2008年11月30日日曜日

今が旬

11月末日。

アルジェは、緯度で言えば仙台と同じぐらいらしいのだけれど、地中海に面しているせいか、そのわりには極端な寒さは感じられないような、気もする。

そんなアルジェも、ここ最近、それなりに寒くなってきた。

日本の寒さに比べれば何てことはないのだろうけど、この季節、天候が不安定だったりと、結構雨の日が多かったりする。

こんな中、良くも悪くも季節感など全く感じさせないホテルも珍しい。

そう、実はこのホテルでは、29日の土曜日から1週間(イスラムの国ではほぼ1週間は土曜日から始まります)、トロピカルウィークたるものが開催されている。それにちなんだ物(ちょっとした食べ物だけのようですが)の他に、エンターテイメントの一貫として、私たちアーティストは実は良い迷惑を被っている。

それは3週間ほど前のこと。

何の相談もなしに勝手に結成させられた女性トリオ。それは、次の人物から成り立つ。ブルガリア人歌手、アルジェリア人歌手、そして日本人ベリーダンサー。そしてそのトリオに下った命令とはトロピカルダンスを踊れということ。言わずと知れて、私たちのプロフェッションの枠外である。

普通は、意味が分からない。

普通は、あってはならないこと。

普通は、抗議したっていいこと。

大体、トロピカルダンスとは何ぞや。

ハワイアン、タヒチアン・・・と頭を駆け巡るダンススタイル。でもさすがアフリカ(アルジェリアは北アフリカに位置しています)、トロピカルといえばマダガスカルとかモーリシャスとか、アフリカの南東に位置する島々、その辺のことを言ってるらしい。故にダンスはセガダンスだったりズークだったり。

何故、ブルガリア人歌手、アルジェリア人歌手、日本人ベリーダンサーに、トロピカルダンスを踊る筋合いがあるのか。

我々のプロフェッションには全然関係もなく、本来なら、拒否しても全然問題のないもの。でも、そうは中々いかなかったりもする・・・。

このマネージャー、可能かどうかを考えずに、いつもアイディアばかりを打ち出す。計画性全くなくして迷惑を被るのは、彼以外のほぼ全ての人。そんな話はさておいて、1つ言えることは確か。

ブルガリア人の歌手、ベルギー人とハーフだけど、アルジェリア人の歌手兼踊り手、日本人のベリーダンサー。

どう考えてもこんな組み合わせ、滅多にない。


ここで一歌。

寒空に チープな衣装 身にまとい 今日も踊るよ トロピカルかな

宣伝する気はほとほとないのだけれど(しかもタイミングが遅すぎるけれど)、アルジェにいらっしゃる日本人の方々、お暇でしたら是非いらしてください。意外な組み合わせ、今が旬です。

ちなみに、トロピカルウィークは12月4日、木曜日で終わりますけれど、私たちトリオ(また一緒に何かをすることはないでしょうが、週末は同じ場所=1001Nuitsで彼女たちのバンドと、オリエンタルダンスが見られます)は来年早々まで健在です(ブルガリア人バンドの契約が1月4日までなので)。

2008年11月25日火曜日

ブルガリア

ブルガリア、と言えばヨーグルト。
ヨーグルト、と言えばブルガリア。
ではブルガリアと言えば?

ヨーグルト。。。

と言いたい気持ちを抑えること約数秒。

だってここ、オテルシェラトンでは、ブルガリアはミュージシャンの産地だと思いたくなってしまうから。

私がここに派遣されて以来、過去10ヶ月の間替わったミュージシャンは約3グループ。そのうち、2グループがブルガリア人で結成されているバンド(まあ比率的には多い)。今年始め、私が当初ここにやってきた時からの数ヶ月と、ラマダン後、戻ってきてからの今現在。

Zodiac Band

(写真を載せる許可、まだもらってないけどまあ良いだろう。明日確認、明日明日。)

