2008年6月28日土曜日
愛の告白
彼女は9歳、名前はノーラ。アルジェリア人の女の子。
レストランがプールサイドのテラスに移動してからよくお母さんと3歳の妹ラビナ(違うかも・・・確認します)、おばさん(だと思われる)とお手伝いさん(違うかな)と一緒にレストランに来てくれる。お母さんは豊満で、よくこんな細い子が生まれたな、と感心するばかりなのだが、皆、きれいな顔立ちをしている。
初めて彼女たちを見かけたその日は、大入りのレストラン。踊りだした私を意識してか、3歳のラビナはわざと私に背を向けて見ないようにしてる。座っている椅子から、地面に届くはずのない両足を投げ出してわざとそっぽを向いてみせる。そんな意地らしい姿を見て、なんだかおかしくなった私は、それを見て笑っているお母さんと目を合わせると、ラビナがそっぽを向いているその先に行き、彼女のために踊ってあげる。泣き出すかな、と思ったけれど、彼女、すごく興味を示しだす。他のテーブルも回らなきゃいけないのに、何故かそこで気持ち長めに踊ってしまう私。可愛い子って、得よね。そして次のテーブルに移る前にはラビナとノーラにとっておきの投げキッス。
その後、何度も見かけることになる彼女たち。
翌日の夜、ショー用のお化粧を施して、アバヤの下は衣装をまとい、テラスのタッシリレストランに向かう途中の私、建物から外に出る扉の手前でホテルの従業員の一人が教えてくれる。誰かがあなたを探してたわよ、って。私を探す?誰だろうと思って開けた扉の向こうにはお母さんに手を繋がれた小さなラビナ。待ち伏せか!
お母さんは英語が分かるよう。どうやらラビナがどうしても私に会いたかったらしい。
今日この子、一日中「ウェア・イズ・マヒコ(マリコを上手く言えないらしい)」って言ってたのよ、だって。
なんて可愛いんだ。思わず笑みがこぼれる。昨日はあんなにそっけない態度を取ってたくせに!
その日はレストランでの食事はしないようだったけれど、後から現れたノーラと3人、プールサイドの椅子に腰掛けて、私の踊りを観ていったよう。
そしてその後何度となく昼間私の姿を見かけると、必ず挨拶に来てくれる可愛い姉妹。言葉は分からないけど、頬にキスもしてくれる。
そんな彼女たちを見かけなくなって数日。
そういえば何日か前にシェラトンを出るって言ってたな、と思い出す。でもまた戻ってくるって。
早。もう戻ったって事かな?とブランコから降りて、私に近づいてくる小さな女の子を見かけるや思う私。そして「元気?」と問う私ににっこり笑顔でうなずくノーラ。
私もフランス語が出来るわけじゃないから、お話したくてもしようがない。
でもノーラは、なんだか話たがっている様子。ちょっとだけもじもじしているその子の目線に合わすよう、腰をかがめて聞いてみた。「ウシノォ?(なあに?)」って。
そうしたら彼女、ちょっと恥ずかしそうに「I love you」って。
そんな、愛の告白を・・・。
それなら私も「I love you too」。そして付け足す「ビゼェフ(いっぱい)」と。
小さい女の子は百発百中。みんな私の虜になる(笑)。モテてモテてしょうがない、MMKってやつですか。小さい女の子にモテてもあまり将来性はないのだけど。まあいいか。愛は確かめ合ったし、大きくなったら(私が。笑)ノーラと結婚しようかしら。
2008年6月23日月曜日
遠くなる職場、長くなる勤務時間
・・・遠い(笑)。
勤務時間延長。
2008年6月20日金曜日
ナンシーや、ああナンシーや、ナンシーや
こぼれ落ちそうなほどパンパンな頬っぺた。
こぶしをきかせた歌唱力が実に魅力的なアラブ圏を代表するレバノン人人気女性歌手。
と言ったらもう知る人ぞ知る、Nancy Ajram(ナンシー・アジュラム)しかいないでしょう。
http://www.nancyajramonline.com/ (オフィシャルウェブサイト)
1983年5月16日、レバノンのキリスト教地区Ashrafiyehに生まれる。
12歳で参加したレバノンのテレビ局が開催したミュージカルコンテストNoujoum Al MostakbalのTarab部門で金賞。その後、レバノンで音楽の第一人者の指導者たちの下、ヴォーカル、音楽論を勉強。才能が認められ、18歳という年齢に達していないながらも、レバノンプロアーティストたちのシンジケートに認められ、アーティストの位置を確立、1998年に初のアルバムをリリース。
以前ナンシーのことには触れたけれども、改めて彼女の歌の有名どころのおさらいしておくことにする。
