうどレバノンで踊っていた頃。私の耳にこの曲が入ることは多かった・・・。

http://www.youtube.com/watch?v=uc9nUi2IMQs

前置きが長くなり何が本題だか分からなくなったところで、さて今日のお題。

上で散々説明されたナンシー、実は今日、うちにやってくることになっていた。

事情のわからない方用に、上の文章を訳すと、以下のようになる。


「本日6月20日に、ここアルジェのシェラトンホテルで、Nancy Ajram(ナンシー・アジュラム)のコンサートが催されることになっていた。」

なっていた・・・というのは、そう、その待望のコンサートが、実はキャンセルされてしまったから。

彼女のコンサートがここシェラトンホテルで開催されるという情報は、1ヶ月ほど前、独自のネットワーク(?)で入手した。さて、これは一大事。と言ってもその日を待ち遠しく思うだけで、だからって特にどうすることもない。そのうちホテルのエントランスにでかでかとNancy Ajram Live in Concert! なんて宣伝が出るんだろうな、と意味もなく誇らしく思い続けて早数週間。事情を知っていそうな人の話によると、どうやらドタキャンのようなニュアンスがある。

これだからアラブ人は。

実はここシェラトンホテル、今までにもかなりビッグなアラブ(だけではなく)のアーティストたちを呼んでいるらしい。

Nawal Al Zoghbi(レバノン人女性歌手)
Diana Haddad(レバノン人女性歌手)
Majida El Roumi(レバノン人女性歌手)
Tamer Hosny(エジプト人男性歌手)
Ragheb Alama(レバノン人男性歌手)
Asi El Halanya()
Shola Ama(イギリス人女性歌手)
Jimmy Cliff(ジャマイカ人男性レゲエ歌手)
Imagination()
Asala Nasri(シリア人女性歌手)
Khaled(アルジェリア人ライ音楽男性歌手)
Cheb Mami(アルジェリア人ライ音楽男性歌手)
と、リストは続く・・・

ちなみに、Nancy Ajramが八代亜紀似とはよく言ったものである。

2008年6月13日金曜日

君の名は

と聞かれたら、どう答えるべきか。

ブログ上や日本ではASYA(アシア)と名乗ってはいるけれど、ここでは間違いなく本名のマリコ。

レバノンで、ASYAというダンサー名を命名してもらったにも関わらず、エージェントだってそれを知ってるくせに、私をプレゼンするときは、いつでもマリコ。どこでも、マリコ。去年レバノンのホテルで歌っていたミュージシャンが若干一名、気が向いたときに歌の合間に私をAYSAと呼んでいたのを除いて、誰一人私をASYAを呼ぶ人はいない。ということで、実際は私はASYAとは呼ばれ慣れてはいなかったりもする。

でもまあ、なまじ変にアラビアン名を名乗るより、日本人なんだからジャパニーズ名で通す方が逆によいのかもしれない、と思ったりもする今日この頃。実際その方が人目を引いた例もいくつかあるのだから。

さて、この私のマリコという名前、そんなに難しくないだろうと思うところだが、人によって呼び方がまちまち。

先日、スタッフ用の階段を上がっていた私の耳に掛け声とも思える声がした。一瞬立ち止まって私を呼んでいるのかと耳を澄ますがそうではないよう。だって「オレンジジュース!」と言っているのだから。

オレンジジュース!オレンジジュース!!

果たしてその声は止むことなく近づいてくる。

without ice!!(氷なしで)

これには聞き覚えが。確かに私はここに来てから毎日欠かさずフレッシュオレンジジュースを飲んでいる。そして氷なしで・・・。そう、アルジェリアのオレンジは、季節のものは以外にもとてもおいしいのです。

振り向くと、ウエイトレスの女の子が2人、やっぱり私を呼んでいたよう。でもオレンジジュースってどうよ・・・。

私の名前はマリコ!

こちらはフランス人。マダム=ミセス。確かに、フランス語ではマダムという言葉の方が丁寧が故、ホテルなんかでは、ミスの女性にも皆マダムという。それは分かっている。分かってはいるけれど、「Mrs. Mariko」って呼ばれるたびに戸惑う私。だからまだ未婚なんですってば。しかもミセス・マリコってどういうこと?マリコはファーストネームでしょ。ほんっとに曖昧なんだから。

これまたふと気付いたこと。もうずっと長い間私をマロッコと呼んでいる人数名。

だから、マリコなんだってば、と言いたくても、まあ近いからいいか、と投げやりな私。

アルジェリアの隣国のモロッコに発音が近くて、マロッコになってしまうのかな、と思いつつ余裕の対応をかましてはいたものの、よく聞いてみると、なんかおかしい。実はこのアルジェリアでも日本のアニメ漫画は出回っているそう。「チビまるこちゃん」は特に人気らしく、知らない人はいないくらい。そう、私の名前は、「チビまるこちゃん」がおかしくなった形、アルジェリア人の発音でマロッコ・・・。なるほど、そういうことなのね。

