2008年1月31日木曜日

Sheraton Club Des Pins

ホテル到着時間はおそらく午前3時を回っていたと思われます。


辺りは真っ暗でどんな外観かも分かりづらいところ、写真を撮ってみる私。

こちらは中。

後日、昼間に写真を撮りに出ました。


正面入り口です。それなりのセキュリティー。

逆になびくアルジェリア国旗。
到着早々、散らかる前のお部屋です。

なにやらメッセージが。

てな訳で落ち着いたのは午前4時過ぎでしたでしょうか。長旅、お疲れ様でした、と自分に一声かけ、床につく私でした。

ボン・ニュイッ。

アルジェリア!

今まで比較的色んな経験をしてきたとは思うのですが、まさか自分がアルジェリアに来るなんて夢にも思ったことはなかったのです。大体、契約が決まるまでアルジェリアがアフリカのどこに位置するのかさえも知らない無知さだった私。

目黒のアルジェリア大使館。立派な建物です。何度か足を運びました。

国旗!風が無く・・・。

2月1日、午前1時15分。いよいよ到着。飛行機から一歩足を踏み出した最初の率直な感想。というより観察。いや、匂察。くさい・・・。何のにおいかはわかりませんが、いいにおいであるはずはなく、空港のビルに入ればなくなるかと思った予想は見事にはずれずっとくさい。ただ人間って何にでも慣れるものです。空港の中でのその匂いは、もう気にならなくなっていました。

ホテルの人が迎えに来ているはずと思い、カートを押して出てみると、恐れていたことが・・・。それらしい人が、・・・いない。困ったな~。その辺のセキュリティーらしき人を捕まえて電話したいんだけど、と言ってみる。幸いなことに、彼、英語が少し分かる。公衆電話は、今使えなくなってる、って。・・・で、困った旅行者、いえ、労働者にどうしろと?親切なその彼は私に自分の携帯電話を貸してくれました。ホテルとのやり取りで、迎えは行っていて、おそらく間違った場所で待ってるのだろうってことが判明しました。思わぬところで足止めを食らうところだったが良かった良かった。なかなか現れない迎えにその後何度か彼の携帯電話をお借りし、電話のやり取りをしました。都度「メグシー(メルシーなんですが、私にはどうもRがグに聞こえるんですね)」とは言っていたものの、実際迎えの人が来てくれてその場を去る際に、再度お礼を言うのをすっかり忘れてしまいました。気付いたときには迎えの人との話に花が咲きすぎ、かなり遠くを歩いており、戻る訳にもいかず、心の中でありがとう、お兄さん。

アルジェリア空港。
そのお兄さんのお仕事なんですが、外からカートを集めてくる職員が空港のビルに入る際、危険物のボディチェックをするようでした。厳重なんだな、と思ったのが、カートを集める人たちは何度もビルに出入りする、空港で雇われている人たちのはずなのに、ということ。

ビルから出ても、くさい匂いはまだありました。

迎えに来てくれた2人、とてもフレンドリーで、道中アルジェリアンアラビア語を多少なりとも習いました。ホテルに向かう途中、寄り道してアルジェの町も通ってくれました。秘密だからねって。了解了解。と言いつつこんなとこで開示していいのか?

空港の外観。

モニュメント。夜なのでどうしてもぼけてしまいます。

アヤザッハ(アルジェリアンアラビア語でbyeの意味)!

54.2キロ

は、私の体重ではありません。今回ベイルートの空港でチェックインした私の荷物の重さ。
合計54.2キログラム。

スーツケース2つに衣装を20着ちかく。化粧道具に小道具等、2つのスーツケースはパンパンです。普段着は・・・必要最小限。極力軽く、でも重く旅します。


スーツケース2つは、びっくりするかもしれませんが、ダンサー派遣では普通のこと。ちなみに私のスーツケースは他のダンサーに比べて2つとも非常に小さめ。この前のブラジル人が午前3時に登場したときは、ショッキングピンクの、彼女が入っても余裕があるぐらいの大きなスーツケース2つに、機内持ち込み用サイズのスーツケースを転がしてました。