彼女を一躍アラブ界のスターダムに伸し上げたヒット曲「Ah Wa Noss(つづりはところによって、ひとによってまちまち・・・英語題にするとYes, and a half)」は2004年に4つ目のアルバムとしてリリース。
http://www.youtube.com/watch?v=nkFYw6v9VeQ
このアルバム、Ah Wa Noss が500万枚以上売り上げたことに関し、とある音楽雑誌の原田尊志さんのコラムから引用。
「少なからず海賊版が出回る地域もあるだろうアラブ圏において、オフィシャルでこの数字を売り上げたというからすごい人気だ」、と。確かに、レバノンももちろん多いけれど、アルジェリアで本物CDを置いているお店を見たことが・・・ない。
その後"Lawn Ouyounak" (The Color of Your Eyes)のミュージッククリップを作成。
http://www.youtube.com/watch?v=5XCElzsff-4&feature=related
2005年に近づいた頃、ナンシーは北アフリカを含むアラブ圏と中東において、コカ・コーラのセレブスポンサー兼スポークスパーソンとなり、‘Oul Tany Kida’(Say That Again?)が最初のコカコーラ宣伝用の曲として使用される。
http://www.youtube.com/watch?v=TauU6w3Xz-s&feature=related
2005年後期には‘Inta Eih’(What Are You?)。
http://www.youtube.com/watch?v=jwlztf-XuOY
2006年にリリースされた5つ目のアルバム、Ya Tabtab...Wa Dallaaは、Virgin MegaStoreのリテールリサーチによると、世界中で2,200万枚を売り上げ。
収録された11曲のうち、6曲にはミュージッククリップが作られ、9曲はラジオでヒット曲となり、2曲はコカ・コーラ、また他の2曲は宝石の宣伝用に使用される。通常、アラブ圏の芸能中心地のエジプトでヒット曲を生み出すため、カイロ方言のアラビア語で歌うそうだが、‘Ehsas Jdeed’、‘Ana Yalli’ 、‘Law Dallalouni’の3曲は、レバノン方言のアラビア語で歌われているそう。
ナンシーふんするお金持ちのお嬢様が、父親が選んだお金持ちのフィアンセより、耳が聞こえなく、しゃべることも出来ない障害者の男性と恋に落ちるという歌、‘Ehsas Jdeed(A New Feeling)’はアラブ各国で、10週以上、チャート1位の座を守り続けたそう。ちなみにレバノンでは12週連続でトップ1だったたとか。・・・納得。でも私はこのビデオ、何度も何度も見すぎて、もう見飽きてしまいました。
http://www.youtube.com/watch?v=VGbnm42vs_g
‘Ana Yalli’(I'm the One)
http://www.youtube.com/watch?v=3_1OL9CY88s
Shakhbat Shakhabitは、2007年にリリース。このアルバムの写真のナンシーが、腹巻をしてスカートをはいているように見えるのは私だけでしょうか・・・。でもこの曲、大人もみな口ずさんでました。時、ちょうどレバノンで踊っていた頃。私の耳にこの曲が入ることは多かった・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=uc9nUi2IMQs
前置きが長くなり何が本題だか分からなくなったところで、さて今日のお題。
上で散々説明されたナンシー、実は今日、うちにやってくることになっていた。事情のわからない方用に、上の文章を訳すと、以下のようになる。
「本日6月20日に、ここアルジェのシェラトンホテルで、Nancy Ajram(ナンシー・アジュラム)のコンサートが催されることになっていた。」
なっていた・・・というのは、そう、その待望のコンサートが、実はキャンセルされてしまったから。
彼女のコンサートがここシェラトンホテルで開催されるという情報は、1ヶ月ほど前、独自のネットワーク(?)で入手した。さて、これは一大事。と言ってもその日を待ち遠しく思うだけで、だからって特にどうすることもない。そのうちホテルのエントランスにでかでかとNancy Ajram Live in Concert! なんて宣伝が出るんだろうな、と意味もなく誇らしく思い続けて早数週間。事情を知っていそうな人の話によると、どうやらドタキャンのようなニュアンスがある。