っていうか私の名前はマリコですってば。

結論。
とにかく、ASYA(アシア)=マリコ。
同一人物だってことを認識してもらえれば、それで良いこととする。

ベリーダンサー・ASYA=ベリーダンサー・MARIKO。

2008年6月10日火曜日

痩せる秘訣

古今、巷では女性を中心に、ダイエットが流行っている。
今も昔もダイエット。
万国共通ダイエット。

年を重ねるとそれだけ体に脂肪が蓄積されやすくなるのだとは思うのだけれど、日本の若い女性の言うダイエットは、少しやりすぎのような気もする。あそこまでガリガリにならなくても、本来女性が持つ曲線美を生かす方法だってあるだろうに。

さて、ダイエットとは程遠く、食べ過ぎ気味のかくゆう私は、先日、軽い食中毒に見舞われた。

食べ過ぎ、食べた物、寝冷え、精神的な何か(これ、間違いなくないでしょう)、理由は謎。何が食中毒を招いたのかは分からないにしても、幸いだったのが、症状が過去に経験した食中毒ほどではなかったこと。

何も食べずに生活し、お腹を干すことほぼ丸2日。この間のショーは、気力でこなす(涙)。薬を服用して、お医者さんにかかるほどではなかったものの、おかげで保っていた体系が気持ち少し痩せてしまったよう。

食中毒といえば、2、3年ほど前のトルコで起きた出来事。

季節は夏。

トルコ料理はおいしいのだけれど、油っこいものが多いのも確か。とてもとても手の込んでいるお料理も山ほどあります。ことの発端は、道端で売っているメディエドルマ(midye dolması)というムール貝の外套膜の中にご飯を詰めたものを発見してしまったから。こちらのお料理もとても手が込んでいる割に、5つで1リラ(100円弱)と大変お求め安く(テレビショッピングか・・)、その日もメディエドルマをお盆一杯に並べたお兄さんを見かけた私と友達3人、一人1つずつ頬張ることにした。

そして、その夜、悲劇はやってきた。今まで食中毒なんてやってことがなかった私は、意味の分からない激痛に見舞われ、それが食中毒だと気付かないまま、脂汗をたらしながらその夜を過ごすことに。が、よく考えたらそれは食中毒、心当たりは、・・・メディエドルマ。翌日も痛みが減ることはなく、急遽病院に向かうことに。

向かう先はとりあえず一番近くの病院。保険もおりるはず、と、こういう時に病院を選んでいる暇はない(本当は選ぶべきだったのかも知れないが、それは後で分かる秘め事)。プライベートの病院へ足を踏み入れる。

症状を訴え、受付を済ませ、座っているところに呼ばれる名前。ある部屋に通される。

はーい、とりあえず採血ね。

ってなんで?

とは思いつつもなぜだかを問いただす気力もない。

採血後、「歩けるよ」の主張はことごとく却下、否応なしに車椅子に乗せられる。訳が分からん。

そして向かった先では採尿を言い渡される。

だからなんで?

と思いつつも、とにかくとにかく気力がない。

トルコではそうなのかと思い、言われるがままに。

そして次に通された先はレントゲン室。胸のレントゲンを撮られる。

???

これから産婦人科の先生にも診てもらうからね。と、超音波。

??????

この時点で謎が謎を呼ぶ。

だから、症状が食中毒だって言ってるの。何で採血とかレントゲンなの?超音波なんて関係ないでしょ?気力はないものの、点滴をうたれた、とんでもなく広範囲に内出血した腕(言うまでもなく注射が下手だから)から得ている栄養分とあるだけの集中力を用い、そう問いただす。

困った医者は、いや、間違った薬を処方するわけにはいかない、色々検査しとかないと、と言い張り、私の主張を退くようにその場を後にする。聞く耳持たず。

病室に寝かしつけられていた私、この辺りから不審に思い始める(遅いだろうが気付かないよりまし)。なぜこのような不必要な検査をいくつもしなければいけないのか・・・。

検査結果を言い渡すからちょっと、と表のカウンターに呼ばれた私はフラフラになりながらもそのカウンターに出向く。そして説明を始める医者。長々とした説明の中でハッと気付く私。

なんで病人の私がこんなところに立たたされて結果を聞かねばならぬ?しかも回りに人がいてプライバシーのかけらもないではないか。

そう思い始めたらどんどん腹が立つ。相手が私の主張を聞き入れようが入れまいが、そんなことはお構いなしに、全力抗議。あり得ない、こんなの。

それもそうだと考えを改めたのか、じゃあ、と看護婦、再度私を病室に寝かしつける。

そこへ再び現れる医者。今度は私の胸部レントゲンの写真を持って部屋に入るなり、小腸に何か影が見える。これは手術しないといけないから明日も病院に来るように、と説明もままならないのに何食わぬ顔で手術なんて言う。

頭にきた。

きちんと説明しろ!大体この影はなんだと思うの?どんな手術?私が訴えてる症状は全然聞き入れてもないじゃない。薬を処方するとか処方しないとか、そのためにはありとあらゆる検査が必要だとか。どう考えても必要ない検査してるよね?人をおちょくるのもいい加減になさい。

私が問いただすと「落ち着いて」のジェスチャー。

落ち着けるか!

