2008年2月27日水曜日

商社の人

先日、ブログを読んだ友人が、商社の人?独身で素敵な人はいないんかい?と遠路はるばるメールしてきた。君の心配はそっちかい(笑)。

さて、私がここでお会いした勝者の方(変換したらこちらが出てきたので、あえてそのままにしてみた・・・)、いや、商社の方は、ご結婚されていて息子さんもいらっしゃる素敵な方です。息子さんも20代、多少開きはありますが、父親に近い存在と言ってもいいでしょうか。ん?でも失礼か。アラブっぽくか、ひげを生やしていて、遠目だと、あれ?アラブ人?と思ってしまった瞬間もあったのですが・・・。

彼はまた、とても興味深い生い立ちをしていて、人生の半分は海外のいたるところで生活されていらっしゃるとのこと。生まれはドイツ、住み渡った国は世界中何カ国も。もちろん英語もフランス語もお出来になられ、お父様のお仕事の関係だったのでしょうね、幼少の頃から異文化の中で生活する時に培われてきたであろう良いものが人柄に溢れ出ている人です。好奇心旺盛で、色んなことに眼を見開いて生きてきているのだろうな、と感じさせるそんなオーラを持った方。大体、アルジェリアでベリーダンス踊る日本人がいたからって、そこまでその人に親身に接してくれる人は中々いないでしょう。

先日、といっても2週間ほど前にさかのぼりますが、体調が芳しくない話を書いたブログをお読みになったのでしょう、大変親身に、思いがけないお気遣いをしていただきました。

ちょうど2月の14日だったはずです。私のショーを皆さんで観にいらして下さったはものの、バレンタインの特別イベントだった為、予約なしでは入れなかったそう。私が移動でナイトクラブに向かうところを見つけてくださり、これ、差し入れです、とタッパーウェアを差し出されました。いつもより長いショーを終え部屋に戻った私は、そのタッパーを開けてなんともびっくりした事。日本語が書いてあるタッパーウェアの中には、のりが巻かれたおにぎりが2つ、シジミとワカメのインスタントスープと一緒に入れてあったのです!涙が。とまではいかないものの(すみません、正直すぎるところがあります)、思いがけない差し入れに、とても嬉しく感謝の気持ちで一杯の清々しい夜になりました。

今考えれば、友達にバレンタインデーに誰かからバラもらった?と聞かれ、自分でその辺に会ったバラを取ってきた以外は誰からも何ももらわなかったな(というよりそれはもらったに値しない・・・)、と思ったのですが、おにぎりもらったじゃん!と今の今気付きました。 そうか、あれは粋な計らいだったんだ・・・。

その後も事あるごとにこの商社の方、私にお声掛けして頂いており、なんとも心強い味方のような気がしてなりません。

つい先週も、彼と彼の上司がテニスをされるということでお誘い頂き、久しぶりにラケットを振り回す(?)機会に恵まれました。宮崎の田舎の中学校でテニス部に入ったはものの、母親が選んでくれた新品のラケット(母親は昔から奇抜な物好き、よりによって私に緑色したガットのラケットを買ってくれたのです)、先輩にガットの色なんて白で十分よと目を付けられ玉拾いで終わってしまった過去を思い出しながらフォームを修正。2時間ほどテニスのお仲間に入れていただきました。

その上司の方もまた誠によい方、お部屋で自炊をされるそうで、その日は私に手作りのカレーライスを差し入れして下さいました。こちらも誠においしいカレーでした・・・。後で聞いた話によると、天ぷらぐらいは自分で揚げるよ、との事。ははあぁこれは恐れ入りました。レストランのシェフに作り方教えてあげてください(涙)。レストランで天ぷらと呼ばれているものはどう譲歩しても天ぷらとは言えない・・・。
その日は金曜日の休日、ブイ・アイ・ピー(VIP)のおじさまたちがくつろぐラウンジにお供して入れてもらい、おしゃべりに花を咲かせ、ゆったりとした時間を過ごしたのでした。
こんなに眺めのいい所にラウンジがあるなんて知らなかったエヌ・ブイ・アイ・ピー(NVIP=Not Very Important Person もちろん造語です)の私。せっかくですのでお写真撮らせていただきました。

8階からの眺め。

まだプール開きはしてません。

こちらは西。雲がなければ夕日が見えるのだが。

商社の人と題してブログを、と言ったのですが、写真はちょっと、てな訳で代わりに私。

これも全てこの商社の方のおかげ。この方にお会いしていなかったら私がここに来てから経験したたくさんのことやお知り合いになった方々は知らないまま通り過ぎたのだろうな、と確信、とても感謝しています。そして今日はこんな小娘(そんなに小さかぁありませんが)にお付き合い頂きありがとうございました。 これからもよろしく?(笑)

2008年2月25日月曜日

アルジェ

彼のオフィスは、地下の一番奥の奥の奥の部屋にある。

マネージャーに連れられてはじめて訪れた彼のオフィスで、フランス語は?と問う彼。何を言っているか分からぬ私の代わりにマネージャーが、全然だめだ(多分そう言っていたと思われる)と答える。翌朝、彼のオフィスで待ち合わせ、日本大使館に行くことになっていた。管理職のサミールは、少し不安げな面持ちで私を迎え、ホテルの外観からは検討もつかないほどの雑然とした地下通路を通り、セキュリティーゲートをくぐり、地下のその駐車場へと向かう。車に乗り込みしばらくすると明かりが見え、徐々に明るくなる外の光がまぶしいほど私の目に差し込んでくる。

はじめて、アルジェの町に出かける。

その日私は在留届を提出しに大使館へと連れられた。アルジェリアも、車のハンドルは左側。道は、いわずと知れて右側を走る。ホテルのセキュリティー出口を出たところで、サミールが口を開く。あそこのシャレー(Chalet=別荘)は、外国人勤務者の宿舎だよ。これはオーソリティーのオフィス。

昨日のつっけんどんとした態度とはちょっと違い、私にしゃべりかける彼に、多少なりとも安心感を抱く。なんだ、英語できるじゃない。ずっと黙ったままなのかと思った。


私の質問に、あまり英語は出来ないけど、と一生懸命説明してくれる。ここから先は、スタワリーという町、ここは犯罪学の勉強をする学校だ。ここは公園でこっちはトヨタ。あそこの広大な敷地は来年ディズニーランドが出来るところだ。ディズニーランド?ほんとかな、とは思いつつも、へぇ~。私も調子に乗って彼を質問攻めにする。あれは何?こっちは?


なんともカラフルなウォータータワー。

この辺りにディズニーランドが出来るらしい。

女性専用のスポーツセンター。

そして車の中から見るもの全てを写真におさめようとする私。

町行く人。

どの建物も、窓枠は青なんです。

何だっけ。

新聞社はあちら?

狭い路地。

ノーコメント。

何か政府の建物って言ってた記憶が・・・。
日本大使館入り口。テイク1。

日本大使館の中のお庭。係りのおじさんが撮っていいよ、っていうか是非撮れって・・・。

密集。

高台からアルジェの町を見下ろした。

なんでこんなの撮ったのでしょ・・・。
(写真は順不同)

それにしてもよくあそこまであれこれ把握しているな、というほどメジャーな建物全ての名前を知っている。時間が経つにつれて、彼はなるほど閉ざしていた心を私に広げてきていると思われる。私は、どこのお国の人だろうが、どんなバックグラウンドの人だろうが、人と仲良くなるのが得意である。

日本大使館に届出を持っていった後、お次はマレーシア大使館にセネガル大使館、彼は私を連れて行く必要が絶対にないところまであちこち連れていく。交通渋滞がひどいと文句を言いながら、上り坂、下り坂の小道をグネグネ運転。駐車も、車道の脇の民家の壁ギリギリに寄せて留める。外国人労働者が必要な書類を駆り立てに、お役所周りもする。

上出来駐車。

お役所その1。

中はこんな感じ。
ねえねえ、あなたたち列ってもの、知らないでしょ?