これだからアラブ人は。
実はここシェラトンホテル、今までにもかなりビッグなアラブ(だけではなく)のアーティストたちを呼んでいるらしい。
Nawal Al Zoghbi(レバノン人女性歌手)
Diana Haddad(レバノン人女性歌手)
Majida El Roumi(レバノン人女性歌手)
Tamer Hosny(エジプト人男性歌手)
Ragheb Alama(レバノン人男性歌手)
Asi El Halanya()
Shola Ama(イギリス人女性歌手)
Jimmy Cliff(ジャマイカ人男性レゲエ歌手)
Imagination()
Asala Nasri(シリア人女性歌手)
Khaled(アルジェリア人ライ音楽男性歌手)
Cheb Mami(アルジェリア人ライ音楽男性歌手)
と、リストは続く・・・
ちなみに、Nancy Ajramが八代亜紀似とはよく言ったものである。
2008年6月13日金曜日
君の名は
ブログ上や日本ではASYA(アシア)と名乗ってはいるけれど、ここでは間違いなく本名のマリコ。
レバノンで、ASYAというダンサー名を命名してもらったにも関わらず、エージェントだってそれを知ってるくせに、私をプレゼンするときは、いつでもマリコ。どこでも、マリコ。去年レバノンのホテルで歌っていたミュージシャンが若干一名、気が向いたときに歌の合間に私をAYSAと呼んでいたのを除いて、誰一人私をASYAを呼ぶ人はいない。ということで、実際は私はASYAとは呼ばれ慣れてはいなかったりもする。
でもまあ、なまじ変にアラビアン名を名乗るより、日本人なんだからジャパニーズ名で通す方が逆によいのかもしれない、と思ったりもする今日この頃。実際その方が人目を引いた例もいくつかあるのだから。
さて、この私のマリコという名前、そんなに難しくないだろうと思うところだが、人によって呼び方がまちまち。
先日、スタッフ用の階段を上がっていた私の耳に掛け声とも思える声がした。一瞬立ち止まって私を呼んでいるのかと耳を澄ますがそうではないよう。だって「オレンジジュース!」と言っているのだから。
オレンジジュース!オレンジジュース!!
果たしてその声は止むことなく近づいてくる。
without ice!!(氷なしで)
これには聞き覚えが。確かに私はここに来てから毎日欠かさずフレッシュオレンジジュースを飲んでいる。そして氷なしで・・・。そう、アルジェリアのオレンジは、季節のものは以外にもとてもおいしいのです。
振り向くと、ウエイトレスの女の子が2人、やっぱり私を呼んでいたよう。でもオレンジジュースってどうよ・・・。
私の名前はマリコ!
こちらはフランス人。マダム=ミセス。確かに、フランス語ではマダムという言葉の方が丁寧が故、ホテルなんかでは、ミスの女性にも皆マダムという。それは分かっている。分かってはいるけれど、「Mrs. Mariko」って呼ばれるたびに戸惑う私。だからまだ未婚なんですってば。しかもミセス・マリコってどういうこと?マリコはファーストネームでしょ。ほんっとに曖昧なんだから。
これまたふと気付いたこと。もうずっと長い間私をマロッコと呼んでいる人数名。
だから、マリコなんだってば、と言いたくても、まあ近いからいいか、と投げやりな私。
アルジェリアの隣国のモロッコに発音が近くて、マロッコになってしまうのかな、と思いつつ余裕の対応をかましてはいたものの、よく聞いてみると、なんかおかしい。実はこのアルジェリアでも日本のアニメ漫画は出回っているそう。「チビまるこちゃん」は特に人気らしく、知らない人はいないくらい。そう、私の名前は、「チビまるこちゃん」がおかしくなった形、アルジェリア人の発音でマロッコ・・・。なるほど、そういうことなのね。
っていうか私の名前はマリコですってば。
結論。とにかく、ASYA(アシア)=マリコ。
同一人物だってことを認識してもらえれば、それで良いこととする。
ベリーダンサー・ASYA=ベリーダンサー・MARIKO。
2008年6月10日火曜日
痩せる秘訣
今も昔もダイエット。
万国共通ダイエット。
年を重ねるとそれだけ体に脂肪が蓄積されやすくなるのだとは思うのだけれど、日本の若い女性の言うダイエットは、少しやりすぎのような気もする。あそこまでガリガリにならなくても、本来女性が持つ曲線美を生かす方法だってあるだろうに。