そして今回買ったばかりのスーツケース、もう壊れました!こっちの空港ではよく目にするラップでぐるぐる巻きの箱や鞄。日本でこんな光景は絶対なく、とても中東らしい。


今回は、壊れた私のスーツケースにも巻いてもらいました、ラップ。ミイラのようになったスーツケース、このミイラ化には費用がかかるのです。そんなにぐるぐるしたら転がせないじゃん。でも心配ご無用、ちゃんとタイヤと取っ手の回りは切り抜いてくれました。慣れてるものですね。


並んだチェックインカウンターでは、イラク人男性が何人か私の前に並んでいました。アラビア語ではQは発音しないそうで(これは日本で教わりました)、イラクの場合もアイラッって言うそうです。そして皆透明ビニールに包まれた毛布を持っているではありませんか。アルジェリア、そんなに寒いの?


機内に入ると私の座席に誰か別の人が座ってる。エクスキューズモア(これぐらいは言える)、私のチケット、そこの席って書いてあるんだけど。妙に仏頂面で動く様子のない女性。感じ悪っ、と、もう一度言ってみる。その女性は、服装からして始めはレバノン人かな?と思ったのですがアルジェリア人だそう。そういわれると、確かにもう少し人間らしい。というのが、レバノン人女性は本当にきれいで(誤解があってはまずいので先に申し上げますが、別にアルジェリアの方をどうこう言っている訳では決してないんです)、人間だとは思えないほど美しい容姿を持ち合わせた人がそこらへんを歩いてたりするんです。なんでああもきれいなんだろう、と。


そのアルジェリア人の彼女は、飛行機が苦手らしく、窓側には絶対座れないそう。それなら早くそうと言ってよ。席を入れ替わることにしました。その彼女、離陸に近づくと妙な動きを取り始めました。目をつぶって頭を下にし、両手で耳を押さえる・・・。確かに苦手な人にはきついですよね。恐る恐る片目で様子を見る彼女に大丈夫だよ、と肩をぽんぽん。水平飛行に入ったらましになったみたいです。


アルジェリア航空でのフライトだったのですが、ご飯が予想外においしい!何料理?アルジェリア料理か・・・とバカなことを自問自答してみる。私もいい加減といえばいい加減。2、3時間のフライトかな、と思いきや、なんとベイルートからは4時間半。案外時間かかるのね。


着陸に近づくにつれて、配られた入国カード、全てフランス語で参りました。入国カードに書く項目なんてたいしたものはないはずなのに、言葉が分からないと、ここまで不安になるものなんですね。隣の彼女に聞きながらかろうじて埋め込んだのですが、ここで思ったこと。世の中人には親切にしておくべきね。計算高いですか?(笑)

背中を押されるように

大使館からの帰り、タクシーから降りた私はまずスーパーに向かう。アルジェリアでは簡単に歯ブラシと歯磨き粉が手に入らないかもしれない(って自分はアルジェリアをどんなところだと思っているのだろう・・・)。
買い物が終わったスーパーから、歩いて駐車場を通り過ぎる際、ヴァレット・パーキング(車を目的地のドア前で止めて、そこから係りの人が駐車してくれるサービス。もちろんチップが必要)の男性4、5人が「なんで車で来なかったの?」って。答えはもちろん「お金ないから」。こういうやり取りをとっさにできるレバノンの人たちってすごくユーモアセンスがあると思います。ここは軽くあしらい次の目的地へ。
向かうのは、スーパーの向かい側のビルにある、いつも行ってるビューティーサロン。といっても行ってるだけで必ず何かをするわけではない。レバノンに一人でいた時には滅入ることも度々あって、このビューティーサロンでネイルをやってくれるハスミって女の子に癒されたりもしました。ここのビューティーサロンで働く皆とは仲良しこよし。今回は短期間の滞在だけど、皆の顔を見たくてやってきました(実は到着した日もほんとに挨拶だけですが1度行ってます)。ハスミ以外は皆男の子で、若い子が多いのに、きちんと仕事をしてくれます。