その日のお昼時、アルジェリアの食べ物を食べたことがあるかい?と、サミール。ご飯はいつもホテルで食べている私。外のご飯はまだ食べたことがない。でもサミール、私まだ現金持ってない・・・(見知らぬ海外で普通にこういうことをする私、結構度胸あります)。いいよ、ここは僕のおごりだから。

車のタイヤがさっきからおかしな音を立てている。タイヤ屋さんで見てもらったついでに隣の半屋台(半分オープンエア、造語得意です)のガラスケースに入ったまだ生の串刺しを指差して食べるものを決める。種類がたくさんある中で見たことがないものも。あれは何、これは何と聞いてみるが誰もうまく説明できない。ここは妥協して勧められる無難だと思われる串刺しをご馳走になることにしよう。

アルジェリア特有の丸いパンを主食に、たくさんの串焼きとトマトの和え物、チリらしきからいペースト状のものをたらふく頂いた。こういう庶民的な地元の料理はなんともおいしい。写真でお見せできればいいのだが、このときすでにカメラのバッテリーはゼロ。また出直さねば。

帰り道、サミールが一緒にご飯を食べたことは内緒にしておくように、と言っている。もちろん、二人だけの秘密さ(ってネットで公開?)、と新しく出来た友達につい嬉しくなり満面の笑み。けれどホテルが近づくにつれ、彼の顔は気のせいだか少し険しくなったよう・・・。やっぱり仕事上待遇云々で色々不満を持っているよう。個人的にはとても気の良い彼も、職場に戻るとちょっと距離を置いた存在になってしまいました。

明日も大使館に書類を取りに行かないといけないけど、一緒に来る?と聞いてくれたサミール。味を占めた私は、カメラのバッテリーをフルにして、翌日も一緒に出かける約束をするのであった。

2008年2月24日日曜日

停電

この頃、眠れない日が続いている。理由は、・・・分かるわけもなく。

昼間しなければいけないことがある日が続き、確かに夜遅くに寝、朝早くに起きると、自然と寝不足に。私は人一倍眠りが必要な人間ではないのかと思うこともあるほど、案外顔に出たりする。疲れは、溜めないに限る。しかも自分をプレゼンする職であるのだから、こちらはきちんと管理したい。

昨日のリハーサルを終えて部屋に戻ってきてからのこと。あれ?電気がつかない。あまり気にすることもなく、とりあえず栄養を取り(ご存知でしょうが表に狩りに出かけるわけではないです)に出かける私。もう電気も戻っているでしょう、と思い部屋に近づくにつれ一つ気付いたこと。なんだか廊下が暗い。レストランでは明かりは戻っていたような気はしたのだけど。イヤな予感・・・。

ドアを開けて鍵を壁に差込む。電気のスイッチを入れる。・・・暗い。ふむ。・・・弱った。

いつになったら電気が戻るか、レセプションに電話を掛けてみる。ひどい。繋がらないようにしてるっぽい。多分、苦情の電話が殺到してこうしたんだろう、と思われる。ありえないよな、日本ならこんなこと・・・、と思う。5ツ星をうたってるはずのシェラトンが・・・。

仕方がないので点けていたPCの残りバッテリーを確認してみる。午後6時半、カーテンを開け、とりあえずまだ辛うじてある外の光とPCの光に頼る。風呂に入らねば・・・。洗面所は更に暗い。お湯をはるが一体どの辺りまで水が溜まっているのか分からない。そうだ、携帯電話という優れものがあったではないか。無事、お風呂関門は突破。すると廊下では何やらたむろった人たちの会話が聞こえてくる。シングリッシュである(Singapor Englishを造語でSing-lishというのはご存知ですか?ひどい訛りなのです)。なんとなく親近感を感じ、ドアを開けてしゃべりに参加。彼らはマレーシア人だったよう、チラッと習得できたシングリッシュフレーズをやったらかなり受けてましたが、内心、マレーシア訛りも変わらんではないか、とも思ったりしてみる。

彼らはこの停電はシェラトンの仕業だ、などと言っているのを聞き反論。いや、これは間違いなくアルジェリアだ、「Welcome to Algeria!」などと到着早3週間、アルジェリアを代表してみる。

ハッ・・・化粧・・・。会話を終えドアを閉めた私には次の心配が(といってもそこまで深刻に思ってもない)。そういえばレバノンでも時々準備で化粧をしているとよく停電で悲鳴上げてたよな、と変な懐かしさを覚える。

暗い部屋ではらちがあかないので、ここは部屋の前の廊下の一角にあるテーブルを使って化粧をしようと思い、化粧道具一式をその場に広げてみる。辛うじてある暗い、でも明かり。わざわざ本館の化粧室に行くのは絶対に億劫。人が通るであろうが断じて部屋から近いそのエリアでの化粧を始める。たまに通りかかる人と会話を交えながら、冗談交じりに(であって欲しい)部屋の電気つかないの?僕の部屋で化粧しなよ。いやいや、賭けてもいいぞ、絶対おたくの部屋の電気もつかないはずだから。今日はいつもより気合少なめ化粧で、と思っていた矢先グワーンと少し変な音。電気が戻り無事部屋の電灯のもと、化粧を終えて支度に取りかかったのでした。


廊下の一角。化粧をしたところではありませんが・・・。

ここでの停電は、普通のことらしいのですが、まだあまり経験していないし、私はここはよくやっているほうだと思う。なんでかって、レバノンでは毎日のように停電があったから(こちらはしょうがない事情なのですがね・・・)。しかも一日何回も。停電がない日もありましたが、多分数えるほどしかなかった気がする。幸いエレベーターに閉じ込められるって事はありませんでしたが、そんな時は電気がなければ出来ないことはしない。ただそれだけです。

毎晩仕事が終わるとメールをチェックしたりななんだりで、徐々に夜更かしモードになっていたのは確か。電気使えなくしてやるから早く寝ろ、って事だったのかな。

2008年2月20日水曜日

去年の今頃

ASYA レバノン術その1

ASYA レバノン術その2

こういう画像があった方が人目を引くかと思い・・・。

ベリーダンスを始めてから数年後、私ははっきりしたものは見えなく、定かではないながらも中東でのプロダンサーを意識していたのかも知れません。
性格なのかポリシーなのか、ずいぶん昔から自分が決めた道で成功する、を意識していたような気がします。ベリーダンスに出会うまでは、演劇に熱を入れていました。しかも将来は海外で通用する、マイケル・ジャクソンと名を連ねるほどの(・・・ん、なんかおかしなこと言いました?)世界に誇れるインターナショナルな女優、を目標に。恥ず知らずと言われても本当にそう思っていたので仕方がない・・・。チャン・ツィーさえいなければ・・・!(笑)ええ、実はSAYURIのオーデションに呼ばれて行ったこともあります。

この際とことんざっくばらんにいきましょう。幼いころから海外に住む機会に恵まれ、どうやらそこで培われたワールドワイドな大胆不敵さ、高レベルな身の程知らずさを身に付けてしまったようです。

思っているだけでは中々物事は前に進まないもの。2006年11月、私はとある目的を持ってあるコンテストに参加しました。今ではさほど珍しくもないかも知れませんが、一般的に思われる日本人のイメージを覆したのかもしれません、幸いながらもそこで出会ったエージェントの目に私は留まったよう。今振り返ればあれほど辛い思いをした時は今までなかったと言うほど色々あった時期ではありますが、可能性を見越していただいたのでしょう、私は湾岸諸国の5ッ星ホテルやレストラン等でのエンターテイメント部門を牛耳る湾岸諸国最大の、現在の私のエージェントにスカウトされました。それが、全てのきっかけ。