さて、ダイエットとは程遠く、食べ過ぎ気味のかくゆう私は、先日、軽い食中毒に見舞われた。
食べ過ぎ、食べた物、寝冷え、精神的な何か(これ、間違いなくないでしょう)、理由は謎。何が食中毒を招いたのかは分からないにしても、幸いだったのが、症状が過去に経験した食中毒ほどではなかったこと。
何も食べずに生活し、お腹を干すことほぼ丸2日。この間のショーは、気力でこなす(涙)。薬を服用して、お医者さんにかかるほどではなかったものの、おかげで保っていた体系が気持ち少し痩せてしまったよう。
食中毒といえば、2、3年ほど前のトルコで起きた出来事。
季節は夏。
トルコ料理はおいしいのだけれど、油っこいものが多いのも確か。とてもとても手の込んでいるお料理も山ほどあります。ことの発端は、道端で売っているメディエドルマ(midye dolması)というムール貝の外套膜の中にご飯を詰めたものを発見してしまったから。こちらのお料理もとても手が込んでいる割に、5つで1リラ(100円弱)と大変お求め安く(テレビショッピングか・・)、その日もメディエドルマをお盆一杯に並べたお兄さんを見かけた私と友達3人、一人1つずつ頬張ることにした。
そして、その夜、悲劇はやってきた。今まで食中毒なんてやってことがなかった私は、意味の分からない激痛に見舞われ、それが食中毒だと気付かないまま、脂汗をたらしながらその夜を過ごすことに。が、よく考えたらそれは食中毒、心当たりは、・・・メディエドルマ。翌日も痛みが減ることはなく、急遽病院に向かうことに。
向かう先はとりあえず一番近くの病院。保険もおりるはず、と、こういう時に病院を選んでいる暇はない(本当は選ぶべきだったのかも知れないが、それは後で分かる秘め事)。プライベートの病院へ足を踏み入れる。
症状を訴え、受付を済ませ、座っているところに呼ばれる名前。ある部屋に通される。
はーい、とりあえず採血ね。
ってなんで?
とは思いつつもなぜだかを問いただす気力もない。
採血後、「歩けるよ」の主張はことごとく却下、否応なしに車椅子に乗せられる。訳が分からん。
そして向かった先では採尿を言い渡される。
だからなんで?
と思いつつも、とにかくとにかく気力がない。
トルコではそうなのかと思い、言われるがままに。
そして次に通された先はレントゲン室。胸のレントゲンを撮られる。
???
これから産婦人科の先生にも診てもらうからね。と、超音波。
??????
この時点で謎が謎を呼ぶ。
だから、症状が食中毒だって言ってるの。何で採血とかレントゲンなの?超音波なんて関係ないでしょ?気力はないものの、点滴をうたれた、とんでもなく広範囲に内出血した腕(言うまでもなく注射が下手だから)から得ている栄養分とあるだけの集中力を用い、そう問いただす。
困った医者は、いや、間違った薬を処方するわけにはいかない、色々検査しとかないと、と言い張り、私の主張を退くようにその場を後にする。聞く耳持たず。
病室に寝かしつけられていた私、この辺りから不審に思い始める(遅いだろうが気付かないよりまし)。なぜこのような不必要な検査をいくつもしなければいけないのか・・・。
検査結果を言い渡すからちょっと、と表のカウンターに呼ばれた私はフラフラになりながらもそのカウンターに出向く。そして説明を始める医者。長々とした説明の中でハッと気付く私。
なんで病人の私がこんなところに立たたされて結果を聞かねばならぬ?しかも回りに人がいてプライバシーのかけらもないではないか。
そう思い始めたらどんどん腹が立つ。相手が私の主張を聞き入れようが入れまいが、そんなことはお構いなしに、全力抗議。あり得ない、こんなの。
それもそうだと考えを改めたのか、じゃあ、と看護婦、再度私を病室に寝かしつける。
そこへ再び現れる医者。今度は私の胸部レントゲンの写真を持って部屋に入るなり、小腸に何か影が見える。これは手術しないといけないから明日も病院に来るように、と説明もままならないのに何食わぬ顔で手術なんて言う。
頭にきた。
きちんと説明しろ!大体この影はなんだと思うの?どんな手術?私が訴えてる症状は全然聞き入れてもないじゃない。薬を処方するとか処方しないとか、そのためにはありとあらゆる検査が必要だとか。どう考えても必要ない検査してるよね?人をおちょくるのもいい加減になさい。
私が問いただすと「落ち着いて」のジェスチャー。
落ち着けるか!