ハスミは右側。

もちろん「お金ないから」の私は遊びに行っただけ。何もするつもりはなかったのですが、髪、洗わないの?切らないの?巻かないの?ここまで言われちゃあちょっとセットでもしてもらおうか。今日はもう飛行機に乗るだけなんだけどなあと思いつつも洗髪、切髪(造語?)、巻髪(こちらも造語?)一通りしてもらいました。お代は?いらないよ、だって。日本のおいしいお菓子を持っていったから、まあ、いいか。

当分会えないけど元気でね。皆に挨拶をして、ビューティーサロンを後に。2階から手を振ってくれる皆にドラマチックに投げキッス(いえいえ、面白おかしく投げキッス)。「頑張ってきて」って背中を押されたように感じながら、私は振り返りつつ道を歩いて行くのでした。

その通り沿いの薬局。前回レバノンにいたときに何度かお世話になりました。覚えてるかどうか分からないけど(私を、じゃなく、私が!)ちょっと立ち寄ってみようとドアを開けるとおじいさん、入ってきた私をに気付きました。帰ってきたよ!でも今日また発つからちょっと挨拶がてら寄ってみた。彼もまたフランス語とアラブ語の教育を受けたようで、私の英語、どこまで分かってるのか分からないけどとりあえず言いたいことだけは言っておく。

レバノン流の挨拶は、交互に頬にキスを3回。もちろん男性同士も女性同士も同じように挨拶します。握手をしつつ3回の儀式。と、普通は思う。じいさん、何を思ったか頬じゃなく口がいいとぬかすではありませんか。なんでそうなんのさ、じいさんよぉ。呆れた私はそそくさに薬局を後にしました。あまり驚きもしませんでしたが、うーん、レバノン人男性ってのはいくつになってもあんななんだろうなあ。困ったもんだ。

薬局から斜め向かいの果物屋さん、ここのおじさんとも顔見知りになりました。バナナを指差し「アラバ(アラビア語で4の意味。何故かこれだけは覚えている私)」という私。4キロかと問うおじさんに「ラッァ(ノーね)」。4本。いつものことですが、あまりにも買い物する量が少ないもんだからよく無料にしてくれます。「お金ない」私、バナナ4本ぐらい買うお金はあるよ。ごめんねおじさん、じゃあお言葉に甘えます。気持ちをありがとう。

寄り道の末、バナナ4本を片手にアルジェリアへ出発のため、エージェントのオフィスに戻る私でした。

今日もまた

雨の音さえ聞こえはしないものの、カーテンの隙間から薄暗い光が入り込んでいる今朝、昨日の朝も聞こえた隣の教会の鐘がいつもとなく長かった気がする。私たちが滞在するエージェントのオフィスに隣接する小学校の子供たちの元気な遊び声がまた、聞こえる。去年始めてレバノンでの生活を始めたころ、その小学校から子供たちのうるさい声、いえ、明るい声で目を覚ますことがたくさんあったことを思い出す。早朝、遊び疲れて帰ってきて、まだ2時間しか寝てない私たち、子供たちのキャーキャー声で眠れないときをすごしたことが懐かしく思い出される。

レバノン入りして3日目、今日のお天気もまたままならない、はっきりしないお天気です。昨日在レバノン日本大使館の人とお話したところによると、今日まではこの悪天候が続くそう。嵐とともにやってきて嵐とともに去るがごとく、今晩私はアルジェリアに発ちます。

そうそう、その嵐なんですが、先ほど、前回お世話になった在レバノン日本大使館に挨拶がてら出向いた際聞いた話。正直あんまりきちんと追っていなかった(あえて追わなかった?)最近のレバノン情勢。かなりあやふやです。
出発の3日前、レバノン北部であった爆破事件の話は、テレビの速報ニュースでそのことを知った友達からメール伝いに聞いたのですが、その翌々日、要するに私が出発した前日、ヒズボラ側が彼らの要求の交渉に当たっていた人を急に殺害し、それが発端で激しい争いが起こり、空港が封鎖されていたそうなんです。大使館の方のお話によると、翌日の予期せぬ嵐が、ヒートアップせんとする争いを防いでくれて、とりあえずは落ち着いているとのこと。なんとも・・・複雑な気持ちです。
今回気付いたことのひとつは、話をする人みんながこのあやふやな情勢のために何らかの精神的な影響を受けているということ。みんな口々に言います。私たちにはどうしようもない、と。
ここでこの話を終わらせてしまうのは私の願うところではないのですが、込み入った話しは、また、近々。

