2009年2月19日木曜日
ブログ移転
ベリーダンサーASYAのブログは、名前を変えて、移転することになりました。
http://blog.goo.ne.jp/bellydancer_asya/
名付けて、「ベリーダンサーASYA ☆ オフィシャルブログ」。
今までの「超奮闘日記」の「超」を取って、奮闘日記としましたのでこちらをご覧下さい。
(要するに超奮闘はする必要がなくなったのか?!それは読んでのお楽しみ)
新しいサイトのURLはこちら ↓
http://blog.goo.ne.jp/bellydancer_asya/
シンプルでいいのだけれど、bloggerはどうもあまりファンクションがなく、私には使いこなせなかったのが大きいかも。けれど特に削除することもありませんので、もしかしたら裏事情をこっちに書く、なんてことも?・・・
これからもよろしくお願いいたします。
ASYA
2009年2月7日土曜日
春来たる?
が、今シーズンの冬は雨が非常に多く、空はいつもどんよりグレー、晴れたかな?と思ってもまたすぐに悪天候に早変わり。先月なんかは風がとっても強く、風向きによっては歩くのさえ難しかったりも。聞く話によると、こんなに雨が多くて悪天候な冬は、50年来とのこと。こんな珍しい体験が出来るなんてなんてラッキー(笑)。
暴風で、海岸沿いの近くには近づかないように、なんてサインが出してある日も続く。建物の近くで強風と雨しのぎしている猫のミッキーを見ると不憫に思い、自分のご飯をちょっと残してあげてみたり、そんな日が続くこと数週間。
かと思えば外出からの帰り道、気付くと目前に広がる黄色い花の野原一面。前方には桜の花をつけた木々が立ち並んでいる、なんて光景も。ここ最近のアルジェには、本来の青く澄みわる空が広がり暖かく、今までの天気はなんだったのだろうと思わせるほどの陽気。
ここでもやっぱりあるんだ、それなりな冬。と思っていたけれど、いつの間にか季節は移り変わっていたのね。ってことは、え?2月初旬ですけど、もう、春なんですか?
早いよアルジェリア。
2009年2月1日日曜日
職業病
例えばヘッドスピン(head spin)/ヘッド・ターン(head turn)。
ブレイクダンスでいう頭を地面につけて、体を回す動き
・・・ではない(幸いながらに)。
が、私達の言うヘッドスピンは、踊りの一貫でターンをする際、首を使って頭を回す動き。
立っているなり、膝立ちをしているなりの動かないポジションで、髪の毛を振りかざすような動きも含まれる。
首を軸に、頭のてっぺんで大きく弧を描く、いわば頭を倒した状態で一回転するような光景を思い描いていただきたい。
その速さは様々で、ターンに合わせた回し方もあれば、ターンの倍の速さであったりと、時々(基本的には音楽で)で変える。
そしてバック・リーン(back lean)。
これは立った状態から体を後ろに反らす技。
曲げ方が深ければ深いほどツライし、長ければ長いほどツライ。
そしてその状態で腕や手先を優雅に操るという、ある意味見せ所。
でも、となると顔も上下が逆になり、時と場合によっては頭に血が上り、顔を赤らめてしまったりして。
またはバック・リーンの状態から膝を曲げて、床にそのまま仰向けに落ちるという動きも求められる。
ご存知の方、この動きはレイチェル・ブライス(Rachel Brice)を思い出していただきたい。
その他に湾岸諸国でよく見られ、私達にとって、マストな動きのターキッシュドロップ。
呼び方は色々あるのかもしれませんが、私が知っている限りでの名前はターキッシュドロップ。
何故ターキッシュかは聞かれても困るのだけど(多分トルコでやっていたのでしょう)、こちらは立っている状態から軽くジャンプをし、膝を曲げた仰向けの状態で、床に落ちる、という動き。下手をすれば膝の内側にあざを作るということだって普通にある。
これらの動き、どれをとっても人間の構造上、通常しない、どう考えても体に負担がかかるものばかり。
さて、この中で前々から気になるのがヘッドスピン。ここではさほど必須ではないものの、やはり音楽がかかるとそれなりの動きをしてしまう。忘れるぐらい前から、気付けば首がボキボキ鳴る。踊っていないときにも、ちょっと首を休めようと頭を片側に傾けるとボキッ。ええっ!と思い反対側に傾けるとボキッ。近くにいる人にまで音が聞こえるぐらい。
一度は病院行きも考えたものの、しばらく首に負担を掛けない踊り方をすること2週間ほど。とりあえずは大事には至っていないけれど、老後はリウマチに苦しむのかしら、と思いつつも加減を知らないバカがいる・・・。
* ベリーダンスの動きは(特にモダンなものは)、ダンサーや国、指導者によって呼び方が違ったりもするのでご留意を。
2009年1月30日金曜日