そろそろと私の質問に答え始める医者。でもその説明も私が聞かなきゃ何も言っちゃあくれない。質問は延々と続く中、電話の着信音が・・・
私を横目に医者が私に軽くジェスチャー。ちょっとごめんね。って診察中に電話に出るんかい?
でも、病院内で緊急の呼び出しなのかも知れない。確かに私は今死ぬとか死なないとかのレベルじゃない。多少の我慢は出来る、と寛大に許してやった私。次に耳に入った言葉は以下。
「アロ、ババ?」(もしもし、お父さん?)
「今日の夕食はね・・・」、と続く。
ふざけんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
もう二度とその病院に戻ることはなく、自力で治しました。
この際、間違いなく1、2キロは落ち痩せたはず。結論。そう。痩せたい場合には、食中毒になってありえない病院にかかること。
これ、悪い冗談。
ちなみに一緒にメディエドルマを食べた他3人、全く問題なかったそうです。
2008年6月5日木曜日
小さなお客さま
構成は、おそらく以下のようだと思われる。
お父さん。
お父さんの友達。
お母さん。
長女。
次女。
長男。
伯母さん。
まだ若い叔父さん。
普段エントランスの曲(最初の曲)はその曲全てをダンスフロアにて踊り切り、その後の曲は、人がいるテーブルを踊りながら練り歩く私。その日、前方にある他のテーブルは埋まっていなかった関係で、私の最初のデスティネーションは、必然的にその家族連れのテーブルとなった。踊りながら1つ確実に気が付いたことは、長女と次女、おまけに長男がじーーーーーっと私を見ていること。私の予想だと、長女7歳、次女4歳、長男3歳ぐらい。踊りながら投げキッスをすると、照れながらもとてもうれしそうに微笑み返す可愛い姉妹弟(「きょうだい」とお読みください)。
その日の2セット目も、その姉妹弟は同じようにじーーーーーっと凝視。帰り際の私の投げキッスに今度は長女と次女も負けじと投げキッス。その日はそれで一日が終了したのだが・・・
翌日。
エントランスの曲に合わせて登場した私の目の前には、「え、デジャヴゥー?」と思わせるほど前日と同じ配置で、同じ家族が同じテーブルにてお食事をしているではありませんか。
そして私自身、デジャヴゥーを支持するがごとく、この日も前日と同じように踊り、投げキッスをし、去っていったのですが・・・
また翌日。
エントランスの曲に合わせて調子よく登場した私の目に・・・ちょっと待て!デジャヴゥーのデジャヴゥー?前日、前々日と同じ配置で同じ家族がまた同じテーブルでお食事をしている。一瞬とても不思議な気分にさせられたのだけれど、この日違ったことは、この女の子2人があまりにも熱中して観ているため、ちょっと試しに誘ってみた。もしかしたらずっとこの時を待っていたのかも。2人は未だ恥ずかしながらも誘いに乗って、一緒に踊りだすことに。
この日から始まった、一緒に踊る暗黙の了解は、次の4日間、裏切られることなく毎晩続いたのです。
さすがに毎晩アルジェリア料理も飽きたのか、翌日からは食事はしないにせよ、私が踊る時間帯には皆で決まってお茶を飲む小さなKhaima(アラビア語でテントという意味)風のセクションで食後のひと時を過ごしているよう。そこからステージ全体を見渡すことは難しいらしく、音楽が聞こえだすと、その姉妹はテーブルの合間を縫って、その小さな身で、乗り出すようにその場に立ち尽くすのです。もちろん私が近づけば、その時のために用意したヒップスカーフを腰につけて、一緒に腰を動かすほど用意周到。
週が開けたその後、その家族を見かけなくはなったものの、彼女たちが率先して家族を連れてきていたに違いない。言うなれば、小さなリピーター。こういう人たちが今の私をサポートしているのだと、改めて実感。
そういえばレバノンで踊っていた時も、日曜日の午後は家族連れが大勢いるホテルのアウトドアレストラン(真夏なのでくそ暑い!)で延々と踊っている間中、携帯電話片手に(画像を取るためでしょう)子供という子供が金魚のふんのように踊りながらテーブルを回る私の後をついてきていたな、と思い出す。どこに行っても子供受け?