こんな私も、実は去年の今頃までは会社勤めもしていました。2004年に日本に帰国してからというもの、ダンスをメインにと考えつつも、教えビジネスを念頭に置かないとなかなかそれだけでは食べていけないもの。もしくは自分でそう決めつけてしまっていたのかも知れません。ですので、比較的拘束時間が決まっている派遣の仕事をこなしながら踊りの仕事が入れば、喜んで飛んで行く、そんな生活が続きました。

2004年も終わりに差し掛かった時、とあるスタジオで教えて欲しいとお声が掛かり、日本での指導も始めるようになりました。足は2つしかないのに、そこから現役ベリーダンサー、ベリーダンス講師、なんちゃってOL、と、3つの草鞋を履いて生活するようになったのですが、それがきっかけで、カルチャースクールや個人でのレッスン開催など指導にも時間と労力を費やすようになりました。教えるということは自分が生徒に教え伝えることに責任を持つこと、そしてそれはとても難しいことだと思います。けれど、そこから築かれる信頼関係は、今後も大切にしていきたいものと心から思います。

本当に最近です、生徒さんに、以前教えていた六本木でのクラスが始まる30分前は、私も赤坂のオフィスでデスクワークをしていたと打ち明けたのは。この時には社員をさせていただいていたのですが、理解を示してくれる社長さんがいらっしゃるところで、本当に助かりました。平日、クラスがある日にショーもあるなんて時は、途中に時間がないもので、オフィスでの昼休みにメイクをほぼ完成させ(ええ、あのメイクですが何か?)、私の顔を見る社長に「何が起きたの?」なんて聞かれ、そんなときにはもちろん「ちょっと・・・」。その顔で5時30分の終業時間と共にオフィスを出て5時34分のバスに乗り、六本木のスタジオまで行く・・・。着替えを済ませ6時にはスタジオ入り。レッスンにやってくる生徒さんに、何食わぬ顔で「ど~ぞ~」なんていいつつ1時間のクラスを終える。そんな話を生徒さんに打ち明けたらものすごくびっくりされていました。

そこから次の仕事場に向かうのです。そんな中、時にはショーの仕事の梯子もしました。新宿が終わったら横浜とか、青山が終わったら新宿とか。今ではよくやっていたな、とも思いますが、そんな忙しい日でも、踊れる喜びは、何にも変え難いものです。移動だってなんのその、一日の終わりが踊りの仕事で終わる日は、どんなに疲れていても清々しい思いで一杯だったような気がします。

レバノンに来ることで、この私の多忙な日々には終止符が打たれたのですが、今があるのも、この下積み時代(?)があったからこそではないかと密かに思っております。

世の中なんでも起こるべくして起こるのでしょうか、ね?・・・
この世界、運も非常に関係しているとは思うけれど、努力はそのうち報われる・・・いや、是非報われて欲しいものです。

2008年2月18日月曜日

しまった

先週金曜の夜のことです。

ご飯を食べようと出かけたホテルのレストランでの話。

時間も遅かったためか、ガラガラのレストランには私の他に2、3人いるだけでした。ここではいつも、仲良くなったウエイターの人たちとフランス語の練習をしたりしています(といってもいつも同じことを言ってるだけですが・・・)。

目が合ったやさしそうなおじいさん(イやな予感?笑)。

フランス語の挨拶をウエイターの人と交わす私になにやらフランス語で話しかけてくるではありませんか。「ボンスワ、サ・ヴァ?」までは良いんです。ただ私はそこからあまり進歩していません。もちろんその後はちんぷんかんぷん。だから決まって「フガンセ・ジュネセパー」・・・。

多少の英語はしゃべれるみたい。こんな夜遅くに一人でも笑顔の子がいて良かったよ。と言っています。私は立ったまま、彼は座ったまま会話が長引いたのですが、ここで分かったことは、彼はスイス人の国際弁護士だそうで、今回は仕事でアルジェリアを訪れたそう。そして翌日スイスに戻るらしいのです。始めは気付かなかったようですが、どうやら私がベリーダンサーだと分かってしまいました。確かに私も踊っている最中に、何度かそのスイス人おじいさんを見かけた覚えはしていたのですが。

最初はもちろん遠慮していた「一緒に座りませんか?」。私はもう自分の席があるから、と一緒に座る気なんかもちろんなかったのですが、その彼の携帯電話に同じホテルにいるイタリア人女性から電話が入ったそう。彼女も明日アルジェリアを発つんだ。今からさよならの挨拶をしに来るって、とおじいさん。彼女も一緒だからとまた座るよう促される。やってきたそのイタリア人女性を見たらなんとなくホッとしたのか、彼女もいるなら、ではまあご一緒させてもらおうかと席に着く。もちろんおじいさんはヨーロピアン。アラブ人の感覚とは違う感覚で接してしまったのか、よく考えたらこのイタリア人女性が長居をする訳がない・・・と言うことは彼女が去ったら私はこのおじいさまと二人きり。なんだかまずいなあと思っていてもだからといってすぐに席を立ち去るのも無礼なこと。この場は何とか会話を探しつつ健全な対応を取る。しかもおじいさん、私にワインを注いでくれるではないですか。全然口をつけないのも悪いので、1、2口飲みましたが、その後色んな後悔が押し寄せてきたのです。

まず、誘われても一緒に座ってはいけなかったこと。その場でお食事をいただきつつエージェントオフィスでサンディーが言ったことを思い出す。お客さんと出かけたりしないこと。誤解を招きそうなことはなるべく避けること。ここだけの話ですが、ベリーダンサーたるもの、アラブの国では必ずしも良いイメージではないんです。ある人に言わせると、こちらで言うベリーダンサーは女神的な存在であるという考えもあり、その女神は誰とでもお出かけしたりなんかしたらいけないんです。女神はお酒を飲まない、タバコを吸わない、トイレにも行かない。と言うのは冗談ですが、とまあ色々気をつけるべきことは山ほどあるのです。

とあるダンサー友達とのチャット。彼女は先日かなり参った様子で話をしていました。彼女の派遣先のホテルにて、レストランのシェフと仲良くなったそう。そのシェフは、ご飯時にやってくる彼女に対し、いつも大変親切にしてくれていたらしいのです。ただそれだけなのに、気付けば訳の分からぬうわさが立ち込めていたとの事。要するに、そのシェフが彼女と仲良くなったことを理由に、あることないことを言いふらしていたらしく、彼女が否定すればするほど回りは信じてくれないという、嫌なシチュエーションに発展してしまっていたそうなんです。

マネージャーに言ってみれば?と諭す私に、彼女はマネージャーもシェフの言葉を信じていてもうどうしようもないとの事。解決法を見つけられず、困った私はそれなら真実は一つなんだから、相手が何を信じようが、どう思おうが、私たちにはどうしようもないのでは?と言ってみましたが、やはり根も葉もないうわさから出来上がる嘘の名声で今後の仕事に支障が出るのは私たちだって少しも望んではいないところ。だからといって、愛想良くしなければ「あいつは態度が悪い」、などとまたおかしな方向にうわさが行く可能性だって否定出来ない・・・。もうそろそろ終わりの契約だから、これ以上おかしなことにならないことを「インシャアッラー(Let's hope god)」と会話を終えたのですが、アラブの国では女性の発言にはあまり価値をみなさないのか、こんな変なことに私たちはよく削らなくていい神経を削ったりすることもあるのです。しかもその彼女には、もう一人同じようなうわさを立てるホテルでの男性客がいたそうで、そんな状況に対してクールに対応しなければいけない彼女をかわいそうにも思い、同情と共に全てのダンサーがそのような要らぬ心配にエネルギーを奪われることもある事実にもどかしさをもおぼえます。