そろそろと私の質問に答え始める医者。でもその説明も私が聞かなきゃ何も言っちゃあくれない。質問は延々と続く中、電話の着信音が・・・

私を横目に医者が私に軽くジェスチャー。ちょっとごめんね。って診察中に電話に出るんかい?

でも、病院内で緊急の呼び出しなのかも知れない。確かに私は今死ぬとか死なないとかのレベルじゃない。多少の我慢は出来る、と寛大に許してやった私。次に耳に入った言葉は以下。

「アロ、ババ?」(もしもし、お父さん?)

「今日の夕食はね・・・」、と続く。

ふざけんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

もう二度とその病院に戻ることはなく、自力で治しました。

この際、間違いなく1、2キロは落ち痩せたはず。
結論。そう。痩せたい場合には、食中毒になってありえない病院にかかること。

これ、悪い冗談。

ちなみに一緒にメディエドルマを食べた他3人、全く問題なかったそうです。

2008年6月5日木曜日

小さなお客さま

先々週、私が毎晩踊るレストランの前方にある大きな丸テーブルで、食事をしている家族連れがいた。
構成は、おそらく以下のようだと思われる。

お父さん。
お父さんの友達。
お母さん。
長女。
次女。
長男。
伯母さん。
まだ若い叔父さん。

普段エントランスの曲(最初の曲)はその曲全てをダンスフロアにて踊り切り、その後の曲は、人がいるテーブルを踊りながら練り歩く私。その日、前方にある他のテーブルは埋まっていなかった関係で、私の最初のデスティネーションは、必然的にその家族連れのテーブルとなった。踊りながら1つ確実に気が付いたことは、長女と次女、おまけに長男がじーーーーーっと私を見ていること。私の予想だと、長女7歳、次女4歳、長男3歳ぐらい。踊りながら投げキッスをすると、照れながらもとてもうれしそうに微笑み返す可愛い姉妹弟(「きょうだい」とお読みください)。

その日の2セット目も、その姉妹弟は同じようにじーーーーーっと凝視。帰り際の私の投げキッスに今度は長女と次女も負けじと投げキッス。その日はそれで一日が終了したのだが・・・

翌日。

エントランスの曲に合わせて登場した私の目の前には、「え、デジャヴゥー?」と思わせるほど前日と同じ配置で、同じ家族が同じテーブルにてお食事をしているではありませんか。

そして私自身、デジャヴゥーを支持するがごとく、この日も前日と同じように踊り、投げキッスをし、去っていったのですが・・・

また翌日。

エントランスの曲に合わせて調子よく登場した私の目に・・・ちょっと待て!デジャヴゥーのデジャヴゥー?前日、前々日と同じ配置で同じ家族がまた同じテーブルでお食事をしている。一瞬とても不思議な気分にさせられたのだけれど、この日違ったことは、この女の子2人があまりにも熱中して観ているため、ちょっと試しに誘ってみた。もしかしたらずっとこの時を待っていたのかも。2人は未だ恥ずかしながらも誘いに乗って、一緒に踊りだすことに。

この日から始まった、一緒に踊る暗黙の了解は、次の4日間、裏切られることなく毎晩続いたのです。

さすがに毎晩アルジェリア料理も飽きたのか、翌日からは食事はしないにせよ、私が踊る時間帯には皆で決まってお茶を飲む小さなKhaima(アラビア語でテントという意味)風のセクションで食後のひと時を過ごしているよう。そこからステージ全体を見渡すことは難しいらしく、音楽が聞こえだすと、その姉妹はテーブルの合間を縫って、その小さな身で、乗り出すようにその場に立ち尽くすのです。もちろん私が近づけば、その時のために用意したヒップスカーフを腰につけて、一緒に腰を動かすほど用意周到。

週が開けたその後、その家族を見かけなくはなったものの、彼女たちが率先して家族を連れてきていたに違いない。言うなれば、小さなリピーター。こういう人たちが今の私をサポートしているのだと、改めて実感。

そういえばレバノンで踊っていた時も、日曜日の午後は家族連れが大勢いるホテルのアウトドアレストラン(真夏なのでくそ暑い!)で延々と踊っている間中、携帯電話片手に(画像を取るためでしょう)子供という子供が金魚のふんのように踊りながらテーブルを回る私の後をついてきていたな、と思い出す。

どこに行っても子供受け?