大使館から帰る際、タクシーを拾うのに一苦労。レバノンでは、同じ車でもタクシーかセルビスかその場で決めることが出来ます(もしくは心の中で決めておきます)。

目的地!

タクシー=自分だけ。
セルビス=同じ方向に行く人たちと「タクシー」をシェア。要するに乗り合いタクシー?

ベイルートの街にて。ヨーロッパっぽいでしょ?

タクシーだと、値段も交渉。相場は分かっているから一人タクシーモードに。といってもこの車を止めて交渉した時点では2人乗ってたのよね(その場から近い場所で、二人とも途中下車しましたが)。この場合タクセル?

気付くと明るく青い空が見えてきていました。遠くには街々の建物が連なり、雪に覆われた山々が美しく。冬の、でもそんなに寒くない、なんとも清々しい空気が、開けていた窓から一人タクシーモードになった私(どんなモード?)の頬をさわり、私はFaraya(ファラヤ=レバノンのスキーリゾート。夏は避暑地として観光客が多く訪れる。2007年、舞っていた場所。)を懐かしく、そして愛おしく思うのでした。

おお、上出来☆
こんな感じで良いですか、川島さん?マヌエラ方とやら・・・

2008年1月29日火曜日

ブラジル人

よくもまあそんなに熱をこめて話すことが次々出てくること。かれこれ電話で30分はしゃべってる。ポルトガル語は全然分からないけれど何かトラブル?あまりハッピーではない様子。まあ確かに気持ちも分からないではないけど、日本人にしては比較的熱いと思われる私から見てもここまで冷静にこの会話を見れるんだからブラジル人っていったいどれほど熱いのか。

それにしてもこの天候、本当に何もやる気にならない。なんでこんなに寒くていやな天候なんだろう。朝からずっと雨は降りっぱなし。さっきはなかった水滴が窓の外にいっぱい付いてる。どうやら明日までこの天候のよう。


天候が良かったら部屋から見渡せる景色はこんな感じ。ヘルウィン-美しい


そんなブラジル人の彼女は今回私が行くアルジェリアのシェラトンホテルから契約を早めに切り上げてレバノンに戻ってきたらしい。要するに私の前任(?)の子。エージェントに他のダンサーがいる際は、もちろん皆で部屋をシェアするのだけど、確かに結構ぷっくりしてる子だけあって、午前3時の到着直後の彼女のチョコレートの食べっぷり、これは簡単に太ることができそう。日本に3ヵ月半もいたら私の場合体の構造上、自然と痩せてきてしまっていて、こっちに戻る際に体系のことが一番心配だったのだけど、太るって案外簡単かな、と何故か妙な安心感に浸ってしまいました。これからは寝る前に必ずチョコレートでも頂こうかしら。

再会

半ば嵐、雨の中迎えに来てくれたドライバー&ビザ一般の面倒を見てくれるフセイン。結構ぼろぼろのポンコツ車(でもトヨタ)でやってきます。日本車はいい!とのこと(笑)。

フセイン。

雨・・・。

中に入ると、それぞれの階にドアが無い、むき出しのエレベーター 。

ハンバーガーをほおばるエリー。

ちょっと怖面のミレッド。でも怖くないです。


サンディー。最近婚約した幸せもの!