誰だったとしても気に入られるのはうれしいもの。
数日後、成り行きでマネージャーから聞いたうれしい知らせ。私がシェラトンで踊り始めてから、レストランの収益がとてもよくなったそう。そしてそれが私の契約延長の理由、と。
そうか。契約延長の理由が根回しでもゴマすりの結果でもなくて良かった・・・とホッと胸を撫で下ろす。
誤解のないよう申しておきますが、あくまで上記のようなことは一切行っておりません(笑)。
2008年6月3日火曜日
衣装 その2
私は、ベリーダンスの衣装において、以下の3つの点を重要視する。
まず、軽量だということ。
そして、基盤がツーピースだということ(上と下を何らかのアクセサリーや布等の付属品で後付でつなぐ分にはOK)。
言わずと知れて、体にフィットしていて、着心地の良いものであること。
そして欲を入れて4つ目の話をすると、斬新でユニークなデザインだということ。
・・・と書きつつ3つではなくて4つの点が重視され、斬新でユニークなデザインだという点は最初に来るべきものかもしれないと、改めて思う。
まず重さ。本物スワロフスキーが衣装全体にちりばめられている衣装は、とてもとても魅力的。が、このスワロフスキー、使いようによっては衣装をとても重くしてしまう恐れがあるのです。基本的に光物が好きな私は、スワロフスキーの石があちこちに光るデザインの衣装は惹かれるところ満載。ちなみに光物と言えば、しめ鯖や鯖の味噌煮も大好き。
1つの短いショーではあまり関係ないのですが、一晩に50分のショーを(もちろん一人で)ステージ一杯に踊らなければいけないとなると、衣装の重さは重要になってくる要素のうちのひとつ。優に1,2キロもある重さの衣装は出来れば遠慮したいのが本音どころ。思い衣装を身につけている分、余分なスタミナを使ってしまうことになるから。
ここでのショーは長時間が1セットではなく、いくつかのショーの合間で時間が開くので、多少の休息は取れるものの、3つ目のセットになると、気のせいだか気持ち軽めの衣装を選択すること多し。
勿論、派遣先を移動する際に飛行機を使うとなると、重い衣装をいくつも抱えていたらすぐにキロオーバーしてしまうのも確かな事実。実は私服がほとんどないのは前にも申した通り。着たきりすずめです。
今後も膨大な数に増えていくのではないかと思われる衣装コレクション、これからは軽さ重視されることでしょう。
ツーピースの衣装とは、上下セパレーツのものを指しますが、それに対し、もちろんワンピース衣装なんてものもあります。もちろんデザインによりますが、こちらも、新鮮で魅力的。が、私の場合勢いで購入したワンピースものは、使う頻度があまりにも少なくなっている関係で実は只今はさみを入れている最中なのでございます。というのもワンピースものは激しい踊りをするが故か、上下がくっついてしまっていることが私にとってはとても不便。私の場合、動きが制限されてしまうのも事実だし、体の動きも、布で覆われている分分かりにくくなってしまうのも事実。こんなとき、もう少しお尻が大きかったらなんて思ってみたりもする(十分か・・・)。
そして体に合ったもの。とても基本的なことなのですが、持っている衣装のいくつかはフィッティング率(そんな率聞いたことがないのは今私が造ったから)70%なんてものも。だからそんな衣装は、いくらデザインが素敵なものでもいつしかあまり着なくなってしまった衣装になる、なんて恐れも。そんな時は自分で手直しするのですが、やっぱり購入するに当たり、作り手売り手がいて、そこから直接購入する場合は、まあこんなものかな、なんて妥協はせずに、体にフィットするまで何度でも補整を行ってもらうこと。これ、教訓です。
細かい作業が案外好きな私、以前は自分で衣装を作ったりもしていたものの、作業が遅い故、年間通じて1着2着、悪いときには2年に1着出来るか出来ないかなんて時も。でもやっぱりとりあえず衣装作りはプロに任せて今は現役続行、本業に腰を入れようと自分と相談。こういう経験が、ゆくゆく衣装を手がける際の役に立ちそうかも、と秘かに思うのです。
余談ですが、エジプトの有名どころの衣装屋さんの1つ、とあるデザイナーは、エジプト人のおばさん!って感じですが、狭い世界、彼女も以前私と同じエージェントに所属しつつ中東でベリーダンサーとして働いていたそう。彼女の衣装はダンサー経験を通じてからか、軽量でデザインもユニークでお洒落、お気に入りの衣装やさんの1つです。そのうちASYAの選んだセレクト衣装ショップを立ち上げることになるでしょう(宣伝がてら、あしからず)。インシャッラー。