以下は、去年のレバノンでの私の体験談。おんなじようなことはどこにでもあるのでしょうか。

踊っていたレバノンのホテルの同僚Wから聞いた話。ベイルートで夏の間最もホットな場所と知られるお洒落なオープンバー、Skybar。ホテルのレストランで踊っている私を見たことのあるもう一人の同僚Tの友達=お客さんがある日私をSkybarで見かけたそう。友達と、知り合って友達になった男の子とSkybarに行ったその日、人目なんか気にするはずもなく(というより、気にする必要なんかこれっぽっちもないでしょ、悪いことしてるわけじゃないんだから)ただ単に時を楽しんでいた私達。

なんでそういう発想に結びつくのかと思うぐらいバカらしい発想。あの子=私はお金目当てで誰とでも出かけるの?って。いい加減ほっとこうよ、私のことは。 飲み屋さんで私が男の子と一緒にいたからって何でそうなるのか不思議なほどここの国の人たちはうわさ好き(正しかろうがそうじゃなかろうが)。うわさ好きだけならいいのだけれど、ここの国民のほとんどの男性は女性に対してあまりポジティブな考えを持っていないようで、特に外国人女性に対してか、仮に友達が男性だったとして一緒にいたとしたら自動的に何らかの関係を持っていると思う人が多いよう。

そんな感覚をこれっぽっちも持ち合わせていない私や欧米の友達はバカバカしいと思いつつも人から受ける誤解でたまに傷つくことも(というより呆れることも)。本当ではない嫌な名声だけは避けたいものの、バカバカしくて気にしてられないところもたくさんあります。もちろん皆が皆そういう考えを持っているわけではない訳で、本当に語り合える人とは偽りではない友人関係を築けたとは思っていますが、あまりにもばかばかしくて笑ってしまうことが満載です。

踊っていたホテルから全然遠い場所にある私のエージェントオフィス近くのスーパーで買い物をしていたある日。「あれ、君、あのホテルで踊ってる子だよね?」って。ここは「はい」と言うべきなのか、「いいえ」というべきなのか…でも嘘つく必要もないし…と思い「はい」と。 知らない人からも、昨日どこそこに行った?一昨日だれだれと一緒だった?…って何で知ってんの?というくらい人は見てる!国も小さければ人口も少ないわけで、しかも現在レバノンに住むレバノン人の全人口は情勢が不安定なことから外国に移住して住んでいるレバノン人1,600万人の4分の1の400万人。誰かと誰かは直接、またはそのまた誰かを通して知り合いだったりすることがとっても多いのです。

そんな経験があったことを思い出し、ダンサー友達にその話をしてみる私。でも幸いだったのは、私の同僚Wは私のことをきちんと分かってくれていて、彼女はそんな子ではない、ときちんと説明してTの考えを改め直してくれたこと。真実は一つな訳で、他人がどう思おうが、どうでも良いこと、と思いつつやはり人間なるべくなら良くないうわさは避けたいものです。

そうそう、話は戻りますが、そのスイス人のおじいさん、話をしていると何故か話題はどんどんマッサージの方向へ。そういえば一度でしたが踊っている最中に誰かが私にマッサージする?って聞いてきたことがあったよな、と。何たる質問じゃと思い、するわけないでしょ、と答えたことを思い出す。もしかしたらこの人がその何たる質問をしたのでは、と一緒に座ったことの後悔がどんどん最高潮に達する傍ら、結局あまり悪い人ではなかったのかな、と思いレストランを後にする私におじいさん、君のお部屋はどこだい?って。悪いけど教えらんないよ!と言うとこれまたじいさん、いやあ、もしかしたら近所かもしれないと思って聞いてみただけだよ、と罰の悪そうな顔。そうだね、近所かも知れないね、と答えてその場を後にした。おじいさん、今度アルジェリアに戻ってきたら私を観光に連れてってあげると言うておったし私は一人であまり出かける機会には見舞われないものの、お誘いを受けてもお断りだな、とつくづく思うのでした。

2008年2月16日土曜日

お知らせ その2

いろんな方からコメントを書きづらいとお知らせいただいていました。で、設定を確認したら登録ユーザーしかコメント出来ない設定になっておりました(こういうの疎いんです)。急遽「誰でもコメント書きやすい設定」に変更しましたので、お知らせいたします。
どなたさまも、お気軽にどうぞ!

2008年2月15日金曜日

お知らせ

前後しましたが、2月13日付けで「フッカツ!!」と題し、エントリーアップしました。よろしくです。

2008年2月14日木曜日

今日はバレンタインデー

前日の投稿をアップできていない状態で前後してますが、今日はバレンタインデー。忘れていたけど世の中ウハウハのバレンタインデーである。

先ほど、ご飯を食べているとマネージャーがやってきて言いました。

今日はバレンタインデーである。

うん、知ってるよ。

ビー・マイ・バレンタイン?
とお誘いいただいたのかと早とちり。良い方だけど、丁重にお断りだわ、と思ったりしてみる。


今日はバレンタインで特別な日。要するに1001 Nuits で普段の倍の長さのショーをしろとおっしゃっておられる。 Special Show for you と言われ、違うでしょ、Sepcial Show for YOU ね。私にとってスペシャルなわけではないのですから。

この業界、特にこちらの方を相手にお仕事する場合、なんにでも臨機応変に対応せねばなりませぬ。昔から変化に順応性よく対応せざるを得ない環境で育った私にとってはこんなことなんのその。もちろん笑顔でOKですよ、と返しておく。

バレンタインデーといえども結局はノリ良くその場を盛り上げろと言っておられるマネージャー。これは部屋に戻ってプログラムの組み替えだわ、とそそくさに食事を済ませ部屋に戻ってきた私。

ここでの契約のショーは一応取り決めで全てCDで、ということになっています。バンドをバックに踊れればいいのだけど、契約は契約。これって踊る以外のところで、私にはダンサー以外のものも要求されているのでは?
ハッ・・・DJマリコ・・・。

今余裕こいてブログなんか書いてる場合じゃないんだった・・・。




帰り道、私は階段を使います。出口(であろう)というサインの壁を写真にとってみる。


ん?今まで気付かなかったがこれはもしや1階の意味で「1」・・・。

2008年2月13日水曜日

フッカツ!!

早っ。

薬の効力はすごい。出来れば薬に頼らず治したかったけれど、仕方ないですよね、こういう場合。そのための薬なんですもの。

薬の服用後、痛みを忘れようと目を閉じたまま寝てしまったようで、起きたら1時間ほど経っていました。痛みはなくなったものの、痛み止めの副作用には眠気もあるようです。少しフラフラに感じる体を無理やり起こして今日もいつものように準備を始めます。

よく人から踊る以外の時は何やってんの?と聞かれます。寝る、食べる、散歩する、練習する、と答えるわけですが、この踊る仕事だって行って帰るだけではないんです。ステージに立つまでの間にはそれはそれは長い時間をかけて「身なり」を整えます。まあ女性はそういうの好きでしょ、と言われればそれまでなのですが、21時半から始まるショーのために、現在私は16時からそれとなく準備を始めます。

まずリハーサル。これは私が提案して自分のためにやっていることなのですが、やはり部屋の中だけで練習するったって、クルクル回るスペースはさほどないわけです。しかもベールを持って回ろうなんて考えにいたるとそこらじゅうのものに当たってしまい、仕舞いには自分に怪我を及ぼす恐れがあります。だから私はレストランの裏口から忍び込み(いえ、許可取ってるんで堂々としてます)、音響システムをいじくり、CDを流します。その時間帯にはもう従業員の人たちは準備にかかっていて、クルクル回りながら人と目線が合うと「ボンスワッ、サ・ヴァ?」なんて言ってる訳です。通常1時間ほどでリハーサルは切り上げますが、このリハーサル、熱を入れたら何時間だって出来ます。ただ、ここはプロ、スタミナはその日の様子を見ながら分散しなければいけないので、ぐだぐだと練習ばかりしているわけにもいかないのです。