メンバーはギタリストのアイヴァン(男性)、キーボードのニッキー(男性)、それにボーカルのシルヴィー(女性)。ちょっと変わった風貌の男性2人と独特で可愛く、魅力的なシルヴィー。現在はその3人に加勢する形でアルジェリア人の女性1人がボーカルとして加わっているのだけれど、元のバンド自体は、3人のブルガリア人。

今回私は、幸運にも彼らとの交流が、結構ある。

実は彼ら、ここに来る前はもう何年も韓国でミュージシャンとしての仕事をしていたそう。そして韓国が好きだという。そう言えば、以前のブルガリア人のバンドの人たちも韓国で仕事をしたことがあると言っていたことを思い出す。もちろん、3人とも、それぞれ別のバンドで今までで仕事で回った国々は数知れず。私たちオリエンタルダンサーと同様、彼らもまた短い契約であちこちを飛び回る。世の中、こんな職業もあるものなのだな、と我が身を忘れ、思ってみる。

リーダーのアイヴァンは、若く見えるけれど現在50歳前後。故郷ブルガリアには22歳の娘がいると言う。他の2人は暇さえあればタバコぷかぷか。でもタバコも吸わない、ユーモアたっぷり、一見真面目(実際真面目ですけど)なアイヴァンとの話で分かったこと。彼は出来ればブルガリアで家族と一緒に居たいということ。彼の奥さんも、以前同じバンドで世界を回っていたという。娘さんが小さい時は、家族でもまた、一緒に世界各国を回っていたと言う。ほぼ出席できない学校の勉強は、父娘でしていたとか。

今は娘も育ち、家族をブルガリアに残しているアイヴァン。同じ仕事をブルガリアでは出来ないの?という私の問いに対し、ブルガリアでは到底お金にならない、とアイヴァン。学校で音楽を教えるとか?と問うが、やはりそれもお金にならない、と。だからミュージシャンとして、海外で働く、と。

家族をブルガリアに残しているニッキーのシチュエーションも、どうやら同じよう。

シルヴィーもまた、同じ事を言う。私と歳が近く20代後半の彼女は、結婚はまだのものの、いずれは結婚して家族や友達がいるブルガリアで生活したいと言う(まあもちろんかも知れないけど)。10代のころからこの職業に就き、年に一度、故郷に帰れるか帰れないか。アイヴァンに聞いた質問を再度繰り返してみても、もちろん答えは同じ。自国で同じこと、もしくは音楽を教える先生になったとしても、その収入には頼れない、と。

だから、家族や友達に会えないのは淋しいけれど、この仕事を続けている、と。

家族を残して一人海外へ仕事で出向く。

言ってみれば、皆、出稼ぎ。

ブルガリアは、1990年に共産主義から民主政体に変わったはものの、以来インフレがひどかったり、一部の人だけが潤うなど、一般の、普通の人は、生活していくのが大変なのだと言う。そしてそんな状況下から逃れる為、人がどんどん外に出て行く、と。あまり私には馴染みがない国だったブルガリア。以前の共産主義の影響か、よく暗い印象を受ける国、ブルガリア。

そんなブルガリアにも早く春が訪れますように。

仲良くなったバンドの彼らを思い、そう願う今日この頃。

2008年11月20日木曜日

おフランス

別にフランスの写真ではないのですけれど・・・。
上、とあるお部屋の窓から見える外の景色。

現在私の職場兼住まいでもあるシェラトンホテルは、首都アルジェのダウンタウンから25キロほど。渋滞がなければ車で20分ぐらい、の、はず。ホテルのあるこのエリアはClub des Pins(フランス語読みでクラブ・デ・パン)と呼ばれ、軍人さんとかお偉いさんのお家が多数あるとか。なので出入りする人たちも限られていて、このエリアに車で入っていく際には、バリケードと検問がある。