面倒見のいいやさしいおばはん、マダム・ナジュワ。これ、ほんとに電話してる訳ではないんです。写真撮るっていったらいく通りかポーズを決めてくれました!
今回は出張で、その日私と顔合わせをしてすぐに出てしまった私のエージェント、写真は撮れませんでしたが、こちらはまた次の機会に。
他にも何人かエージェントオフィスで働いていますが、う~ん、写真は3ヵ月後でお願いね、という人と数日オフィスに来られないって人もいます。いつか全員の集合写真が撮りたいですねぇ。
勝手に写真アップさせましたが問題ないよね、と自問自答。

ドバイからベイルートへ

ドバイ上空から。夜だとぶれてしまいます。おまけになんだか分からないので、2006年にドバイに立ち寄った際の写真、下をご覧下さい。

ドバイって人工的な都市です。全てがプランどおり。
ある人の知識から引用-ドバイの街は、イランのテヘランの作りとそっくりそのまま。
なんでかって?イラン人がドバイの街を設計したそうです。意外!


ドバイの空港。やけに近代的です。

一度飛行機を降りる際、前を行っていた男性が振り返って話しかけてきた。さっき聞こえた話からか、しきりにアルジェリアのどこで働くのかと聞いてくる。その辺、うまく流して交わしたつもりだったのだけど、出発時間が近づいたそのとき、搭乗口に向かう途中、また出た!
この便の搭乗口に向かう途中でした!
彼が歩いている向こう側と私が歩いている間のスタバのスタンドをうまく使って自分の身を隠したつもりだったのだけど相手の方が上手だった。やっぱり近づいてくる(念のためにお知らせしときますが、決して悪い人じゃないんです)。もう逃げられない、しょうがないから一緒に座って会話の相手しよう。

話し始めてみると案外きちんとしている人だという印象を受ける。レバノン人で、彼もまたオーストラリアの永住権を持ちメルボルンがホームタウンだという。しかも興味深いことに、タンザニア(だったはず)の国連に勤めているらしい。そうか、だからアルジェリアに仕事で行く私に興味を示したわけだ。アルジェリアはホテルで働くことは言ったけど、何の仕事かは言っていない。というのも中東の人たち(オープンなレバノン人も)、すべての人たちがベリーダンスまたはベリーダンサーを良く思っているわけでもないんです。まあその辺の話はまた別の機会に。

ご存知ない方も多いのではと思いますが、去年12月初旬に、アルジェリアの首都アルジェで国連を狙ったアルカイダ系の同時爆破テロがありました。何人もの方が犠牲になられました。日本にいると島国だということ、それから大多数の人口が単一民族でできた国ということで、人種的な争いごとも、宗教的な争いごとも、国民性とはいえ幸いなことにほとんどなく、平和ボケでピンとこないかもしれません。こんなニュースはどこか遠い国で起きていること。実際日本から見たらそうなのかもしれません・・・。レバノンのどうしようもない情勢といい、やるせない気持ちになってしまいます。まあそんなこんなでタンザニアの国連で働く彼は、私に要注意しろと言いたかったのでしょうね。名刺、頂きました。今度メールでも書いてみよう。

私たちがベイルートに到着する前夜、レバノンでは大嵐があったそう。窓から見える着陸前の景色は、私がよく知っているベイルートとは似ても似つかない別の顔。地中海に面して、穏やかな、太陽がさんさんとふりそそいでいる明るいイメージはひとつもなく、暗いどんよりとした厚い雲が雨を降らせている・・・(もっとも、冬は雨降りだそうですがね)。乗っていた飛行機は、ドバイでほとんどの人が降りてしまったらしく、ガラガラで気持ち寂しかったのですが、飛行機が着陸したとたんみんな立つわ立つわ。そう、これぞレバノン人!危ないから飛行機が止まるまで立たないで、って機内放送で言ってるのにお構いなし。こんな変な常識人たちが長旅の私を元気にさせるのでした(笑)。でも自分が案外タフなことに救われています。だってこの時点で家を出てからゆうに30時間ほどは経過していたはずなんですもの。

まだ嵐っぽいレバノン。荒波が・・・

荷物受け取り場所にて見かけた見たことある顔。先ほどのタンザニア国連勤めの彼と、きれいな彼女に直球を投げていた彼。まあ普通に「どうやって滞在先まで行くの?」って聞かれるわけです。エージェントの運転手さんがいつものように待っていてくれてるはずだから、と心の中でつぶやき、友達のお父さんが来てるの、とにっこり返す。もちろん親切で聞いてくれるわけだから、何の文句もありません。