上手く切り上げられれば17時過ぎには部屋に戻り、着替えを済ませて今度はご飯を食べに行きます。21時半から逆算して、4時間前にはご飯を食べ終わっているようにしたいとは思うのですが、現状やはり時間は押してしまいます(練習は案外すぐには終わりません、ある意味納得がいくまでやってしまうものなのです・・・ってさっき言ってたスタミナ分散は?)。以前聞いた話だと、ご飯を食べた4時間後が一番エネルギーとして有効に活用されるそうなんです。なんともオリンピック選手のような話ですが、それを聞いて以来、私はいつもショーがある際は4時間ほど前までにはおなか一杯ご飯を食べておくようにしています。これからの長い夜のために・・・。要するに私の夕食時はご想像のとおり変な時間帯なんです。ディナービュッフェの用意を始める支度に入ったレストラン(こちらは踊るレストランではなく食べるレストラン)は貸し切り状態。どおりで誰とも会わない訳だ。

そしてお風呂。バスタブ(ケバブじゃない)があってかなり助かってますが、髪を洗うなり体を洗うなり、これから動かす体、やっぱり温めることが出来るのは重要。肩までしっかり浸かります。これは精神的にも少しリラックスできて大変重宝しています。人類の文明だ・・・。

その後、大体7時ごろから、まずは髪の毛をいじくります。以前は髪の毛をとにかくまっすぐにまっすぐにと努力していたものですが、最近は髪の毛を出来るだけくりくりに。私の踊りは激しいと評判で、激しさを伴う踊りには必然的にそれなりの量の汗をかきます。汗をかくと髪の毛も濡れて、もともと頑固な私の髪の毛は徐々にストレートになってしまうのですが、初回ぐらいは、フワフワのクルクル(ちょっと表現が軽っぽい?・・・)ってイメージを保てるよう努力したりしております。それなら無駄な努力は・・・、と思われるかもしれませんが、この無駄な努力がそのうち報われれば(どのように?)、と日々無駄な努力・・・。

8時までには髪の毛を整え、お次はお化粧です。ご存知のとおり(知ってる人は知っている?)、中途半端なことが嫌いな私は化粧だって生半可なものでは済みません。大体ベリーダンサーたるもの化粧をしてなんぼの世界(これほんと?)、プレゼンする見かけはピカ一でなければなりませぬ。同じエージェントに所属するダンサー仲間の一人に言わせると、一番重要なのはルックスであるとの事。この辺り、微妙に本当かも、と思ったりもするわけです。

お目々しっかりのアラビアンメイクを施すのにはコツがあり、何を隠そうそのコツとは化粧をしながらオーバーすぎると思わないこと(笑)。アイライナーひきすぎた、なんて思ったらそれまでなのです。特に目には力を入れます。ここだけの話ですが、私はファンデーションが大嫌い。化粧をする暗黙の了解ならぬご法度とは存じておりますが、ファンデーションは使いません。時々妥協してお化粧ののりを良くするため目の周りだけファンデーションを落としたりもしますが・・・。

こちらのメイクアップアーティストに言わせると、アジア人の顔に一番合うと思われる目元化粧はスモーキーアイズ、要するに目元を真っ黒にして印象づける化粧法だとのこと。よく観察してみると、現地の人(レバノン人は特に)もみんなスモーキーアイズを施してる。郷に入れば郷に従え?でも個人的にスモーキーアイズ、好きです。たまにその上に衣装の色と同じカラフルアイシャドウを落としたりっていうのも、もちろん致します。眉尻は目のお化粧に比例した長さに調整し、頬紅をこれでもかというぐらい塗りたくる(これ、言いすぎ)。最後は口紅、グロス。そして指ほどの太さに丸めたティッシュを口の中に入れ、唇を閉じて引き抜く。なぜ?と思われるかも知れませんが、これは笑ったときに口紅が歯についてアホっぽく見えてしまうのを防いでくれるそう。これもダンサー仲間の知恵袋から。

全てが完了したら今度は着替え。衣装は、その日の気分プラス前後に使用した衣装との兼ね合いにより決定させ、同じ日のそれぞれのショーに使用する衣装が同じ配色にならないよう、それなりに気を使います。着替えが終わったら最終チェック。スカートはいたるところに安全ピンを使用し、ずれないよう、外れないようピン止めします。衣装に合うアクセサリーをごそごそと袋から探し出し、こちらも身に付け、香水(ビンボーっちいですが、私は某ブランドのボディスプレーを愛用)をさっと自分に浴びせます。



少し取り出してみました。衣装!

とまあこんな感じで念入りに用意をするのです。だから一日中さぞかしお暇でしょ、なんて言わないで!

2008年2月12日火曜日

余談ですが…

ずいぶん前ですが、部屋に戻って洗面所に行った私。
ハッと気付くことひとつ。まつ毛がない!私の目尻だけ付けまつ毛、片方なくなってました。そりゃそうだ、その辺においておいたんだもの。掃除してたら飛んでっちゃうよ。

って事で、その後はきちんとケースに入れておくようにしました。どう考えてもどうでも良い話ですが。

今日は体調芳しくないのでゆっくりやってます。普段やってるリハーサルも今日は急遽お休み。レストランの人たちもなんで今日いないのかな、って思ってるかも。別に言いにいくほどのことでもないし。あまり薬は好きではないのですが、この場合しょうがない。そろそろ始めなきゃの支度、薬が効いてきてくればいいけど。

もうひとつどうでもいい話。ブログを読んだ何年も前からの私の知り合い、なんか日本語上手くなったような気がする、・・・って私今までどんなひどい文章書いていたのでしょうか・・・。

2008年2月9日土曜日

やっぱりナンシーはすごい!

土曜日の今日のショー、レストランでの1セット目はまたまたガラガラだったのです。

裏口から入り、音楽が始まりステージ横のドアを開いて登場するまで客席は見えないのですが、その時々、食器の音や人の話し声などで、今日はどれぐらい人が入っているか、というのは大体検討がつきます。確かに静かだな、とは思いました。

艶やかなシルクベールを翻し快調に登場した私。あれ?レストランを見渡すとガラ空きのスペースにはたまた拍子抜け。いつもの席に、いつもの3人がいるだけでした。それでも親しみ深いと私がレーティングする笑顔を振りまく努力をし、踊り続けます。うーん、アラブ人じゃなさそうな3人を相手に20分は少しツライ。もちろんこの場合完全たるプライベートショー。彼らにしたらお得というか。そう思った矢先、幸いながらもう一組のお客さんが入ってきました。こちらの方たちは凝視するだけではなくどう音楽と踊りを楽しむか、心得ている方たちで、少し救われましたが。

そして控え室に戻った私はとりあえず闇雲に色んなことを反省してみる。今日人が少なかったのはもしかして私のせい?先週いいよと言われて多少なりともいい気になってしまった自分のアホさが悔やまれる。しょせん現実こんなもの?と、どんどん妄想は膨らみいらぬ方向に。私の頭をよぎる2つの解雇という文字・・・。1週間で契約打ち切り・・・。うおおぉぉ、破裂せんばかりの不安の波が私を襲う。お、溺れる・・・。

とりあえずなるようにしかならない、と、持ち前のノー天気さを取り戻し、2セット目の支度をして再度控え室に戻ってきた私。少し不安な面持ちでステージに再登場した私の目に入ったのは人、人、人。レストランはたくさんの人でにぎやかになっていたのです。もちろんいつの時も持っている力を出し切ってパフォーマンスをしているつもりですが、その時の人入りは、やっぱり関係してきてしまうもの。こちらが与えるだけのエネルギーを、お客さんも返してくれるものなのです。