Club des Pinsから一番近く、歩くと20分ぐらいの距離にStaoueli(スタワリ)という街がある。

イスラム教のこの国は、本来ならお酒は厳禁。でもたまにお酒を出す飲食店があったり(一般的にホテルではお酒が飲めます、ホテル内はある意味治外法権?)、お酒を売っているお店があるのだけれど、近年このスタワリは、お酒を飲めるお店が多いといううわさ。何でも外国人がこのエリアに多くいて、需要があるからとか。

さてそんなスタワリに、2週間ほど前からこの私、フランス語教室に通うことに。

以前に何度かレッスンを試みたはものの、全て上手くいかずじまい。誤解のないようご説明。いつも教えてくれる側に何らかの問題が発生し、あまり長く続かないという始末。やっぱりプライベートは無理だろうかと学校案を打診されるも中々見つかることもなく早4ヶ月・・・。

今回幸運にも一緒にフランス語を習いたいという人2人と一緒に始めたフランス語。もちろんレベルは、ゼロ。というより、いくら初心者クラスだからといってレベル・ワン(フランス語だとアンだけど)ではなくゼロっていう考え方がすごいな、と思ったりもする。

週に2回で値段は一ヶ月1,500ディナール(日本円で大体2,000円ほど。改めて、安っ)。
10人集まったら開講という決まりはあったものの、結局私たちが登録した時点での7人でスタートを決めたよう。

先生は、色黒の皮膚に白髪交じりの短髪、四角い眼鏡をかけた初老のおじさんが何ともほほえましい。初回、着席した教室をざっと見回すと、一緒に来ているフィリピン人、タンザニア人の他は、全てアルジェリア人のよう。若いお兄さんもいればマダムもいる。この国で、一体誰がフランス語を習うんだ?と思ってやってきたフランス語教室。アルジェリア人たちを目前に、私の中での想像と違う情景に多少戸惑ってみたりもする。

さすがレベル・ゼロ、Aアー、Bベー、Cセー、Dデー、Eウー(ここまでは是非とも書きたかった)、とアルファベットから始まるレッスン。すると遅れて入ってきた若いお兄さん、どこかで見かけたことがある。後でやっと気付いたけれど、彼は私が踊るレストランのスタッフが1人。驚いた。ホテル業でもフランス語がしゃべれない人がいるんだ、と。

アルジェリア人でフランス語を知らない人たちがフランス語を習う場合、重要なことは抑えてもらいたいと、初老の先生、説明するにはおのずと知れてアラビア語。私たちには辞書を引きつつ慣れない英語で説明してくれるけれど、残りのアルジェリア人にはアラビア語で説明する。ということは私にとっては好都合。フランス語を学びながらアルジェリアンアラビア語も分かってしまう。

フランス語で発音した単語の後に、「これはアラビーアでXXX」、と言われる度に私もリピート。聞き取ったアラビア語を、今習ったフランス語の単語にイコールサインを引っ張ってカタカナで記入。先生もそれを面白がってるのか、どの単語でも私のためにアラビア語をもう一度リピートして発音する。

フランス語の授業、そんなに嬉しそうにアラビア語に反応するならそこの君、アラビア語の学校に行きなさい。

ピュアにフランス語が話せる日はいつになる・・・。
上の写真、フランス語教室の窓から見える景色です。

2008年11月18日火曜日

迷惑行為禁止条例

を、作って欲しい。

本日1セット目のショー時、まだ控え室にいた私。
今日は久しぶりにスタッフの一人がCDを取りに来てくれた。

そしてそのスタッフ、大袈裟なジェスチャーを交えて私に言う、

「ビッゼーフ シノワ」(中国人一杯)

「ドゥ ジャポネー」(別のテーブルに日本人2人もいる)

なぜかこのスタッフ、いつも事あるごとにシノワだのジャポネーズだのがいると教えてくれる。そんなにめずらしいんかい、アジア人が。でも彼、最近は日本人と中国人の違いが分かってきたらしく、日本人の私としてはちょっと彼を感心している。