ここからが笑い話。直球の彼、さっきはどう考えてもきれいなオーストラリア人の彼女に興味示してたよね。私を見かけるなり、滞在中ひまがあればお茶しない?だって。色んな人と会う約束があるから多分時間ないの、ごめんね、と軽く交わす私。もうこんなのお手の物。スーツケースは出てきたものの、預けたアサヤ(ダンスに使うケインスティック)がいつまでたっても出てこない。どんどん減っていく荷物のベルトを目で追いながら待っていると直球彼、また直球投げてきた。急に口頭で私に自分の携帯番号を読み上げて、覚えて!気が変わったら電話して!ってあんた、30時間の長旅の末、どうでもいい人の電話番号を私が暗記するとで思うんかい。とりあえずここはにっこり笑って分かった、とその場を離れる彼にバイバーイ。結局アサヤはもうとっくの昔に出ていて、ベルトからはずされて置かれた地面でご主人様(私)を待っていたのでありました。

いやはや、レバノン大好き。晴れてようが曇ってようが、吹雪だろうが嵐だろうが、天晴れレバノン!

AIWA BEIRUT! HERE I COME!!

きれいで近代的なクアラルンプールの空港。


なんとなくドバイの空港を思わせるものです。この経由地クアラルンプールでまた新たな発見・・・ハタと気づく私。搭乗口のスクリーンにはドバイとベイルートが交互に点滅するではありませんか。自分のチケットに記載してあるフライト番号と照らし合わせてみるとフライト番号はやっぱり同じ。その辺にいる空港関係の人をつかまえてドバイとベイルート、どっちが先かと訪ねると、案の定ドバイだそう。気付かぬうちに経由地が3ヶ所!なんでこうも経由地が多いのに私は今まで気づくことなくきたのでしょうか。その辺りのあいまいさ、最近中東化してきているのかも、と自分を振り返ってみたりする私。

クアラルンプールの搭乗口待合室ではアラブ系のきれいな女の子と彼女を取り囲むように座っている男の子2人。やっぱりきれいな子はどこにいてももてるのね、と私自身彼女を横目でチェックアウト(いや、「チェケラッ」って書くべきですか?)、たわいもない会話が聞こえてくる。飛行機に乗り込むと、さっき待合室にいたあのきれいな子と取り巻き男子がどんどん近づいてくるではありませんか。どうやら1人の男の子はそのきれいな子を口説こうとするべくとてつもなく分かりやすい球を投げています。ふむふむ、こりゃあ面白い。私の真後ろに座った2人の会話、聞いてやろう。

どうやら女の子のほうはイギリス人、男の子はどう考えてもレバノン人だと思われる。う~ん、それにしてもよくもまあいつまでも面白くない話で長持ちするわね。そんな中彼女が「ティピカル・レバニーズ・ボーイズ」だって。彼女、若く見えるけどちゃんと心得てるわね。そうそう、彼の発言から典型的レバノン人男性ってすぐ分かる。騙されないように(ごめんよレバニー・ボーイズ。悪い意味じゃないんだよ、ただ君たち上手だからさ・・・)気をつけなさいよ、って私が心配しなくても大丈夫そうだね。

会話から分かる範囲ではどうやら彼女の目的地はドバイみたい。モデルか何かの仕事かな、「Woo Hoo Dubai, here I come!」ってそんな大声で・・・。やっぱりちょっとナル入ってるのかしら、あんな大胆発言で「ドバイよ、待ってらっしゃい、今から私が行くからね!」なんて。ドバイで一度飛行機を降りる際に目線が合うとにっこりの彼女。なぁんだ案外フレンドリーなのね。そんな彼女に聞いてみた。もしかしてイギリス人を装ったオーストラリア人?ビンゴ!イギリス英語がちょっと不自然だったのよね。メルボルン出身だそうで、以前メルボルンに住んでいた話とレバノン経由でアルジェリアに行く話をしました。ついでに男の子にもレバノン人かどうか聞いてみたら百発百中、こちらもビンゴ。なんだか身近に感じました。あれ?今回の私のブログの題名、Aiwa Beirut! Here I come!!だったっけ(笑)?