中央のテーブルには傍から全てを楽しんでいるアラブ系のグループ客、手拍子を打ってくれるではないですか。ここは精一杯サービス満点腹踊り。調子に乗って一緒に歌を歌ってみたりもする。途中から入ってきた中国の団体客は私を見かけるなり中国人か?と聞いてくる。ごめんよ、私は日本人さ、と会話を交えながら踊りまくる私。この中の一人が一緒に踊りだしてその場はある意味コメディー調に。こういうの、今日の私には必要だったのよ(涙)、と声には出さぬが感謝の意。

各テーブルを踊り歩く私の耳に入ってきたのはアラブ圏で知らぬ人はいないであろう、あの女性歌手、ナンシー・アジュラム(Nancy Ajram、レバノン人です!)の曲。この曲がかかった途端、先ほどの中央のテーブルの女性が踊りだすわ、中国人のおじさんたちは2,3人オリエンタルダンスのオの字も知らぬが見よう見まねで一緒に踊りだすわで、かなりな盛り上がりを見せるのでした。ナンシーの好き嫌いは二分するようですが、やっぱりアラブを代表するスター、ナンシー・アジュラムはすごいわ、と彼女のすごさを再認識。頬っぺたがパンパンの、かなり特徴的な顔をしていますが、魅力的です。見かけだけではなく、きちんと歌えるし、なんといっても彼女の歌のミュージッククリップは、私だけかもしれませんがきゅんときます。まあ、度を越えたラブストーリーをビジュアル化しているものの何者でもないのですがね。情熱的な私にはちょうどいい、妄想の役に立つ良き例です-これ、かなり危険ですが(笑)。

ご興味があれば、以下、ナンシーのミュージッククリップです。

http://www.youtube.com/watch?v=igMMnZ-KXAY

結婚式の設定。最初にベリーダンサーちらちら見えます。下に英語の翻訳出てますが、言ってることが、すごい・・・。この半端ないぶりっ子さ、脱帽です。だーかーらー、あんな純白ウェディングドレス引きずって森の中入っちゃって、汚くなるよぉ。

http://www.youtube.com/watch?v=m9Dv6oGiKMc

この曲、大好き。さびのところ、鳥肌が立ちます。良い男性相手、オーディションで選びましたね!婚約したにもかかわらず(少なくともレバノンでは婚約したら右手の薬指に指輪します)、気持ちは抑えられないのですね・・・。おぬし、化粧をしたまま寝てるのか?と突っ込みたくもなりますが。MajnounとはCrazyの意味。そうそう、私のレバノンでのトレーナー、イヤッドの親友のメークアップアーティストのマヤは、このビデオのナンシーの化粧をほどこしたそう。彼らの化粧センスは抜群です、と思うのは半分レバノン/アラブに同化した私だけ?

http://www.youtube.com/watch?v=EUG8IWPas_c

Ana Yali Hebakという曲。このリズム、アラビアンリズムの何者でもないでしょう。

http://www.youtube.com/watch?v=NnNXVPrkcfI&feature=related

Yay! 工事現場の彼、たまらなく良いですね~。ナンシーの気持ち、分かるわぁ。ん?レバノンではあんなバスは走ってないよね、と友達に言ったところ、ばかねぇ、ミュージッククリップなんて海外行って作ってんのよ、だって。そうか・・・。

ちなみに今回使ったナンシーの曲はこちら。Ah Wa Noss。私のFavoriteではないのですが、皆さん大好きです。Habibi Allah~Bussiu Bussibus♪

http://www.youtube.com/watch?v=X6m3GFtq2Lk

そして忘れず感謝の言葉。ナンシー、今日はありがとう。

2008年2月8日金曜日

うれしい訪問者

金曜日の朝、電話の音で目を覚ましました。

ハロー?(いい加減電話のハローぐらいフランス語で言ってみようよ)

すると驚いたことに相手は「もしもし」というではありませんか。

誰?まだぼんやりしている頭で可能な限りのシチュエーションを精一杯考えてみる・・・が、何も思いつかない。そういえば、親切に私の話を在アルジェリア日本大使館の人にお話してくれた人がいたっけ。大使館の人、3人ぐらいの名前は知ってるけど・・・。

男性の声でXXXと申します。聞いたことない名前。うーん、余計に分からん。よく聞いてみると、やっぱり大使館関係らしい。私なんかしでかした?と、とりあえず意味もなく自分を疑ってみる。お話を聞いてちょっと来てみました、とのこと。まあまあ、それはありがとうございます。でも私、今起きたばっかり。と思い返し、ちょっと支度にお時間頂いていいですか?と問うてみる。もちろんですとも、と快くご返答頂き30分後にロビーでお会いしました。

実はその数日前、Tassiliレストランで踊っていて、どうみても日本人だろうなという方をお見かけしました。アジア人でも、大体どの人がどの国の人かくらいそれなりに見分けをつけられる私。今回日本人だと断言できた極めつけは、その方がテーブルに置いていた日本語新聞でした。日本大使館の方が、そのうちおいでになりたいと言っていたことを先日日本のアルジェリア大使館でお会いした人に聞いたことを思い出した私は、ショーを終えてマネージャーから許可をもらった後、その人に近寄って聞いてみた。

「日本大使館の方ですか?」

「いえ、商社のものです。」

という予想外の答えが返ってきた。ははあぁ、失礼いたしました。またまたこの国にいる日本人は私と大使だけだと思い込んでいた自分(うそです、でもレバノンにいた時は結構本気でそう思ってました)。事情を説明し、その場を後にしましたが、ここは私、そこでも忘れず営業トーク、良かったらまたお越しくださいね。

その後1001Nuits踊った際にも、その方は一番前の席で観ていらっしゃいました。ベリーダンスをアルジェリアで踊る日本人に、どうやら興味を示していただけたようです(笑)。

ということで、今回大使館の方に私のお話をされたのは他でもない、この商社の方で、その日私は思いがけず楽しいひと時を過ごしました。

ロビーでお会いしたのは大使館の方(私が聞いている名前の方たちではなく別の方でしたが)お二人と、この商社の方。しばらくお話をして、ちょうどその日はお仕事もお休みということで、夕食を食べに連れていって下さりました。何かあったらいつでも連絡して下さいね、と温かく心強いお言葉いただいたんです。こんなうれしいことありませんよね。ありがとうございます!

連れていっていただいた、中華レストランです。この人はお店の人。

2008年2月7日木曜日

1001 Nuits ナイトクラブ その2

毎度お馴染み(?)1001 Nuitsでのことでございます。

昨日デビューショーを終えた2日目の今日はもちろん時間通りに入りました。

今日はエントランスの曲用にベールではなく、イシスウィング(プリーツが付いた大きい羽のようなもの)を使ったのですが、曲の途中で取り外した際、何故かスカートのすそに引っかかってしまったよう。こういう場合、踊りつつ、でも冷静にどこのほつれに絡まってるのか、見定めて大本を引き離します(物へのダメージは大きいですが、とりあえずそうするしかないんです・・・座り込んでほどく訳にもいかないし)。

ちょっと拍子抜けしたな、と思いながら踊るのは、少々よろしくない。ここは挽回せねば、などとつまらぬ競争心(誰との?)に駆られてみたりする。

どんなに疲れていても、さびしくても、悲しくても、怒っていても、熱があっても、花粉症でつらくても(幸いなことに最近症状はないですね。ただアルジェリアは杉花粉がひどいというお話を聞きました)、そしてもちろんうれしくても、楽しくても(この場合倍増)踊れる音楽(自分の好みの曲アラビアンはもとより他の曲でもOK)がかかればもともとノリが最高によくなる私(絶対どこか宇宙の血も混ざってると思ってるはず)は自分で選曲した踊れる曲集が、偶然さながら、いやいや、必然的に舞台上で流れていて、ノらない訳がない。