Caramel レバノン映画
1年半も経った今、どうにかして観る事が出来る手段があるはず、と思い疑わずの検索。たどり着いたのはなんと日本で1月31日からロードショーになるとの記事。
レバノン映画が日本で全国規模でロードショーとして放映されるとあれば、よほどのことなのは確か。
美人の多いレバノン。
美には惜しみなく時間もお金も掛けるレバノン人女性(余談ですが、美容整形にかかる費用のローンがあるらしい・・・世の中そんなのレバノンだけ)。
そんな国のビューティーサロンで繰り広げられる5人の女性達のそれぞれの人間関係を追う、いわゆるレバノンでの日常?を描いた映画。レバノンを全く知らない人でも、少しでもレバノンという国を、文化を、人を垣間見れると私は思って期待している、そんな作品。
この作品は、2006年7月、イスラエルがレバノン侵攻を始めた9日前に撮影を終えたもの。
初めてレバノンに行ったその年、レバノンを発って数日後、イスラエルのレバノン侵攻が始まった知らせを受けて、ただただ信じられなかったことを思い出す。
ミュージックビデオの監督としてすでの良く知られている、この映画の女性監督Nadine Labaki(映画の主役でもある)はそんな状況下、自国が戦火に飲み込まれている現状に背を向けた、軽すぎる作品を作ってしまったのかと罪深く思ったそう。それでもレバノンの日常、既に危険とレッテルを貼られてしまっているレバノンの、戦争とは別の題材に焦点を当てることで、戦争に対する彼女なりの小さな抵抗だと考えるようにしたと言う。
結局私、まだ観れてないんですけどね。
悔しいから英語なり日本語なり翻訳なしのオリジナルアラビックバージョンを観てやろうかとひそかに思う。
ご興味のある方、是非映画館に足を運んでみては?
レバノン、my love。
2009年1月26日月曜日
アフリカの母
アフリカは、タンザニアからやって来た。
ここアルジェリアには早5年間もの滞在。
旦那さん(ホテル職員)の仕事の都合でやってきたその彼女。
私が彼女と知り合ったきっかけは、去年11月に一緒にフランス語のクラスに行き始めるようになったから。
タンザニアではスワヒリ語、英語を公用語として話す。
すなわち日本人同様(私ね)、フランス語には馴染みがない国民なのである。
要するにここアルジェリアのフランス語の教室で日本人とタンザニア人が同席するのは半ば必然的?でもある。
さてこの彼女、定期的に会い始めてから何度目かに、ふと、ぎこちない人だな、と思ったことがある。それまでそれに気付かない人(私)もどうかと思うけれど、もう1人一緒にフランス語の教室に通うフィリピン人マダム(と言っても私より年下)から聞いたところによると、アナは、何年か前から半身不随になり、今でも体の右側はほとんど言うことをきかない状態らしい。と言うより、言われるまで気付かない私、いつからこんなに鈍くなったんだ?とも思う。が、気付かなかったひとつの理由として考えられるのは、アナのパワーにある。
英語を話すといっても、やはり国語はスワヒリ語、発音も含め母国語ではない彼女の英語は非常に分かりずらい。文法もめちゃくちゃで、言葉も適当なものが思い浮かばないから、同じことをトーンを変えて繰り返す。そう、絶対に聞き手が首を縦に振り、「分かった」サインを送るまで。
でも心優しいアナ、フランス語の教室の帰り、物乞いをしている人を見つければ必ずといっていいほど持っているコインを渡してあげる。彼女なりの思いがあって、どうして彼女は物乞いにお金をあげるのか、を延々と諭してくれるのだが、それがどうも良く分からない。大体こう言いたいのだろう、と検討をつけて首を縦に振るフィリピン人マダムと私。
異邦人の私達、地元のアルジェリア人にしてみたらどうしても目立つ存在。よく言えばフレンドリー、悪く言えばうっとおしい存在にもなりうる地元アルジェリア人。街を1ブロック歩くだけでも至るところから視線を感じる。そして「ニーハオ」と声を掛けられるのが通常(私なら)。街を暇そうにほっつき歩いている、これがほぼ全て男性なのだから、こっちとしては威圧感を感じても仕方がない。
けれど不思議なことに、このアナと歩いていると、そんなうっとおしさはどこかへ行ってしまう気持ちになるのか、それともそういう視線が向けられないのか、はたまたアナのおしゃべりに気を取られるのか、どっちかと言うとうっとおしさから逃れるために視線をなるべく落として歩くようにしている私(もしくはサングラスを掛ける)にとっては判断がつかないけれど、何だか守られている環境にいるようにさえも思う。