誰だったとしても気に入られるのはうれしいもの。

数日後、成り行きでマネージャーから聞いたうれしい知らせ。私がシェラトンで踊り始めてから、レストランの収益がとてもよくなったそう。そしてそれが私の契約延長の理由、と。

そうか。契約延長の理由が根回しでもゴマすりの結果でもなくて良かった・・・とホッと胸を撫で下ろす。

誤解のないよう申しておきますが、あくまで上記のようなことは一切行っておりません(笑)。

2008年6月3日火曜日

衣装 その2

今日は、衣装の真面目なお話。

私は、ベリーダンスの衣装において、以下の3つの点を重要視する。

まず、軽量だということ。

そして、基盤がツーピースだということ(上と下を何らかのアクセサリーや布等の付属品で後付でつなぐ分にはOK)。

言わずと知れて、体にフィットしていて、着心地の良いものであること。

そして欲を入れて4つ目の話をすると、斬新でユニークなデザインだということ。
・・・と書きつつ3つではなくて4つの点が重視され、斬新でユニークなデザインだという点は最初に来るべきものかもしれないと、改めて思う。

まず重さ。本物スワロフスキーが衣装全体にちりばめられている衣装は、とてもとても魅力的。が、このスワロフスキー、使いようによっては衣装をとても重くしてしまう恐れがあるのです。基本的に光物が好きな私は、スワロフスキーの石があちこちに光るデザインの衣装は惹かれるところ満載。ちなみに光物と言えば、しめ鯖や鯖の味噌煮も大好き。

1つの短いショーではあまり関係ないのですが、一晩に50分のショーを(もちろん一人で)ステージ一杯に踊らなければいけないとなると、衣装の重さは重要になってくる要素のうちのひとつ。優に1,2キロもある重さの衣装は出来れば遠慮したいのが本音どころ。思い衣装を身につけている分、余分なスタミナを使ってしまうことになるから。

ここでのショーは長時間が1セットではなく、いくつかのショーの合間で時間が開くので、多少の休息は取れるものの、3つ目のセットになると、気のせいだか気持ち軽めの衣装を選択すること多し。

勿論、派遣先を移動する際に飛行機を使うとなると、重い衣装をいくつも抱えていたらすぐにキロオーバーしてしまうのも確かな事実。実は私服がほとんどないのは前にも申した通り。着たきりすずめです。

今後も膨大な数に増えていくのではないかと思われる衣装コレクション、これからは軽さ重視されることでしょう。

ツーピースの衣装とは、上下セパレーツのものを指しますが、それに対し、もちろんワンピース衣装なんてものもあります。もちろんデザインによりますが、こちらも、新鮮で魅力的。が、私の場合勢いで購入したワンピースものは、使う頻度があまりにも少なくなっている関係で実は只今はさみを入れている最中なのでございます。というのもワンピースものは激しい踊りをするが故か、上下がくっついてしまっていることが私にとってはとても不便。私の場合、動きが制限されてしまうのも事実だし、体の動きも、布で覆われている分分かりにくくなってしまうのも事実。こんなとき、もう少しお尻が大きかったらなんて思ってみたりもする(十分か・・・)。

そして体に合ったもの。とても基本的なことなのですが、持っている衣装のいくつかはフィッティング率(そんな率聞いたことがないのは今私が造ったから)70%なんてものも。だからそんな衣装は、いくらデザインが素敵なものでもいつしかあまり着なくなってしまった衣装になる、なんて恐れも。そんな時は自分で手直しするのですが、やっぱり購入するに当たり、作り手売り手がいて、そこから直接購入する場合は、まあこんなものかな、なんて妥協はせずに、体にフィットするまで何度でも補整を行ってもらうこと。これ、教訓です。

細かい作業が案外好きな私、以前は自分で衣装を作ったりもしていたものの、作業が遅い故、年間通じて1着2着、悪いときには2年に1着出来るか出来ないかなんて時も。でもやっぱりとりあえず衣装作りはプロに任せて今は現役続行、本業に腰を入れようと自分と相談。こういう経験が、ゆくゆく衣装を手がける際の役に立ちそうかも、と秘かに思うのです。

余談ですが、エジプトの有名どころの衣装屋さんの1つ、とあるデザイナーは、エジプト人のおばさん!って感じですが、狭い世界、彼女も以前私と同じエージェントに所属しつつ中東でベリーダンサーとして働いていたそう。彼女の衣装はダンサー経験を通じてからか、軽量でデザインもユニークでお洒落、お気に入りの衣装やさんの1つです。そのうちASYAの選んだセレクト衣装ショップを立ち上げることになるでしょう(宣伝がてら、あしからず)。インシャッラー。