各テーブルを踊り渡るあちこちで、高いお台があればそこに立ってみる。レストランでそれをやったら注意されましたが、ここではそれも良かったよう。今夜も大盛況で終わったような気がします。と、たまには自画自賛してみる。

あまりにも踊りが激しかったせいか、途中で外れてしまった指輪とイシスウィングを回収して裏方へ。

するとまたまたマネージャーがやってきました。自分は5年ここで働いているけど、君のようなす素晴らしいダンスをするダンサーは初めてだ!とどっかで聞いたことがある(そう、昨日言ってた!)同じお褒めの言葉を頂きました。しかも今度はジェスチャー付で、彼のボスに今すぐクラブに私のダンスを見に来るよう電話までも入れたそう。それはそれは。恐れ入ります。昨日だってそう言われてもちろんうれしかったんですが、あまり真面目に信じていなかった私。でもこれはどうやら本物らしい。それでは今度はありがたくそのお気持ち、受け入れさせていただきます。そしてもちろんこれに甘んじることなく今後も精進してまいります。

アジア人

今の時期、本来ならアルジェリアでは冬に当たり、通常なら天候も曇り空が続くそう。けれどこの頃ほとんどの日は快晴で、ホテルが海に面しているということもあり、開けた空が見渡せます。


その日遅い朝食を済ませた私は、青い空を見渡しにいこうと海岸を目標に散歩に出かけました(といっても近いもんです)海に近づくにつれ、凧ののようなものが空に浮いているではありませんか。それがカイトサーフィンだと分かったのは、凧が動くスピードと同じぐらいの速さでボードに乗った人間が海の上をあっちに行ったりこっちに行ったりする姿が見えたとき。

その時思ったのが、またお馴染みの表現ですが、へー、アルジェリアでもカイトサーフィンする人がいるんだ、ということ。アルジェリアという国や人を、私はまだあまり理解していないようです。


しばらく海岸にいる人たちを眺めていると、こちらに向かってくる何人かはどうやらアジア系の人々のようです。おお、私の他にもアジア人、いるんだ。と、いつでもどこでもそこにいるアジア人は自分だけと思っているなんともずうずうしい私です。身なりから判断して、多分中国の人?今回もビンゴ。聞いたことがあるような無いような中国語らしい言語で会話しています。彼らも私に気付いたのか、私を横目にホテルに戻っていきました。ということは、カイトサーフィンをしているのは中国の人?遠路はるばる中国からわざわざアルジェリアにカイトサーフィンをしに?飛行機にあの器財一式を持ち込んで?などとどうでも良いことを想像してみる。


よく目を凝らして見てみると、カイトサーフィンをやっているのはどうやら中国の人ではないようです。でも ホテルに戻る際、こぞって外に出てくる中国人を見かけ、なんとも不思議な気分になる朝でした。 あとで聞いた話によると、週末になると、案外たくさんの中国人が滞在しにくるそう。中国の人たちって、どこに行ってもたくましい。

2008年2月6日水曜日

1001 Nuits ナイトクラブ

1001 Nuitsとは、フランス語で千夜一夜の意味。ナイトクラブと呼ばれるこの場所は、どちらかというと少しゆったりしたバーラウンジのようなところ。実際ホテルの案内ではピアノバーと書いてはありますが。
何故かとても質素な入り口です。

ここのナイトクラブでは、週末、要するに水曜日と木曜日にTassiliレストランの2ステージ後に踊ります。この日は1001 Nuitsにて、言ってみればデビューの日。場所の下見はしていたものの、事前に話した時間設定、マネージャーと私の間で誤解があったようです。レストランでの2ステージ目が終わって1001 Nuits用に準備中の私の部屋に電話がかかってきました。マリコ、遅刻してるよね、って。

お互いフランス語、英語をコミュニケーションツールとして得意とする私たち、電話で話しても埒が明かないので、とりあえずすぐ来てあとで説明して!だって。幸運なことにあと1時間あると思っていたわりには準備はほとんど出来ていた私、足早に1001 Nuitsに向かいました。

とにかく音楽の準備をしてすぐさまショーをスタートすることに。こういう場合、心の準備がなく出ていく精神状態とはどんなものなのでしょうね。あまりにも急すぎてその辺りの気持ちを把握することは出来ませんでしたが。

きちんとしたステージがある場所でのショーは最高です。1曲目はエントランスでステージいっぱいに。2曲目、3曲目はお客さんのテーブルを回ります。レバノン人のノリは把握していますが、果たしてアルジェリア人のノリは?レストランでの雰囲気とはまた違った中で、でも皆さん楽しんでくれたようです。

私がこの仕事をしていて一番うれしいと思う瞬間は、観ている人が楽しんだことが自分で実感できたとき、誰かに認められたとき、そして自分自身、達成感が感じられるショーをひとつひとつこなしたと思うとき。いつもその時出し切れるだけの力でパフォーマンスはしているつもりですが、人間なので、もちろん日によってはいまいちだったな、と思ったりする日もあるんです。

そして今日一番うれしかったのは、終わって裏方に入った私を追ってきてくれたクラブのマネージャーが言ってくれたこと。すごかったよ!今まで5年間ここで色んなダンサーを見てきたけど、君ほどすばらしいダンスをするダンサーは見たことがない!だそう。まあまあ。ほんとかしら。でもそんなに言ってもらえて正直すごくうれしかったんです。ただ、ひねくれているようですが、口では何とでも言えるから、少し様子を見てみようと思っています。もちろん本当だったとしてもこれに甘んじることなく精進しては参りますが。

イェメン

どこからここにたどり着いたのか、素晴らしい写真を見つけました。

http://www.imamiya.jp/hello/yemen/photograph06.htm

イェメンにも派遣先、あります。
そのせいかな?

いや、知り合いから神田うのがアバヤ姿でドバイから帰国したニュースを教えてくれたから。見てみようと思い、検索したところが始まりだったようです。

イェメンに派遣されていた別のダンサーの子の話。外国人でも皆スカーフを頭に巻かなければいけなく、すごくいやだったそう。ある意味、日本人の好奇心って、何に対しても旺盛で、結構好きかも。

2008年2月4日月曜日

特に何もなく

一日終わったと思った矢先、電話が鳴りました。なんだ、こんな時間に?音楽がうるさい?それとも、もしや私、今日週末じゃないと勘違いして3セット目のショーをすっぽかした???妙な焦りを伴いつつ恐る恐る受話器を上げる・・・

もしもし(いや、本来「もしもし」ではないのは皆さんご承知でしょう)

アー、ハロー。キャナイ・カム・トゥー・ユアー・ルーム?

は?

そっからフランス語でふにゃふにゃと続ける男性。フランス語分かる?(これは英語でした)って。わかんねーよ。

あの、誰?

って言っても全然通じない。懲りずにまだ続けてる。なんかわかんないけどノン、ノン。

そしたらまた。

キャナイ・カム・トゥー・ユアー・ルーム?

アホか。声には出さぬが相手に突っ込む私。だからノーだってば。

カム・トゥー・マイ・ルーム?

ノーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

またフランス語でへにゃへにゃ続ける男性。ため息。バーイ。

って、おい。

犯人はこれ!