さてここアルジェリア、何万人ともいう単位で中国人がいるらしい(はっきりした数は聞いたけれど忘れたのです。しかもはっきりした数だってちゃんと届出している人たちの総計であって、滞在を届出していない人を入れればもっとだろうとの事)。

いたるところで見かける中国人に対し、地元アルジェリアンには日本人も見分けがつかないとある。街を歩くと決まって「シノワ、シノワ」とか、「ニーハオ」と言われる。うっとおしいんだけどしょうがない。

話は戻り、私の踊り仕事の本番前控え室は、レストランからトイレに行くちょっとした踊り場を共有したある一角にある。テーブルが並んでいるレストランと、その踊り場とはドアで仕切られていて、そしてそれぞれトイレも控え室もまた別々のドアがある。

音楽が流れ、レストランへ入るドアを開け、さてこれから登場、というところ、トイレからの帰りなのだろう、どう見ても酔っていると思われる中国人のおじさん、いや、もっと若かったな・・・が何やら私に話しかける。でも音楽はもう登場のチューン。「後でね」、と言い残してドアの向こう側に登場しようとする私のその行動を遮って、そのにいさん、私の二の腕を掴む。やっぱり本当に酔ってるな、と確信した私は彼の手を払い除けてレストラン側に入っていく。私の後を追い、にいさん一緒に踊らんとするばかり。でも私の速さについていけなく半ば諦めた模様。

前方のテーブル、見るとそこには20人を超える中国人の団体が。

このことか、とさっきのスタッフが言った「ビッゼーフ シノワ」の一言を思い出す。

諦めたそのにいさん、大人しく皆のいるテーブルに付いて椅子に座っているけれど、私の本能は私に危険信号を送る。

彼の近くは通るべからず。

エントランスの踊り一曲を終えて次の曲で踊り始めた途端、そのにいさん、何を思ったか立ち上がって私に近寄る。私、何の気なしに後ずさり。彼らのテーブルのちょうどセンター辺りに座っている一人を指差し、「He is my leader」という泥酔にいさん。だから何なんだ、と思うが言葉を飲み込みそれなら、と、そのリーダーのためにちょっと踊る。かと思うとその泥酔にいさん、何かにつけて私の腕を掴んでくる。

どうにも不愉快に思った私は、両人差し指で「×」を作り、どう考えても迷惑そうな顔を見せ、この辺で既に一度「席に戻って」と怒ってみる。

一度は席に戻ったものの、2曲目が終わると泥酔にいさん、私の踊りはもう終わったものかと思い込み、遠くからまた私に近づいてくる。3曲目の音楽が流れ始めているのに踊ろうとする私を遮り、また腕。その上腰に手を回そうとする。しょうがないから押しのける。それでも話しかけてくるそのにいさんに、一言。

まだ踊ってるんですけど!

レストラン中に響きわたる声。お客さんの皆、状況はもう把握しているためか、一瞬冷たい空気が流れる。それでもしつこい泥酔にいさんの接近にもう踊りどころではなくなったベリーダンサー。でもでも態度に見せることはなかれ・・・

一通りテーブルを回り終わって、一言スタッフに声を掛けるため立ち止まるとまたその泥酔にいさん登場。さっきと同じことをする。もういい加減頭に来ている私はその場を後にそそくさと控え室に戻る。のだが・・・

急いで控え室に戻る私。上手く引き離したかと思った矢先、人が追ってくる気配を察知、身の危険を感じ、後に閉めたドアのノブをきつく持ち、力づくで自分側へ引っ張る。そう、ドアを開けて入って来られないように。そうしたら思ったとおり、酔ったおじさん、一生懸命ドアの向こうからドアを開けようと力を入れる。

あまり動じることはない私だけれど、このときばかりはちょっと怖かった。

幸い、私を追っていく泥酔にいさんの姿を見たであろうスタッフ2人がやってきて助けてくれたから良かったものの、下手したら私は何時間も控え室にこもることになった可能性、結構大。