そしてそれは彼女の人柄でもあろう、街行く人、目が合えば皆必ず「ボンジュール・マダム」と挨拶を交わす(いや、目が合わなくても道の向こうの方からアナを見かけると叫んで挨拶する人も、たまにいる)。フランス語の学校がある建物の中に連なるお店の人たちはもとより、そこから近くのピザ屋の女主人、電話屋さんのおじさん、隠れ両替商の靴屋さん、駐車を管理するお兄さん、とリストは延々と続く。そう、5年もここにいる彼女は、もう街のたくさんの人々と知り合いなのである。関わったら話が長くなるであろう、うっとおしいと思われる人たちにも自分から挨拶、頭を突っ込んで話し始める。そう、英語と同様めちゃくちゃなフランス語とアラビア語で。
彼女の話はもっぱら
ボンジュール、サヴァ?(やあ、元気?仏)
(相手の返事を聞いて)ハムドゥッラー(Thank god/神に感謝 亜)、
ビヤン(good 仏)
プルコワ(why? 仏)
マケーシュ(ない 亜)、
マーレーッシュ(問題ない 亜)、
インッシャッラー(神の思し召し 亜)、
コンビヤン(いくら?仏)、
サイエー(終わり 仏)、
コムサ(このように 仏)
と、かわいらしいが大袈裟なジェスチャーなどで成り立つ。
話し好きなのは確か。これだけのボキャブラリでこれでもかと話しを続けるアナ。これにはさすがのアルジェリア人も参っているよう。普段私なんかはアルジェリア人の話し好きには参ったをあげる状況なのだけど、そんなアルジェリア人を参らせるそのパワー、なんだか小気味よい。
左ハンドルのマニュアル車を、左腕一本で運転。料理だってかたてでやりくり。現在3人の可愛い子供達がいるのだけれど、数年前に子供を2人も亡くしているらしい。たまには涙を浮かべて昔の話をするけれど、それでも現状には文句ひとつ言わないアナ。
アナとの会話は、お互いカタコト、でもフランス語の方が良く通じ合ったりする、そんなこの頃。
北アフリカ、アルジェリアで出会ったアフリカはキリマンジャロ山のある国、タンザニア人のアナ。先日アナ宅にてオバマ大統領の就任式のテレビを見た際のアナ、アフリカどうこうとやけに熱弁してたけど、正直半分も分からなかったよ・・・。来年はワールドカップも南アフリカで開催されるし、今年あたりからアフリカが来そうな(どこに?)気がする。
2009年1月18日日曜日
仕事納めは仕事始め
最近では年末の過ごし方も多様化しているようだけれど、従来の日本での大晦日は、家族コタツでみかんを食べながら(みかんを食べる行為は果たして必要か?)紅白を見、後に除夜の鐘を聞きながらお蕎麦をすすって新年を祝う。これが「正しいお正月の迎え方」であるという定義が私の中には存在する。まあ実際うちの場合夕食がお蕎麦なのですけれど。
2009年1月6日火曜日
Algeria の略
アルジェリア(aLgeria)のLは、ルーズ(Loose=ゆるい)のL。
アルジェリア(alGERIA)のGは、Eは、Rは、Iは、Aは?と続くべきですが、とりあえずぱっとしたものが思いつかないので。
これはそんなアルジェリアのとあるホテルでのお話(シェラトンの話ですが、何か?)。
夏の間増えるアウトレットの数を除き、ホテルにはレストランやクラブ色々合わせて6つのアウトレットがあり、うちひとつは私が食事をするレストランでブラッセリーと言う。
去年の2月にここにやってきて以来、毎日のようにお世話になっているそのレストラン。
もちろんそのレストランで働くウエイトレスや、ウエイターもまた、私とは1年近くの顔なじみ。
そこでいつも見かけるウエイターのサミール。
背格好はあまり高くない、ちょっと猫背気味のカビリ(Kabyleアルジェリア原住民)の青眼の青年である。
彼の大好きなバンドはScorpions。
Holidayという曲が特別、彼のお気に入りらしい。
Let me take you far away
You’d like a holiday
Exchange the cold days for the sun
A good time and fun
Let me take you far away
You’d like a holiday~♪
と、私を見かける度に人の腕を捕まえてはほぼ一曲歌いきる勢い。
いや、だから歌はいいから食べさせてくれぇぇ。
「ということで行こうよ、Holiday」と、サミール。
結局はそれが言いたいのね。
行かねーよ・・・全く。
と、同じようなことを繰り返すこと早一年。
ついこの間、そんな彼と話していてふと気付くことひとつ。
彼の胸の名札には「ユーネス」とある。え?自分、名前、サミールだよね?
1年近くもほぼ毎日顔を合わせ、付き合いがあるサミールに、今までずっと間違った名前を覚えていた?今さらだが恐る恐る聞いてみる。
そうそう、今日はね、名札忘れちゃったからその辺にあったの付けてるだけー。
つけないと怒られるからね。
・・・ってあんた。
これ、アルジェリアのA、アバウトの例。
ちなみに、こんな例、くだらない。