受話器を置くなり大声で笑ってしまいました。ほんとにあるんだーこういうの。他のダンサーから似たり寄ったりの話は聞くし、レバノンで踊ってたときも色々あったけど、どの部屋に住んでるか分かってるってちょっと怖いかも。あ、でもご心配はご無用です、ちゃんとしたホテルだしマネージメントもしっかりしてるから。部屋にいるときは基本的に内鍵かけてますんで、ね。それにノーって言ったらそれ以上は押す人種じゃない、はずだから。いやーそれにしても面白い!本日締めのいいネタをご提供できてよかったです。
おまけ。私のお供。

パンツとまつ毛

毎ステージが終わると必ずすること。それは、パンツとまつ毛を洗うこと。

まつ毛?そう、目じりだけの付けまつ毛です。

世界中のダンサーが一挙に集まる私のエージェントでは、皆きれいなダンサーばかり。中には以前あのセクシー下着で名を挙げるVicotria's Secretのブラジル全土での専属モデルだったという子までいるんです!

そんな中でのアジア人といえば、残念ですがやはりどう頑張っても見劣りしてしまうもの・・・。みんな出てるところは出てますからね。もちろん皆ではないけれど、そんなプレッシャーの中、豊胸手術をしている子も普通にたくさんいます。

日本でも今まつ毛のエクステ、流行ってますよね。興味はあったものの、時間もお金もなく(ビンボー暇なし)駆けずり回っていた私のまつ毛は本物まつ毛。どこもかしこも今のところいたって自然体です。いつどこにシリコンを入れろといわれるか分かりませんが、それまでつけまつ毛で頑張ってみ、いや、粘ってみようと思っております。


洗ったあとの付けまつ毛。

パンツの写真も撮ったのですが、アップするのはやめときました。でもでもあくまで健全なパンツです(笑)。

2008年2月2日土曜日

お仕事2日め

今日は3時近くに起きました(はい、昼の3時です)。非常に常識はずれな時間でしたが、目覚ましなしで何時まで寝るかな、っていう実験的な意図もあったのです。

金曜日以外はTassiliというレストランで2セット踊ります。週末は、そのほかに1001Nuitsというクラブで1セット。初回は9時半、2回目は10時45分からなのですが、今日の1セット目が終わった控え室に、マネージャーが直々にやってきて私にたどたどしい英語で言ってくれました「良いよ!」って。うれしかったこと。

一度部屋に帰り、2セット目の用意を済ませてやってきた私に、今度はマネージャー、今お客さんいないんだよ・・・って。うーん、想定内ではあるけど本当にいないのね。1セット目で私何か悪いことした???すぐ不安になります。
2セット目前、控え室にて。余裕で自分の写真を撮ってる私。このときにはまだ誰もいないこと、知らされてません・・・。

誰もいないけど、5分ぐらい踊ってみる?まあ言われるとおりにしますとも。じゃあ、ってことで最初の曲だけかけてもらいました。やっぱり誰もいない。まあ従業員の人たちにサービスでプライベートショーってことで。そうしたらさっきいた3人グループのまだ子供だと思われる男の子が入ってきました。
スペースいっぱいに踊りを楽しんだ私。終わるとすぐさまその彼が私に近づいてきました。フランス語で話しかけるから迷わず私の得意技「フガンセ・ジュネセパー(フランス語わかんない←これ、文法的に間違いだそう)」。そうしたら彼からもまた、たどたどしい英語で話しかけられました。英語ではとっても難しい、でも一杯一緒にどうですか?ってあんたまだ子供じゃないんかい?私から見たらまだ10代に見えるんだけど。

でもみんな立派だね、英語を得意としなくても目標を達成するべくたどたどしくてもきちんと英語で会話しようとするんだもの!その精神に脱帽。そろそろ私もフガンセ・ジュネセパーから卒業しなければ。

2008年2月1日金曜日

Tassili レストラン

Tassili レストランは、金曜日以外、私が毎晩踊るところです。

レストランの入り口。


横着で申し訳ありませんが、以下、Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/タッシリ・ナジェール)からまるまる引用・・・

Tassili=タッシリ・ナジェールは、アルジェリア南東部、山脈。およそ500kmにわたり拡がっており、最高点は標高2158mの Adrar Afao(北緯25度10分、東経8度11分)である。最も近い町は山脈の南西約10kmにあるジャーネットである。
ここには糸杉が多く生い茂り、考古学的な景観も含んでいることから、「タッシリ・ナジェール国立公園」として国立公園生物圏保護区ラムサール条約登録地に指定されており、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

・・・そう。

その名のレストラン。
ちなみに床はタイル張りで、ダンスシューズ使用にはどうかなと思ったりしてみる。

ステージ側から撮ったレストランの写真。

おお、タブレ(Tableh)が!

初日は土曜日、要するに一般的に考える月曜日だということで、あまり人も大勢いませんでしたが、お仕事なのでとにかく踊るしかないのです。これなら新宿のハサンさんのトルコレストラン、ボスボラスハサンのほうが盛況である、と、思ったりもしてみる。1セット目は午後9時半、2セット目は10時半からです。


私の部屋は、レストランの裏口から一番近くの部屋。所要歩数を数えてみたところ、ドアツーステージまでおおよそ39歩!いいのか、こんなに「通勤」に便利な「職場」で!

1セット目と2セット目の間は着替えの為一度部屋に戻ります。普段東京でレストランやイベントのショーなどで目的地に向かうまでは、やはり公共の交通手段に頼らざるを得ませんよね。少しでも電車が遅れると気をやきもきしたりしてしまいますが、ここならその辺りのストレスはないな、とあまりの利便性に関心。

2セット目は多少の入れ替わりがあり、別のお客さんも入っているなか、初日のお仕事を終えました。観ている人の反応でなんとなく分かると思っているのですが、手ごたえは・・・悪くなかったのでは?でもこの辺りの感覚ってやっぱり客観的に見ている誰かに率直な意見を言ってもらわないと、何年たっても不安ですね。初心忘るべからずってやつです。

地震

朝10時ぐらいだったはず。
ベッドが、部屋全体が、揺れていました。どうやら地震のようです。

アルジェリアでも地震があるんだ、と思いつつ、眠い体を起こして小学校で習った地震のときの「決まりごと」を実行すべきかせずべきか。果たしてアルジェリアてっとこの地震は大きいのだろうか。窓ぐらいは開けるべき?と頭では考えはするのですが、いいやー眠いから、と眠りに戻る始末。どうやらそのうち止まったようですが、地震大国の日本で地震を経験していなかったら大体地面が揺れるなんて結構びっくりすることですよね。

起床後用事があってフロントの人と話をしたときのこと。
今朝の地震感じた?もちろん。あなた、日本から地震も一緒に持ってきたんでしょう?って、またですか。嵐とか地震とか。ここは笑ってそうそう、私が犯人です。

ここでは体感する地震はほとんど起きないそうですが、稀に2年に1度ほど、このような地震があり、また20年に1度ぐらいの頻度で大きな地震が起きているそうです。

何度もメールのやり取りはしていたのですが、3時にミーティングということで、初めてF&B(略してフード&ベバレッジ)の総合マネージャーとお顔合わせをしました。とてもきちんとした方で、ちょっと安心しました。なんでも質問があれば聞いてね、って。話しているうちに分かったことは、彼はフランス人だということ。なるほど。やっぱり外国人か。場所の説明、用紙の記入方等詳しく説明してくれました。明日からよろしく!と。以前レバノンで踊っていた際は、全てを手探り状態でやっていたもので、マネージメントの違いでここまでやり方に差があるのか、と軽く驚いております。

その後の朝食、いや、昼食、もしくは早めの夕食のあと、外に出てみました。

ホテルの裏側(海側)からの外観。

浜辺。東側。

浜辺。西側

夕日。
そして皆よくやるやつ↓

しまった、そういえば私の名前はASYAだった・・・。新たにASYAバージョンで書いてみる。

そんなこんなで遅起きした私の一日はとても短いものでした。