一緒に来ていた中国人の誰もその行為を止めなかったのは非常に残念。皆酔っていたのかもしれないけれど・・・。

今回は、今までないぐらいの危機感を感じましたとも。色んなシチュエーションの場数は踏んではいるけれど、今日はほんと、ちょっと参った。

PS.翌日、また中国人の団体グループが来るということをマネージャーから聞いた私。同じ人たちなの?という問いかけに、違うグループだと教えてくれるマネージャー。今日の一連のことをボスに伝えておこうか?と聞いてくれはしたけれど、話しても解決されることでもないのでいいよ、とする返事。

(以下、翌日書いてます)

PPS.前日の出来事があったからが故だろう、今度の中国人グループ、レストランの一番遠方にテーブルがありましたとも。マネージャー、それからスタッフ、心遣いをありがとう。最後にチラッと踊り回った団体テーブルを見回して気付くこと。おい、昨日の泥酔野郎、いるじゃないか。

2008年11月8日土曜日

ミッキー de Sheraton

彼女の名は、ミッキー。
おそらく、彼女、だと思われる。

真っ白の毛に、ところどころあるグレーの模様。
その立ち姿は、清く、そして凛として、見かけるたび、ハッとさせられる。

始めて出会ったのは、2008年2月、ここに来て間もない頃。
海辺を散歩しに行く途中、芝生の敷地内で彼女を見かけた。

「おいで」

と、一声かけ手招きすると、野良猫だとは思えないほど、何の躊躇もなく、嬉しそうに反応して近づいてくる。(あくまで私の解釈ですけれど)

猫好きの私には、ホテルの敷地内で猫に会えるのは朗報。

あるときは、ベンチに座って本を読んでいると、どこからともなくやってきて、気付けば足に擦り寄っている。またあるときは浜辺に下りる階段で、太陽の下、背中を地面に擦り付けては一人でじゃれている。

それまで読んでいた名前はミーちゃん、浜辺で見かけた彼女を撫でている際、ちょうどその場に居合わせたスタッフの話によると、彼女の名前はミッキーらしい。猫なのにミッキー・・・好きでもないのにそう思ってしまうのは、やはりディズニー戦略に惑わされた人の発想であろうか、と一人おかしくて肩を震わせる。少なくともここの人たちにはそんな発想は、ない。そして私はそれが好きである。


ラマダン後、アルジェリアに戻って間もなくしてから、例のごとく浜辺を散歩しようとホテルの広い裏庭を横切り、浜辺に出る一歩手前でどこからともなく現れたミッキー。どうやら「お帰り」、と挨拶をしに来てくれたよう。久しぶりの再会に嬉しくなり、近くの椅子に腰掛けて、ミッキーを膝の上に乗せて可愛がる。

次の4時間、自分の膝を猫に捧げることを予測もせず・・・。

アルジェリアでも、トルコでも、モロッコでも、イスラムの国だからなのか、猫をいたるところで見つける。なぜか彼ら、犬はあまり好かないそうなのだけれど・・・。そう、イスラムの国々は、猫好きにはたまらないデスティネーションなのかもしれない。

万歳、猫。
万歳、ミッキー。
あれ以来会ってないけれど、明日は会えるかしら。

ミッキーを膝に乗せた4時間後、もう限界だと思って膝から降ろそうとしたら彼女は抵抗、もしかしたら怒ってて最近姿を見せないのかな、と思ったりもする今日この頃。

2008年11月5日水曜日

TITO in town

TITOが街にやってくる!

東京に(って私はいないけど)、超人気エジプト人男性ベリーダンサーTITOがやってくる。

彼は本物エンターテイナー。

TITOをご存じない方には、ちょっとした裏話。TITOは本場エジプトでも超人気(もちろん世界中でも)。カイロのマクドナルドでは、国民的(いや、世界的)大スターの彼の写真が飲み物のカップにまで印刷されているとか(何かのウェブサイトで読んだ記憶がしますとも、本当かどうかは、また別の話・笑)。

ベリーダンスをやっている人はもちろん、そうじゃない人も絶対に楽しめる、そう断言できます。

滅多にないこの機会、私も東京にいたかった。
実は私も出演・競演(いやいや、共演でしょう)のお話をいただいたのだけど、どういう訳か取ったのは仕事。
血迷っていたとしか思えません・・・。

あまり宣伝ばかりのブログにするつもりはないけれど、彼は、絶対、必見です!