おまけな太陽

すみませ~ん、このきれいな女の子の写真は残念ながらありません。今度から恥知らずにバシバシ写真撮るべきですね。もちろん宗教がらみの云々があったりしますから秩序をわきまえての話ですが。

2008年1月27日日曜日

IZA 出発 2008・1・28

ちょっとどんよりとした空の月曜日の朝。中東目指して日本を発ちます。
今回はアルジェリア、シェラトンホテル・Club Des Pinsでの契約です。まずベイルートはレバノン入りし、2日後にそこからアルジェリアに移動します。


成田空港に向かう総武線にて。だーれもいない・・・。 というのはうそで、人はちらほら。私が座っていた座席の端には中国人らしきカップル旅行者もいました。 今回は間違えて成田で降りることなく成田空港までたどり着きました!

まだにっぽん。名づけて「日本の車窓から」。

案外(?)いつもぎりぎり行動の私、気づかぬうちにスリリングさを楽しんでいるのか、はたまた学ばないのか。スッパイマンのたねなしカリカリ梅(あまりメジャーに出回ってるとは思いませんが成田空港にありました)なんか買ってるばやいじゃなかったのよぉ。出発は13時30分、現在時刻は13時5分前。私はまだ荷物検査の最後尾。列も、出発する人たちが大勢いるせいか、決して短くはない始末。気が焦る中で前の外国人が検査のため脱いだジャケットをきれいにたたもうとしているその几帳面さに自業自得なのにイラついてみたりしてる自分。そして気づく。おお、さっき買ったお茶はもしや飲まずしてゴミ箱行き・・・?海外旅行先で現地のコインを出発前にすべて使いきろうと思うがごとく、長い間いないとなると日本の硬貨を持っているのも多少なりとも重いだけ。さっき一生懸命硬貨を残さないようした買い物の中に買っていた日本のお茶・・・アホでした。もちろん荷物をベルトに乗せるX線検査でお茶を手放さなければいけない前に2、3口ほどお茶、飲ませていただきましたが。

成田では、クアラルンプール経由便のマレーシア航空カウンターにて預け入れ荷物が重すぎ超過料金を請求され5キロのオーバーに恐る恐るいくらですかとたずねる私。ベイルートまで通しで4万円強です。なんでそんなに高いのよおぉぉぉ。以前多少超えていてもお金を払う必要はなかったんですぅ、どうにかなりませんか?と食い下がる私。日頃から培われているチャームと笑顔を使ってスイート・トーク。ちょっと取り出して重さを調整できたら良いですよってことになりました。要するに肩にかつぐ荷物が重くはなりましたが、4万円という痛い出費はまぬがれホッと一息。なぜ旅慣れているであろう自分自身、いつも同じような結果になるのか考えてみても、答えは未だに見つかりません。










左からうっすらぼんやり富士山、日本の田んぼと利根川、利根川。

本日の日付にちなんで気温は摂氏28度。乗り換え経由地のマレーシアはコタキナバル。というよりクアラルンプール経由って話は知ってたけどクアラルンプールに向かう前にコタキナバル経由だったなんて聞いてないよ。どおりでクアラルンプールまでのフライト所要時間が異常に長かったわけだ。コタキナバルの小さな空港にて手前に座っている二人、現地人だと疑わなかったら「セブンイレブンがあったよねぇ」ん?よく会話を聞いてみると日本語を話しているではないですか。どう見ても現地人と同化してしまった人たちみたい。英語の放送案内の前のマレーシア語の放送案内に即座に反応して席を立ったその二人、やっぱりこっちに住んでる人なんでしょうね。以前住んでいたシンガポールと類似する東南アジアへのなんとも言えない親しみを思い出しつつ、そんな観察をよそに、今度は余裕をもって機内に乗り込むのでした。