以下、詳細はミクシィの宣伝から引っ張ってきました。
この機会、是非是非騙されたと思って(いや、絶対騙しにはならないから!)TITOを見に行かれるべし!

【日時】 2008年11月30日(日曜) 17時開場 18時開演
【会場】 ル テアトル銀座 http://www.theatres.co.jp/letheatre/
【出演】 TITO(ティト)、タブラクワイエサ 、ニコル
【チケット】全席指定 SS 15,750円 S10,500円 A7,875円 B6,300円 C4,200円 ペアBOX21,000円  ※SS席、S席、C席残りわずかです!

【プレイガイド】 ★ショップクワイエス http://kwaiess.com/ 
         ★チケットぴあ http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0841365
         ★スタジオエルサラーム http://el-salaam.com/

TITO Oriental Belly Dance Show オフィシャルブログ http://ameblo.jp/tito-show

2008年11月1日土曜日

よく思うこと

最近、よく思うことがある。

ホテルの敷地に入る際の玄関、アラビア語とアルファベットで書かれたSheraton Club des Pinsのセキュリティーガード。そのセキュリティーを抜けると、なだらかな坂が始まり、そのすぐ先には小さなロータリーがある。円形で、中は芝生が敷いてあるそれを左に見ながら前に進み、そのなだらかに続く道をどんどんおりていく。車ででも、歩いてでも、その道は、シェラトンホテルに入る人が必ず通らねばならぬ道。

そしてその前方、2、300メートル先には、緩やかにU字型になる道の右側に、中心部分にあたる正面玄関の回転ドアと、そのドア部分を軸に、左右対称に横に広がる巨大な建物がそびえ立つ。 そう、それがオテル・シェラトン。

そしてそのホテル(10ヶ月近くも暮らしておいて人事のような言い方だけれど)、外出して戻ってくると、一応ベルボーイたるドアマンがいる

のだが・・・

あまりに退屈なのか、ただ単に話好きなのか、その時々で違うドアマン、どのドアマンであっても、それが何時であっても、正面玄関に到着した私を見かけると、決まって必ず話しかける。そう、お互い意思疎通が難しいにも関わらず。

あるドアマンとは延々と天候の話をし、またあるドアマンとは休暇の話をする。中からは外の様子が伺えるとあれば、中にいるコンシェルジュも私を見かけ、用事もないのにそろそろと表へ出てくる。また別のドアマンとは、お互いアラビア語だのフランス語、はたまた日本語だののフレーズを教え合う。そうなるともう彼らも必死、開けると何も入っていないと思われる音を立てるガランガランのドアマンデスクの引き出しから、既に使用済みの紙一枚と、胸ポケットからペン一本が出てくる。そしてそこからプチ語学レッスンなんかが始まる。

でも時間帯によっては車の出入りが多いことも。

だから車が止まる度、私は思う。止まった車から人が降りてくる度、私は思う。

この人(ドアマン)、車のドアを開けなくて良いのだろうか・・・。

そしてまた思う。降りた人がトランクから荷物を持って降ろしているのを横目に、またまた思う。

この人(ドアマン)、トランクの荷物を出してあげなくて良いのだろうか・・・。

けれどドアマン、気にしない。どんどんどんどん話題を振ってくる。

分かった分かった私が悪かった。通りかかった私が悪かった。

そして思う・・・仕事しようよ。仕事をさ。

話に花を咲かせる、という言い回しがあるけれど、ここではどうやら話することが主であり、ごく稀に仕事に花を咲かせる人を見かける(笑)。